風の時代に危惧すること
「これからは風の時代だ〜」と軽やかに言う人がすごく増えてきている気がする
「風」ってなんかいいよね!軽やかで、自由な感じがあるし、誰もが簡単に想像できる
だけど、「風」のように表層だけ、何かに引っ張られて、それこそ、”誰か”がペラペラ話すことへの”風”に乗ってふわふわしている人が多すぎやしないか
自由はいい、個性もいい、
私もけっこう自由な生き方をしていて、「風」の時代にぴったりというなんだか褒められたような、見方によっては褒められていないような(笑)言葉をよくもらう
でもさ、「風」という時代を都合よくとらえている人が多すぎやしないか?
なんかね、風、風、うるさい人(失礼!)多くなあい?
地の時代の上に風があることを忘れていないだろうか?
好きなことをすればいい
そんなのは古い
これからの時代にはいらない
そう言える人たちは自分がどのくらい恵まれた立場にいるか本当に分かっているだろうか
実際、鑑定で多くの人と話していると
「健康」であること が、いかに大切であるか気付かされる。
心かもしれないし、身体かもしれない、もしかしたら、自分自身だけでなく家族の健康かもしれない
自分らしく、自由に、これからの時代は〜
と声高々に言っている人たちは、すでに現在恵まれている人が多い
そんな気がする
すでに何かしらお金が入るシステムを持っているからこそ、それを失うことになってしまったとしても、
さらに自分らしい働き方、あり方、自分にしか出せないものを出したいとシフトできる
自分らしく進んだ先にお金が入らないことがあったってそれはそれでいい、そう言うのだろう
がんばれる健康な身体があるからこそ、言うのだろう
健康な家族があるからこそ、自分のことに目が行くのだろう
今日食べるものも、今日寝るあたたかい布団も、明日の飲む水にも困らないから言えるのだろう
自分の病気と戦っている人
家族の介護で毎日が終わる人
障害のある子どもを抱えている人
様々な人たちで社会が成り立っているのだと本当に分かっているのだろうか
ほんとに分かっているのならば、言うだけでなく、自分のためだけでなく、社会のために行動するだろう
こんなお客様が以前に私のもとにいらしたことがあった。
工場勤務をしてきた50代後半の女性
仕事はずっと楽しくなかったけれど
働くところがあるだけありがたいと思ってやってきた
パートをしながら、生活をささえて、やっと子供が育った
今からだけど、自分のことが知りたい
やってみたいことがたくさんある
こんな女性を否定できますか
これからは風の時代だと軽く言っている人たちよ
このもうすぐ60歳の女性に、良いと思う!これからはそういう時代だよね!
なんて言えますか?
自分らしい楽しい仕事をしてこなかったのは、この女性の努力が足らなかったのでしょうか?
時代のせいですか?
「地」の時代の上に「風」があることを理解しているか?
これまで、女性というだけで仕事がなかった時代を生き、地方の田舎というだけで工場勤務しかなかった、そんな時代を辛抱強く行きぬいた世代があることを忘れてはいないか
それと裏腹に、男性たちは働くことだけに一生懸命生き、それが女性との格差でもあったのだろうけど、彼らは彼らなりに必死に生き抜いてきたのではないか
変えることも大変だけど、過去の多くの人の生きた証、いのちを刻んできたことを
軽やかに否定すること
そんな「風」に私はすごく気持ちが悪い
これからはそうじゃないよね
分かるよ!私もすごく思っているし、私もこの「風」の時代に乗る意識でいつも動いている
でも、とても軽率すぎる行動や発言がすごく目について、気持ちが悪い「風」に感じてしまう
みんなが言っていること、はっきり言おう、言い方をかえたらこれではないか?
体力と時間削る仕事ってもう古いしダサいよね?
別にさ、機械にやらせればよくない?
自分のやりたいことするのが風の時代でしょ?
きれいな言葉や、流行の言葉、なんだかいろいろ心響くもので表現しているけど、言い方1つかえたら、こんなこと言ってるよね?
言っている本人も、響いている本人も気づいていないのか
「風」って本当は誰にとっても心地よいものである
そうではないだろうか
あまりに過去と他者に対してリスペクトがなさすぎる
今、「風」の時代の入り口として、みんながそれぞれの思う「風」を撒き散らしている風に心地よさを感じないのだよね
みんなが「風」というよくわからない定義はどこで得てきましたか?
有名な占星術師とか、スピチリュアルなんとか・・とか、いろいろあるかもしれない
彼らは「商売」で言っています
そうやって多くの人を巻き込むこと、そして自分のファンにすること、それが仕事だからです
だから、心響く言葉にするし、インプット(教育)させるために、何度も何度も繰り返し発信します
そんなに、「風」というごく一部のスピリチュアルの専門家のカラーに染められる必要はないと思う
誰かのいう、「風」にただ吹かれて翻弄されているだけではないかと考えることも「風」の時代らしい頭の使い方ではないだろうか
古い
これからの時代にありえない
ださい
そんなこと言ってない、そんな人ほど、これをテイよく言い換えているだけ、そんな気がします
ここまでの地の時代の人たちが仕事一筋で生き、血と涙と時間と体力で作った高速道路と新幹線と飛行機に絶対乗るなよ(笑)
とか正直思う(笑)
やはりね、鑑定をしていると、ここまでの一人一人の人生のあゆみ、悩み、苦しみ、
みんなそれぞれ いのち を刻んで生きてきて、
そんな過去まで
ださい、古いと、けなしているようにしか聞こえないのよね
どれだけ自分しか見ていないのだろうか
先に書いた50代の女性は、なんと勇気をだして、こんな年下の私の元へ来てくださたのだろうかと思う。田舎に移住し、好きを仕事に、という現代風な生活を実現している、この女性から見たら娘に近い年齢の私に、まっすぐと自分の過去と向き合いながら、今の心内を話してくださる姿に、そして、
若い人はいいわねえ、私達はそんな時代じゃなかったから・・など微塵もなく、まっすぐ残りの人生という未来をみている姿に、
私は女性がすごく心地よい風を吹かせているように感じて、胸が熱くなりました。
そして、自分がいかに恵まれてここまで暮らし、自分らしい生き方ができているのか、支えてくれた人や、自分の健康な身体、そして時代に、感謝の気持ちでいっぱいになりました
これからの風の時代に向けて必要と考えること
何事にも真実はとてもシンプルである
私はいつもそう思っている
① 今よりもほんの少し、自分に対して優しくなること
② 今よりもほんの少し、人に対して優しくなること
この2点で十分ではなかろうか
難しい現象も、実は一本のシンプルな物理公式で全て筋が通ってしまうことが多いのが地球だ。そんなに難しいことではない、それが「風の時代の生き方」の真実だったら。
これまで我慢してきた自分に、「ほんの少し優しくなってみる」
今までとちがう余白ができたり、「気持ち」というエネルギーの→(ベクトル)の向きを変えると必ず「風」が起こる
この小さな変化は次へとつながる何かになる
今よりも、「ほんの少し人に優しくなれたら」
馴染めないと感じることにも、抵抗が少なくなるかもしれない
ほんの少し、相手へのリスベクトがあれば、人との間に心地よい風が吹く
この2つ、誰でもできるし、どんな立場の人にもできるはず
親子の間でもおなじだと思う
これが風の時代の転換期に一人でも多くの人ができたならば、
それぞれが起こす、小さな風がいつの間にか当たり前であり、心地よいものとなって、ナチュラルに、風の時代へと親も子も移行できるのではないだろうか
たったそれだけで、シンプルな心の向き→の変化だけで、難しい理論や、発言力のある人に振り回されたりせず、自分なりの「風」を作ったり、感じたりできるのではないだろうか
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