復職後の産後うつ、2人目怖い、休めない辛さ

1年前の夏。職場復帰3ヶ月目のことだった。
眠れず、たびたび爆発し、狂っていた最悪の時期。

旦那に
「二人目を」
と催促され、断る口実を探すために産業医にすがり、精神科にかかった。

見事、精神疾患とその裏側にある発達障害を言い当ててもらった。
(3軒目の正直、と言ったところか?)

◆誕生時~産休

息子が生まれた時。
緊急で帝王切開になった。
自分が死ぬんではないか、出産に失敗するんではないか、と恐怖に襲われ、パニックを起こした。
コロナ禍だったので、立ち会いはおらず、自分1人だけ。下した決断はとても速く、おかげで命拾いしたが、今までずっと親や旦那に頼ってきただけに、とてもとても孤独だった。
それは泣きたいくらいに。
孤独。

Alone, alone, all, all alone.

- The Rime of the Ancient Mariner(コールリッジの詩より)






産まれてからは、怒涛のように産院でお世話の方法を教わり、帰宅後(退院後)も堪え忍んで真面目にこなした。

母乳だってメソッド通りにやり、
「完母だ!」ってほめられた。
でもそれは、私の貧血を悪化させ、私の身体と精神を蝕んだ。
入院してもおかしくはないほどの重度の貧血になっていた。

◆育休中

子どもが寝返りをうちはじめて、動くようになってからは、私は家事ができなくなっていった。

後から育児に参入した旦那に、すべての技能が、あっという間に超され、
できないことを責められ、
言い訳をすると頭がおかしい人のように見られ、
子どものように叱られ、
いつまでも要領が悪く、
自信が消えていく。

私のそれまでの人生は、「できる」ことで評価され、副産物としての「悪い手癖」(毛を抜く、かきむしる癖)を伴うことで、バランスを取っていた。
それが出産後、「できない」ことで失望され、副産物の「悪い手癖」に、癇癪や不眠などの「異常行動」が増えていった。

なんで私は家事と育児の両立ができないんだろう。
日中は1人。
子どもはいるけど、泣く以外の意志疎通はできず、言葉は通じない。
コロナ禍だったので、感染を恐れて助けも呼べないし、そもそもどういう状態が「助けて」と言うべき状態なのか。
自分が病気でなければ、助けてとは言えないし、自分の感情整理すら後回しだった。

外に出歩くにも、支援センターとかお試しでいってみたりした。過剰に自分のことを心配されているようにも思えた。どうやって答えたらいいか、何に困っているのか自分でも当時はわからなかった。
知らない他人の手助けが入ってくるのが面倒だった。
他人は信頼できず、怖かった。
自分の親は、いろいろ否定されると思うと恐怖だし、トラウマも出るし、でなかなか頼れなかった。
そもそも忙しい人たちだし。

旦那に一番わかってほしかったんだと思う。
でもなにかと仕事を理由に、旦那も忙しく、余裕がなく、私と話する時間もない。
風呂に自分1人では入れられず、帰りの遅い旦那の帰宅を待った。
旦那の仕事の愚痴、私への愚痴を聞いただけで疲れ、気力が続かない。
やっと話そうとすると、子どもが泣く。

土日は旦那が終わらない仕事を理由に、書斎にこもる。
話そうとすると、旦那は家族全員で出かけたがって、私を見てくれない。
土日は出かけたり、育児をしたりして、自分1人になることができない。
旦那は私に体を休む時間をくれない。

職場は近かったが、子どもを連れて頻繁に邪魔するのも悪いと思って、あまり行かなかった。

仕事を理由に育児から離れられる旦那がうらやましかった。
仕事はこんなに疲れないはずだと思っていた。

なので、子どもが8ヶ月の時、職場復帰した。

◆復職後

仕事と育児と家事の鼎立のバランスがわからない。
今まで完璧にこなしていた仕事が中途半端にしかできなくなった。
がんばって評価を得て、大事な会議や出張の機会に抜擢されたのに、子どもの急な発熱でドタキャン。とても悔しく、ショックだった。
そういうことが起こらないように旦那とのスケジュールをうまく調節するという報連相ができなかった。
子どもや自分や旦那のワクチン接種予約といった事務作業がどんどんできなくなった。
病児保育の予約の電話すらできなかった。
そもそも小児科に子どもを連れていけない。

最後は、保育園に子どもを連れていけなくなった。

自分時間がなくなって、運動の機会も失って、自分の身体感覚がどうなっていたのかわからなくなっていったのはこの頃だ。

やけに泣き声や、女性の話し声や、換気扇などの音が耳につき、耳の周りが重くて痛くなって、日に何回も吐き気がした。

子どもが熱を出して寝込むたび、
子どもの息が止まっていないか、
けいれんを起こしていないか、
気になってしまい、
文字通り、不眠になった。

子どもが苦しそうに息をして、ときどき起き上がってくるのに、旦那はすぐに寝付くし、よく寝ている。

旦那がぐっすり寝ているから、私は見張り番として起きていなければいけない。
また、もし、ベビーカメラがあったとしても、通知を見逃せないと思うゆえに、起きていなければいけない、と思っていただろう。

子どもが無事に回復しても、夜の子どもの鼻息が止まらないか不安で寝られない。
自分が別室に行って聞こえなくしても、不安で聞きたくなる。聞こえていたら、うるさくて寝られない。

この時には、子どもの寝息すらうるさく感じるほどに、聴覚過敏が悪化していた。

それでも、旦那と顔を会わすたびに、家事が回っていないことや、床が汚いことや、洗う食器がたまっていることや、ゴミ捨てをしないことをチクチク言われ、
「子どものために料理をする母になれ」
だの
「もう子どもも1才だ。この子のためにも、2人目がほしい」
と言われ続けた。

この人(旦那)は、私のことを見ていない。
何も見ていない。

眠れない夜中に4枚の手紙を書き、旦那に気づいてもらえるよう、分かりやすく床に並べておいた。
翌朝。
寝坊したことと、いい歳の大人を起こさなければいけないことを朝から怒られ、
「こんなところに紙をばらまくな! 子どもが踏んで滑ったらどうするんだ!」
と怒鳴られた。

この人は私のことなんてどうでもいいんだ。
私の内面を見ず、子どものためのよき母親を演じさせようとまだ必死なんだ。
こんなに無理なのに。
私は、こんなに心が壊れているのに。

私は、発狂した。
そしてコロナにかかり、3日で治った。

叫んで、怒り乱れ、旦那をののしり、ものを投げ、子どもを叩き、
旦那に力ずくで止められ、痛い思いをし、
「別居させてくれ」
と頼んだ。

「コロナ療養中にDVを受けた」
と保健所に連絡した。

育児から距離を置き、旦那と離れ、仕事を休み、叔母の家に避難したかった。

結婚を後悔した。
子どもを持ったことを後悔した。

◆精神科通院(仕事は継続)

子どもが1歳になったとき、ちょうど精神科の初診に行った。

眠剤を処方された。
とにかく寝かせるためだ。
明らかな不眠症状だと言われ、診察初回から、発達障害だと言われた。

旦那からも
「暴れるなんて、ついていけない。離婚がよぎる」
と言われたり、その翌月には、また、
「2人目」
と言われた。

「眠剤が妊娠に影響が出る成分が入っている」
と説明し、しばらく止めだと伝えた。

その後半年かけていろいろ検査したが、発達障害の診断は揺るがなかった。

私はカウンセリングを受けた。
発達障害にきくアプローチを希望した。
半信半疑で医師やカウンセラーに従い、治療を受けた。

自分の希望を出せるようになり、家を探したりと、環境調整にも積極的に取り組んだ。
いろいろな療育グッズも試した。

私はとてもがんばった。
旦那はカウンセリングを受けないし、医師の説明にも同席しない。
最初はそれが不満だった。

発達障害の説明や協力を旦那に願っても、自分の負担が増えるのを嫌がった。

数日かけて
「子どもの適切な養育環境を作るため」
と言って、説得した。

◆2回目の夏

また「2人目」の催促がはじまった。
この時期は暑くて眠りづらいし、旦那はこうだし、私にとって嫌な季節になってしまった。

「2人目を考えないなら離婚する」
とまで言われ、私はまた家を飛び出したくなった。
まだ薬は継続していて、断薬する見込みもないのに。
仕事をこなすだけで、体がとても疲れる。
お迎えも、その後の育児も苦痛だった。
家に帰ったらバタンキューして寝たい。

土日も起こされることなく寝ていたい。

占いに行き、
「2人目は見えない」
と言われた。

旦那はそれで少しあきらめが付いたようだったが、今度は自分の気持ちが納得できなくなった。

育てるのは難しくても、産むのも難しいの?
実家から
「1人っ子なんて……」
と批判されるのが怖い。

婚活の時も、親に1人っ子の相手は認められなかった。
今度は我が子に何かあるたびに
「これだから1人っ子は……」
と責められてしまう。

がんばって街中の赤ちゃんや、子ども2人連れの家庭を見てみようとした。
心臓がドキドキした。
帰ってから苦しくなって、眠れなかった。
嫌な記憶、苦しかったこと、トラウマばかりが蘇る。

眠れるようにさえなれば、2人目のハードルはなくなると思っていた。
だけど、自分の心はまだ傷だらけで、思いきってシッターを頼むような余裕もない。
制度や手続きが難しく、説明を読んでもさっぱりわからない。

最近は仕事も内容が難しくなってきた。
自分より詳しいものはおらず、自分より偉い職位の人たちに振り回される。
そのせいで残業し、寝る前に勉強せざるを得なくなり、なんだか追い詰められているように感じる。
たぶん、これは、メンタル的にヤバい。
自分1人でコツコツこなすタイプの業務も溜まってきて、進んでいない。
だから、達成感を得られていない。

うまく自分のペースで、定期的に休みたいのに。
子どもの発熱と、時短を認めない旦那が、休みを許してくれないし、自分の
「達成感を得るまでやりこみたい」
というこだわりも、自分の休みを許さない。

ああ、疲れた……。

実は子どもを産みたいから、という理由で今の職場を選んだ。
ワーママはけっこう多い。
ワーママになるのは、もちろん私の憧れで、実際、復職後は
「やっと憧れのワーママになったぞ!」
という気持ちもあった。

でも現実は、精神科の薬を飲んで、やっと働ける、ボロボロなワーママだった。
自転車も怪我しそうで乗れない不器用なママで、
家事ができないから毎晩冷食をチンするママだ。
しかも、帰宅後は倒れちゃうから、
「お腹空いた!」
と2歳になりたての子どもに起こされて、冷蔵庫まで連れて行ってもらうママだ。

ごめんね、これでも仕事では褒められ、ボーナスもちょっぴり増えたんだよ。