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強くなる証

合気道を始めて8年目になる。
始めた頃は、よくわからないなぁ。というのが感想だった。
これまで、いろんな武道や格闘技をやってきたので技が決まった、という手ごたえのようなものを感じやすかったのかもしれない。
それでも、稽古を続け、少しづついろんなことができるようになりそろそろ級も上がってきたぞ、という頃未曾有の感染症災害に見舞われ、稽古も中止。
いろんな紆余曲折がありながらも、稽古を続け、黒帯になることができた。続けてよかった、と心から思う。
これも、共に切磋琢磨する仲間や時に優しくときに厳しく指導してくださる先生や諸先輩方のおかげだと感謝している。

合気道は攻め手の力を使って技をかけるので、自分の力はそんなに使わないし、他の打撃系と比べて痛くないですよ。と、きくがそれは一部の天上人の使う合気道であって修行中の下々のものには、痛い、キツい、かからないという苦しみが待ち受けている。そもそも攻めてこられてはじめて技をかけられるので前提として痛い目にあう。もちろん稽古なので優しく手をとられたり、突いてきたりする。初めのうちは。黒帯となった今、容赦がなくなったのでいきなり痛い。技もかける方は力はいらない代わりに受ける方は痛い目にあう。倒され、投げられ、しめられる。たまに痛くてつらくて「早く終わらないかな」と本気で思う。でも、この一回一回ができるようになる一歩なのだと思い耐える。
稽古終わり、お風呂に入る時に腕やら足やらに痣を見つける。「お!今日もこんなところに痣が」と、写真に撮りグループラインに載せる。すると「私もー」と痣写真が返ってくる。
「いやー、今日も激しかったね。」
「あの技はこうした方が…」
「この時の受けはこう?」と、反省会しつつプロテインを飲む。
痛いけど、キツイけど、キツければキツイほど痣が濃くなる。それが良い。
痛くて痣が残るほどの打撃を受け、「こんなになったー」とはしゃいでいるとは軽くない倒錯癖ではあると思う。だが、それがいい。
人と同じことをしていては、そこよりも抜きん出ることはできない。より強く、より美しくなるために稽古に励む。
痣は一生懸命稽古した証である。そして、その証が濃いほど、強くなれるのだ。
それは誰のためでもない、ただ己と、共に励む仲間のためなのだ。


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