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某日。


朝、川原でおにぎりと語り合ふ。



図案を練り、試作をした。




某日。

朝、おにぎりと共に、太陽に拝み、大地に拝み、水に拝む。ヒャッホーと喜び、善き日に感謝した。クレソンとセリを摘んで帰る。



正午、某日の続きをおこなふ。

この糸は友人が、うちの屑入れに「もう此れはいらぬ」と放置していったものである。まさか拾われ、ほどかれ、このような形で再び利用されているとは思ふまい。緑の三角形は降誕祭の樅ノ木である。



天使がいらっしゃった。

こちらの白いぽんぽん(玉止め)もそうである。先日母が、使わないちょっぴりの毛糸を下さったので、樅ノ木の模様に玉止めをしてみた。毛糸の切れっぱしは、自分がよもや玉止めで表舞台に立ち、主役に成るとは思わなかっただらう。人生とは斯く為るものである。



夕刻、完成。

この作品の可愛らしい点は、毛糸の飾紐が中華そばの麺にしか見えない所である。素敵なので敢えて生かしてみた次第である。

たまにうちに訪れてくれる、ヨガと神社と塗り絵と猫が好きな友人へ贈る。いつも「足りないものや欲しいものある?」「近くに来たから寄ったよ。」と優しくて、私はすごく嬉しいのである。ありがたうございます。愛と慈しみと優しさを込めた。某氏から、沢山貰ったもの。




某日。

朝、鳥を見るおにぎり。その背に光射す。


書き終えた雑記帳の表紙を鋏で切り取り、台紙を作った。
此の紙は固いため一穴を空けるには三段階必要とする。太さの違ふ三種類の針を順番に通して作る。無心と為る。
最早私は穴空けの名人と云えるだらう。いや何事も驕りはいけない。もぐらやキツツキは一生のうちに如何程の穴を作りあそばすのか。穴の向かふに尊び仰ぐ。


毛糸の色合いのグラデエシヨンをうまく使えたと思ふ。
けふは此処まで。




某日。

昔、海辺でトビにまんじゅうをかっさらわれた話をおにぎりにした。「とんだ笑ひ話でさ」と云ったら
すっかり脅えてしまった。





某日。

つめたい朝。ごはんだけでは寒かろうと紫蘇と海苔を巻いた。プランターの紫蘇はそろそろ総て収穫して油に漬けやうか。
川は曇天を映し、おにぎりはしっとりと海苔をまとふ。

晴れの日と曇りの日の、万物の色の違ひが好きだ。
草も木も水も海苔もつやのない質感。至極味わい深いやうに思へる。曇りはより、其のものの色を見せる。色の奥の色を見せる。気がする。
白はより白く見へるのだ。本質とはなんだらう。其れは此処に。然なり、自身である。この世と言ふ恩恵と、其れを味わう目と脳と舌と心と総て、天与に感謝す。


星を散りばめた。


完成した。自由に飛ぶよだか。


(完成が唐突でせう。経過の作品撮りをして居なかったのである。御免。話は変わるが、実は此方のよだかが初めての作品である。作品の制作順は入れ替わっている。何故なら何も考えずに、近況のおにぎりから書き始めたらさうなってしまった。気付いた時にはもう作品の画像を日付順に正しく直すのが面倒になった。依って順不同某日とした。まあ私はこんな性格なのである。おかげで面白いことに気付いた。人のきのふけふが順不同で在ったとして誰も困らないのだ。誰も気にしないが自分が何と無く絶妙に気持ちが悪いといふことも発見した。そしてそれもさして問題でもない。是のやうにどうでもよきことをつらつらと書き散らすのが如何にも近代文学随筆らしくて書きながらほくそ笑む。書くといふことは楽しいものである。)



よだかは光を放って居る。この作品は某氏に贈りたくて作った。贈り人の放つあたたかく純粋な美しい心を私は感じ、ふるへ、此の作品に愛と共にぶち込んだのである。某氏の深い心にいつも思ふ。ありがたうございます。





某日。

朝、干し柿を連れ出し、共に枯れ野の音を聴いた。
サラサラとパチパチと密やかな冬の音は耳に心地よい。
耳といふ器官がなくとも、干し柿はその身(実)で感じて居たやうである。冬の音も、私の心地好さも。誰も知り得ぬ何かも。



色を塗り、空に穴を空けた。絵を描いていると不思議である。絵の中に同じ様に佇む。同じやうに見て、感ずる。


私は集中すると、終日夜もすがら食事もせずに、永久に作業を続けてしまふのが悩みである。作品作りに没頭してしまふ。書き物もさうである。今も此れを書くのにさへ、明記するのは憚られる程に時間を費やしペコペコに腹が減っている。
「長時間続けないようにするには如何しませう。」と、友人に相談したところ「タイマーを使ふと良い。一度其処から遠ざかり客観的になる為に、覚え書きを付けておくと良いでせう。」と素晴らしい助言を頂いた。此処に記す。然らば腹を満たそうとしよう。けふはこれにて。




某日。

朝、おにぎりと電車を見た。
私の一等好きな、世界一格好良い貨物列車のブルーサンダーを、いつかおにぎりにも見せたひと思ふ。



きのふもその前も今も、やはりずっと、此の森の中に私は居た。心は澄んだ森の中にいた。
雪が降っていた。雪が音を吸収し、色を一つにし、動きを止め、ものの全てを包む。無にする。それは愛と癒しのやうに感ずる。静、聖、清、白の、力。大きく優しくあたたかい。体を動かすことと芸術と自然を愛する某氏へ。いつも支えて下さり包んで下さりありがたうございます。さうお伝へしたく作った。




雪降る毎瞬の刹那。一針も同じ。
美しくひとつに溶け合ふ。




某日。

朝、おにぎりと水際まで行く。鮭とそこら辺で摘んだ野草(カラシ菜)のおにぎりはその身を輝かせ、滑らかな青い水にうっとりと耽っていた。水と同様に、そんなおにぎりの背を私は美しいと思った。

けふは出来上がった作品に手紙をしたためることにする。




其れでは、いづれまた。









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