井芹仁菜のロックンロールは鳴り止まないっ
1.はじめに
1-1.この記事の内容
「ガールズバンドクライ」を観た。
この記事では,「ガールズバンドクライ」における井芹仁菜のロックンロールについて,主に「井芹仁菜のロックンロールは鳴り止んだか」という問いをもとに考えます。そのため,まず,「ロックンロールとは何か」,という問いについて考え,この問いに対して,ロックンロールとは人生おける反抗的な態度である,と簡潔に答えます。次に,「井芹仁菜のロックンロールとは何か」,という問いを考え,この問いに対して,井芹仁菜のロックンロールとは「わたしは間違っていない」という井芹仁菜の正義にもとづく反抗的な態度である,と答えます。以上をもとに,「井芹仁菜のロックンロールは鳴り止んだか」という問いに対して,「井芹仁菜のロックンロールは鳴り止まないっ」と答えます。
なお,ロックとロックンロールはそれぞれ異なる概念として扱われる必要があるかもしれませんが,その差異について考えることは本題ではないため,本記事においては「ロック」と「ロックンロール」は基本的に同じ概念を指示しています。また,この記事の以下について,基本的に強調している文が13話視聴後に書き殴った感想で,他の文は補足として後で追加したものなので読まなくていいです。さらに,こういう記事を書くことに慣れていないため,また,ですます調とである調が混在しているため読みにくいと思いますがご了承ください。
1-2.余談
(以下,余談)本記事では,川崎という街について言及しません。これは住んでないと十分に考察できないと思います。また,音楽に関する話題についても言及しません。私が音楽や音楽史をよく知らないので。したがって,「音楽としてのロックンロールとは何か」という問いについては考えることはしません(できません)。また,「ガールズバンドクライ」のアニメ史における位置づけ(また,花田十輝と花田清輝)について,また,セルルックCG(また,イラストルックのフルアニメーション)としての作品の価値についても言及しません。これらについてはもっと詳しい人がすでに記事を出していると思うので。さらに余談ですが,私は,途中まで,「ガールズバンドクライ」をスゲー良いセルルックCGアニメだ!(猫以外)と観ていました(実際,初期に話題になったときは「ガールズバンドクライ」におけるセルルックCGアニメとしての表現方法(表情芝居)などが注目されていたと思います)。しかし,あまりに周りが「ロック!ロック!」と騒ぐので,ロックという主題を意識しました。
2.ロックンロールとは何か
2-1.ロックンロールとは何か(音楽性としてではなく)
「ロックンロールとは何か」という問いは,本記事では手に負えない問いであり,また,本記事の主題でもない(議論の基礎にあるとはいえ,主題は「井芹仁菜の(あり方としての)ロックンロール」です)。したがって,あり方としてのロックンロールについて簡潔にその定義として考えたものを示します。(以下,である調が入ります。)
2-2.ロックンロールとは人生における反抗の態度である
ロックンロールとは,人生における反抗的な態度(行為や思考などを含める)である。なぜなら,ロックンロールは,(芸術あるいは音楽という)人生に対する態度の表現のうちの一つの形式として考えられ,また,その形式の本質が<反抗>という概念であると考えられるからである。より詳細に言うと,抽象的な性質としてのロックンロール(ロック性)とは,環境や社会に対する人間の感情的あるいは意志的な反応,あるいは,自分が直面している課題や災難などに対して,反抗することに属する性質である。以上から,ある人間のロックンロールは,その人生における反抗的な態度である。
(この定義は明らかに間違っているようなものではないと思うので,「ロックンロールとは何か,問われなければ私は知っている」ということで許してほしい。単に形式的な「ロックンロール」よりは広い意味として考えていることが伝われば良いです。)
3.井芹仁菜のロックンロールとは何か
3-1.「井芹仁菜のロックンロール」
それでは,井芹仁菜のロックンロールとは何か。井芹仁菜のロックンロールとは,井芹仁菜の反抗の態度である。そして,井芹仁奈における反抗とは,自分の正義にもとづいて生きることである。ただし,ここでの,「正義」は,「正しいと思っていることをする」という信念や感情にもとづいている素朴な<正義>の概念のことであり,「わたし/私たち/桃香さん/桃香さんの歌は間違っていない」(と言い換えることができる(以下,「わたしは間違っていない」という表記にまとめる)。また,正義は反抗になりうるのか,という疑問に対しては,井芹仁菜の正義が「それじゃダメなんです」という否定的な(わたしが間違っている,および,間違っているあいつら,を否定する)性質をもつため,問題ないと答えられる。以上から,井芹仁菜の反抗の態度,つまり,井芹仁菜のロックンロールは,「わたしは間違っていない」という正義にもとづいて生きることであると考えられる。このことについてのさらなる根拠は以下の通りである。
3-2.井芹仁菜のロックンロールの過程
まず,井芹仁菜のロックンロールは,いじめを見過ごさない,という正義を起源としている。いじめをする人間,いじめを見過ごす方が利口というヒナ,いじめを隠蔽しようとする学校のすべてに対して反抗し,正義を貫く。これはさすがにまぎれもなくロック。形だけの和解が成立しようとする校長室を飛び出し,放送室を占拠してエアギターをする,という井芹仁菜のロックンロールの起源は,いじめに対する井芹仁菜の正義から生じている。
次に,井芹仁菜のロックンロールは,自身の正義をもとに思考し,行為し(例えば,桃香に平手打ちをし),(正論モンスターとして)正論をぶちまけて暴れることで成長した。井芹仁菜の<正義>が暴れまわって成長している過程はアニメを見返して確認してください。
また,井芹仁菜の「ロック」的行為が,ロックについての事前知識ではなく,井芹仁菜自身の正義や感情―「間違っていない」などから生じていることも重要である。このことは,井芹仁菜の「ロック」的行為が「ロック」的という性質にとどまらないことを示している。
そして,ヒナが言うには,井芹仁菜は「正義のトゲ」を出しているのである。(13話)したがって,井芹仁菜のトゲトゲは,正義の(赤い)トゲであり,ロックの(黒い)トゲである。また,「正義のトゲ出して,繊細振りかざして,みんなを傷つけて,なんか自分が悪者にみえてくる」というヒナの言葉は,井芹仁菜のロックンロールにおいて正義と反抗が両立していることをよく言い表している。(13話)
3-3.井芹仁菜のロックンロール:「わたしは間違っていない」
したがって,井芹仁菜のロックンロールとは,井芹仁菜の正義,つまり,「わたしは間違っていない」にもとづく反抗的な態度である。すなわち,本記事では,井芹仁菜のロックンロールには,正義(「わたしは間違っていない」)という本質があると考える。
4.井芹仁菜のロックンロールは鳴り止んだか
4-1.「わたし間違ってないから!!!」
以上から,井芹仁菜のロックンロールとは,「わたしは間違っていない」という井芹仁菜の正義にもとづく反抗的な態度である。ここで,井芹仁菜のロックンロールは鳴り止んだか,という問いは,井芹仁菜は自身の正義にもとづく反抗的な態度を止めたか,という問いと同義である。この問いに対して,井芹仁菜は自身の正義にもとづく反抗的な態度を止めていない,と答えることができる。なぜなら,
井芹仁菜は,ヒナの助けを借りなかった,そして,事務所を辞めた。より詳細な経緯はアニメを見返してほしい。商業的なバックを得たにもかかわらず,曲の再生回数や対バンの客入りが想定より伸びなかった事態(また,ダイダスからの助けを借りないこと)に対して責任をとって,事務所を辞めた。井芹仁菜は,「わたし間違ってないから!」と言える選択をし,井芹仁菜の正義(「わたしは間違っていない」)を貫いた。(13話)
以上で,井芹仁菜は自身の正義にもとづく反抗的な態度を貫いている,と考える根拠は十分である。したがって,井芹仁菜のロックンロールは鳴り止まないっ,と結論できる。
5.井芹仁菜のロックンロールは鳴り止まないっ
ここからは,井芹仁菜のロックンロールが鳴り止んだ,ように思われる原因について考える。
5-1.井芹仁菜と父親
父親との不和の解消(少なくとも,緩和)について,父親との不和に伴う事象は確かにロックであったし,この不和は井芹仁菜の正義(正しいと思うこと)により生じた反抗である。しかし,だからといって,その逆の不和の解消は,ロックではないとはならない。これも井芹仁菜の正義により行為した結果であり,井芹仁菜のロックンロールである。このような逆転は,井芹仁菜のロックンロールが変化しうる(この意味では一貫性がないときもある)正義(「わたしは間違っていない」)にもとづくことに起因する。
余談だが,個人的に10話の家族とのやり取りは普通に少し泣きそうになった。井芹仁菜の行為において(良い意味でも悪い意味でも)究極的に感情的であるという井芹仁菜のよさがでていた。
また,このことに関して,学校との対立についても言及すると,学校に対しては依然として反抗している。学校へのヘイトは高いぜ。
5-2.井芹仁菜とヒナ(ダイダス)
ヒナとの和解?について,結局,二人の仲は和解?というか割と丸く収まったが,結局,ヒナ(ダイダス)の助けを借りなかったことで「わたしは間違っていない」を貫けている。そして,「絶対に負けてないって!間違ってないって!」と宣言し,ライブを始めた。
5-3.井芹仁菜と「ロック」的な行為
また,井芹仁菜のロックンロールを井芹仁菜の「ロック」的な行為(中指,小指,蛍光灯ぶん回し,ドリンクぶっかけ,その他トゲトゲなど)のみから理解することも,井芹仁菜のロックンロールが鳴り止んだと考えてしまう原因である。たしかに,井芹仁菜の「ロック」的な行為は減った(例えば,イライラしてもスマホを投げず,「落ち着け×4」)かもしれないが,井芹仁菜のロックンロールは実際にトゲトゲを出さなくても成立しうる。井芹仁菜の正義さえ貫ければいい。まさに,トゲナシトゲアリである。加えて,どうせ今後もトゲトゲするのは目に見えているし,これ見よがしにありきたりな「ロック」的行為,すなわち,「消費者」になってしまっているそこの「お前ら」に受けるパフォーマンスをすることはロックではないだろう!ごめんね…(ロックじゃないとか言う人たちの)顔見てムカついたからつい…。
以上から,井芹仁菜のロックンロールは鳴り止まないっ,と結論する。
6.おわりに
6-1.結論
以上から,この記事では,井芹仁菜のロックンロールは鳴り止まないっ,と結論します。この記事では,ロックンロールをいわゆる「ロック」な行為および態度とみなす考えではなく,ロックンロールがより豊かな意味での<反抗>の概念にもとづいているという考えを提示しました。また,井芹仁奈の<反抗>の本質が「わたしは間違っていない」という正義であることを提示しました。そして,これらの考えにもとづくと,井芹仁菜のロックンロールは鳴り止まないっ,と結論できることを示しました。反論の余地は多くありますが,「関係ないんだよ!お前らは!」という気持ちで書いているので問題ないです。また,気になるところがでてきたら追記するかもしれません。
ここまで読んでくださり,ありがとうございました。
6-2.余談と追記
(以下,余談)井芹仁菜のロックンロールについて,マス対コアのような(売れてる対売れてない的な)構造が作中と現実で逆転しているというメタ的な指摘は,井芹仁菜のロックンロールには関係ない。この構造の逆転は,言ってしまえば,偶然である。ただ,確かに,この構造が一致していれば(このアニメがもう少しマイナーになっていれば),より美しかったのかもしれない。(個人的には,最初のうちは,「CGアニメとしてかなり面白いが,CGアニメはイマイチ人気でないんだよな」と思っていたが,それが良い意味で裏切られて嬉しかった。)
「ガールズバンドクライ」と本作品の関わる人に感謝したいと思います。また,本作品のような質の高いCGアニメが増えることを願っています。
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