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軽い気持ちで並んだら、引き返せなくなってきた。

用事があって下北沢へ外出した。ほとんどが在宅期間の日々、外に出るだけでなんだか気持ちは晴れやかになった。散歩とは違って、「用事があって外出」という響きに、社会において自分の存在が求められているような気持ちになる。

春の日に用事があって外出するなんて、僕は社会に受け入れられている。

外出先での用事は割とすぐに終わった。そのまま帰るのもなんだからと少し下北沢を歩いてみると、行列のできる抹茶屋さんがあった。行列といっても2−3人が並んでて、その周りにも並んでいるわけではなく立っている人が10人ほどいる。人気店っぽいので、並んでみることにした。2−3人並んでいるということは10分くらいは待たされるかもしれないが、まぁそれも良いだろう。

春の日に、後ろの用事がない中で下北沢の行列に並ぶという贅沢が、確かにこの世界にはあるはずだ。

だけど並び出して気づいた。この店、オペレーションが非常に悪いのだ。スタッフさんが2人しかおらず、1人は注文を取ることに終始し、もう1人は抹茶を作ることに終始していた。しかも、抹茶のアイスドリンク、ホットドリンクだけでなく、アイスクリームまで販売しているものだから、その数々のオーダーに応えるスタッフは、時間がかかるらしい。また、注文スタッフと制作スタッフの連携が整備されておらず、「あれ、どの注文まで作ったっけ?」という事態まで発生していた。ここでやっと分かったのだけど、並んでいるのは2−3人だが、それは「注文を取るまでの列」であって、店の前にいる10人もの人たちは、行列という形をしていないが「注文を取ってから商品を受け取るまで列」として存在していた。

そんなことに気づいた時には5分と時間が過ぎていた。そこからやっぱ辞めたと引き返すこともできた。だけど、この待っている大人数の中、足を踏み入れて5分しか待っていない僕が「やっぱやめた」なんて言えなかった。新入社員が「お先に失礼します」と言って、そう簡単にオフィスから帰れるだろうか。いや、帰るべきなのだけど、その勇気がなかった。イノベーティブな発想も行動力もない僕は、抹茶の行列から戦略的な撤退が取れなくなっていた。

そもそも今帰ってしまったら、5分並んだ時間が「無駄」だったと認めることになる。これから何分待たされるかは分からないけど、少なくとも、この並び出してから今に至るまでの5分という時間を正当化させる唯一の方法は、「並び続ける」という選択肢のみのように思えた。そんなことを自分の中でモヤモヤと考えていると、10分と時間が経っていた。

ここまで来ると、もう待つことしかできなかった。だけどなんだか変な汗も出てきた。軽い気持ちで並び出して、意固地になってしまった。柔軟性のない、頑固な組織。今のVUCAの社会において、最もNGな組織体質である。僕は、その組織体質そのものになっていないだろうか。僕は株をやっていないのだけど、株では「損切り」が大切だと聞いたことがある。損をし出したと判断したら、その時点ですぐに撤退する行動力のことだ判断力も行動力も持ち合わせておらず、新しい意見に耳を傾ける柔軟性もなく、僕は抹茶の列に並び続けている。

そういえば、最近会社から転職をする同期の話をよく聞く。彼らだったら、この抹茶のオペレーションはまずいぞと思った時点で「撤退」という選択ができたのだろうか。もしくは、もしもそのまま並ぶとしてもこの並んでいる時間を有意義に過ごせたんじゃないだろうか。彼らが会社を去るときの野望に満ちた目を思い出す。その目の眩しさに「すごいよなぁ」と称賛の言葉を送りつつ、僕は抹茶の列に並び続けている。

そうだ、昔、片思いをしていた子が下北沢に住んでいることを思い出した。もしかしたら、抹茶の列に並んでいる僕の元に、あの子が通りかかって話しかけてくるかもしれない。そんな淡い妄想に逃げ込んで時間を紛らわすことにした。「あれ、どうしたのこんなところで?」そんな声が聞こえてきた時のいくつか返答のパターンを考えていたが、結局そんな声が聞こえてくる可能性はゼロだった。あぁ、こんな時にそんなことを考えるなんて、僕は青春の病に犯されている。例え、今出会えたところで何かが始まるわけではない。「あぁ、久しぶりだね」「あぁうん」で終わりである。終了。ジエンド。沢山のご愛読ありがとうございました!…である。

当たり障りのない会話しか生まれない、もう「何かが起きるかもしれない」という期待を持つには僕は生きすぎてしまった。

自分の人生なのに、自分は自分の人生という物語の主人公だと思えた試しがない。僕は、誰かの人生の脇役のような、そんな切なさと溢れ出る自意識を抱えたまま26歳と11ヶ月という時間を過ごしてきた。

いや、一度だけある。僕が人生の主役だった日。高校生の文化祭で、人前で笑いを掻っ攫ったときだ。あの瞬間、僕は主役になれる人間なのだと思った。鳴り止まない拍手と笑い声。あれがピークだった。あれが16歳の時で、今から10年以上も前の話だ。それを超えられないまま、10年以上もの月日が流れた。

来月には27歳になる。僕はまだ、抹茶の列に並び続けている。

結果的に、抹茶には、30分間近く待たされることになった。

「現代人は我慢弱くなっている、なんでもかんでも効率化しすぎて本当に大切なことを忘れている。抹茶を口にして、たまにはゆっくりすることの大切さを学んだ。この春の日の出会いを大切にしていきたい」

という言葉が喉元まで出かけたがそこまで自分に嘘はつけない。
抹茶の味は「すぐに出てくるなら美味しいけど、30分も待つようなものではない」。あと、金額も高かった。

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