イスラム圏出身の人との国際結婚のハードルの高さと思うこと2

前回自分が思ったことをつらつら書いてみてから、少し経ったので
補足的なこととか、最近思ったことを書きます。(本文、長いよ…)


よくあるネット上の相談サイトで、イスラム教の彼氏がいるけど迷っています…という質問には、女性側がムスリムになるか、別れるしかありません、という回答しか載ってない。(しかもイスラム教のことを全然知らない人が思い込みで回答しているケースがある。)

「イスラム教は男尊女卑で一生不自由な生活です。」
「イスラム教に改宗したら棄教は出来ません。」
「棄教は死刑です。」


まぁこういう身近でイスラムに触れたこともなく、ステレオタイプな人の回答は読む必要がないと思う^^;


男尊女卑については、いくら制度的に自由平等をのたまっている国でも
生きやすさはまた別問題だ。人間からの制約がないという意味で自由でも、ジャングルのようなところに一人放り込まれたらどうなるか考えてみるといいだろう。

また例えば日本で女性に生まれたらかなりハードモードだと思う…。
就職活動では面接で「結婚するんですか?」「子供作るんですか?」
などと当たり前に聞かれるし、男女間で給与格差もあるし、結婚したら仕事しながら家事しなきゃならんし、子育てもワンオペになりがち。満員電車に乗れば痴漢に遭う可能性もあるし・・・
そうでなくても女性を切り売りして消費する社会だし、デブだブスだと
評価されることも多く、メディアも見た目が大事と世間を煽っている始末。

(まぁ資本主義社会なんて、見た目も金になるんだからそんなもんですけどね。メディアもグルメ番組ばかりで食の消費を上げる一方、ダイエット企画を組んで「痩せるのが美しい」という価値観を植え付けてる。人間は生産と消費を繰り返して、誰かのためにお金を稼ぐマシーンなのかと。)


棄教に関しては、この回答者は棄教がどういうことで(棄教の定義)、死刑になる要件を満たすということはどういうことで(各国の法制度知ってるの?)、適用している国はどこか答えられるのだろうか?知識が無いのにこんなことを言ってるのだとしたら、めちゃくちゃ無責任である。少なくとも日本のような法治国家で改宗後に棄教したから法律で死刑になるということは限りなくゼロに近い。イスラム法の影響が薄い地域・国家も同じだろう。法治国家でない国にいくなら何とも言えないけど…--;

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というか、私も改宗する前は、改宗したあと取り消しとかできないのかと調べたけど(ついでにラマダンも延期じゃなくて回避する手段はないか考えた・笑。)公に「私はイスラム教をやめました~!!」と大音量で宣伝して回るとか、改宗後にイスラムの悪口をメディアで拡散するとか、イスラム共同体の和を乱すようなことをしなければ身の危険はそれほどないと今は認識している。ムスリムでも他人の目に見える宗教的お勤め(礼拝とか断食)をしていないような人もそれなりにいるし、ムスリム共同体が「この人は礼拝を○分遅れました」「この人は断食を3日もやってません」などと管理しているのも聞いたことがない。)
それこそイスラム教徒とは思えない所業の人もいるけど「それでも私はムスリムです」と言えば、その人はムスリムなのだ。
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そもそも世界中でムスリムが四人に一人という状況なので、すべてがこういう人たちです!と簡単にラべリングできるものではない。
ものすごく厳格にやることを守っている人もいれば、意味もわからず自分のコミュニティーの習慣に合わせている人もいる。解釈や、実行の厳密さは(もちろん国がコントロールしようとしているところもあるけど)
ほとんどは個人にゆだねられている。なぜなら信仰は個人と神の間の問題であり、他人は関与しないからだ。・・・おせっかいであれこれ言う人はいるけど。


さて…国際結婚でいうと、イスラム教徒は日本では珍しい部類なので、ひとくくりにされがちだが、

アラブ人・東南アジア人⇔日本人
中東文化(もしくは東南アジア文化など)⇔日本文化
イスラム教徒⇔非イスラム教徒(もしくは無宗教)

国民的差異、文化の違い、宗教認識の違いなどはあるが
本当は上記のことが複雑に絡み合っていることが多い。

イスラム教徒はなぜか民族など関係なくひとくくりにされてしまうケースが多いのだがそれってイスラム教のせいじゃなくね?っていうのもちょくちょく見かけますんで、感情で反射的にイスラム教のせい、などにせず
切り分けて考えていただけたらと思います。


今回は、イスラム教徒と恋愛する非ムスリムの中でも、特に日本的な無宗教の人の恋愛について考えました。なので、ムスリムと同じ一神教のユダヤ教徒・キリスト教徒のカップルは除外してみてください^^;


さて、身の回りで外国人ムスリムと無宗教日本人女性が交際(結婚)…というケースを見かけると自分のアンテナに引っかかることが多くなったこの頃。私が見てきたムスリムの男性には極端にいうと2パターンある。

1. ガチムスリム
2. ゆるムスリム


1.は、イスラムのルールをきちんと守ろうと考えていて、いいなぁと思った女性がいたとしても、最終的には女性がイスラム教徒になる気が無ければ結婚出来ないと厳格に決めている人
2.は、その時点では欧米的価値観・世俗的な生き方を優先して、女性に合わせている人という感じである。緩いムスリム側が世俗的価値観に合わせられるうちはイスラム教なんて自分が知る必要ないと思っている伴侶とトラブル無い状態で関係が継続する。(ラマダンもやらない、イードも「何それ?」って感じでも交際は続く。)

ただ、1.の場合と同じく、人生で起こるさまざまな出来事で
人の感情が揺らぐときに価値観の違いが試される。そして、
イスラム教徒が非イスラム圏でイスラム教的な行為にルーズであったとしても「なんだー、言うほどイスラム教って厳しくないからやっていけそう!」
と軽く考えたり、「彼氏がムスリムだけど(私は関係ないし)それぞれのやり方で結婚式あげればいいよ~」とか「彼がムスリムだから結婚するためだけに私もムスリムになってもいいかも」と思っているなら、ちょっと待ってほしい。世俗的な日本では「周りに合わせて適度にやってればおk」なものも、生まれたときから人間のベースとして慣習・文化以上に本人の生き方にイスラムの影響を受けている人もいる…なので、例え礼拝や断食にルーズな人でも、人生の大きな分岐点みたいなところで、大きく考え方が違ってくる場合もある。それを知らずに結婚するのって、そういう状況になったらまったく相容れなくなるぞ?って思う。

周りでもあったんだけど、それぞれのやり方を妥協してやる→結婚式では
男性は女性を立てて、女性は希望のチャペルウェディング♪とかいうのは
宗教が完全に世俗的な飾りとなっている世界同士の結婚ならアリだと思う。
けど、お飾り的な結婚式という意味合いではなく、神の前で報告するという
精神的に大きな意味がある信仰者にとっては、全然違う重さがある。
その意味を、理解しあってほしいなぁと思う。
結婚式は体面的な問題で、人間に対してのお披露目的な意味合いを持っている人と結婚するガチムスリムにとっては、世俗的宗教に表面的に合わせるというのはかなりツライ。そしてそのツラさを一番近いパートナーに分かってもらえないというのは相当きついと思う…。

大切なものを、近い存在の人に分かってもらえないとか受け入れてもらえないというのは孤独を感じる。試練だと思ってある程度は頑張れるけど、家庭は安息の場所だから、大事な家庭が安息地にならなくなる。

好きあってる当人同士が良いと一時的に思ったとしても、そのときのムスリムの信仰心のレベルはさておき、イスラム教徒であるということはどこかでイスラムの教えを受け入れているわけだから、その価値観が急に全面に出てくることがあるかもしれない。また信仰心の程度は、ムスリムである限りは上下することだってある。また生活に宗教が根付いているムスリムにとっては、現実的な問題が出てくれば結婚生活やっていけるの???ってなる。

つまり、恋愛期間は余裕のあるときに楽しいことを共有すればよかっただけの仲も、夫婦になると基本的には足並みそろえて生活することになる。
(二人で別々にやれるものならいいが、必ず1つを選択しなければならないときが出てくる。)
それに加えて、楽しい・辛い・イライラ・悲しい・一人になりたい・さびしい・察しろ…という感情とお互いに日々向き合うだけでなく、周囲の人間関係や出来事への対応→親や子の健康上・仕事や金銭的な問題、お互いの優先度が違う義務課題に対し、夫婦の向き合い方の違いなどが出てくる。そのときに恋人同士のように距離を置くことができないし、方向性の違いを感じることになる。

そういった場合に、例えば宗教(に対しての解釈や見解)が一緒だと、共通の目的・基準にする柱があるので同じ方向に向かって、寄り添えることが多い。(結婚後に改宗して、見た目も内面もムスリムのことを知ろう・実践しようとしている奥さんは、心も旦那様に寄り添っていて旦那様も奥さんを大切にしようと心がけているため、穏やかな結婚生活を送っている人を自分の周りではよく見かける。)宗教がバラバラだと「私とイスラム教、どっちが大事なのよ!」となってしまうし、イスラム教徒側からすると、自分がとても大切にしている宗教をないがしろにする伴侶にガッカリしてしまうことになるだろう。(妥協と受け入れは全然違う)

宗教を気にしない恋愛関係だと、余裕があって楽しいことを共有しているうちは価値観も似ていると思いこんでいるけど、楽しくない・ネガティブなことを共有したときに、実は価値観が天と地ほど違うと気づくことはよく見かける風景だ。(そんなときにお互いを繋ぎとめるものは、愛情であったり、見栄や世間体であったり、経済的問題であったり、、、人によってさまざまだが)

愛情は不安定なものだから、夫婦が危機的な状況のときに宗教的な考え方が支えになったり、目的(宗教)が一緒だと心を一つにできたり、ラマダンやサウムや現世での試練を二人で乗り越えてガンガン絆が深まる。
これなしで夫婦をやるのは、楽しいことだけを共有するだけの友人とほとんど変わらないような気がする。良いときだけじゃなく、辛いときにも寄り添うことが出来るのが夫婦だと思うから。

個人的には、ムスリムの部分までひっくるめて好きになれないんなら
相手を自分にとって都合のいい存在としか考えていないのでは?と思う。


そうはいっても、物質・世俗主義の国で育ち、信仰ってなんだかよく分からない人だって恋愛はするし、せっかくこの広い世界で男女二人が両想いになったのなら私はうまく行ってほしいと思っている。(日本的・西洋的価値観のみで育つと、宗教なくても生きていけるのになんでわざわざ不便なものを信奉してるのよ?って思うよね。)


現実的な問題だけで言えば、もし伴侶のイスラム教徒である部分が受け入れられない(イスラム教なんか不要だと思ってて、自分はその部分を無視したい)なら、女性側の非ムスリムが理想とする夫婦像にムスリムが納得するのか確認した方がいい。もしお互いの意見に著しい乖離がなく、心の結びつきをそこまで重視してなくて、合う部分だけ合わせるという生活をベースにするなら、その考えと価値観が続く限りはうまく行ってるケースはある。または、女性側非ムスリムが絶対に自分の意見を曲げなくて、宗教が違うまま結婚することを条件にムスリム男性と結婚するケースとか(個人的な見解ですが、夫婦がいつも一緒にいない、イスラム圏の国を離れている、女性側が男性の収入を無視して生きていける手段を持っているor生活がお互い別々)、ムスリム側の男性がイスラム教の信条を無視してやっていけるとかなら、続くケースを見ている。


そういう特別なケースでないなら、とにかく現実生活で「ムスリムならどう考えて行動するだろう?」といろいろ想像してみることだ。人生経験が少なくて、他人の立場や気持ちをイメージするのが苦手な人には難しいけど、あらゆるケースをシミュレーションすることが大事だと思う。冠婚葬祭は相手に妥協して合わせるのか、自分たちの結婚式はどういうものにするのか(特定の親族・知人には隠すのか)、子供はどうやって教育していくのか(ムスリムとして育てることが受け入れられるか)お金がなくなったらどうやって支えあっていくのか、死んだら埋葬はどうする?それを考えもせず、好きだから宗教の違いも乗り越えてうまくやっていけるはず♡と思い込んでしまうと、遅かれ早かれ問題が浮上してくる。


それと、日本人の感覚の違いもよく聞く。「私は日本が好きだし、日本の文化を大事にしたいです!」という人がいるけど、日本の文化は神道(ときには仏教)と密接に結びついている上に、形骸化したものが大衆に受け入れられているので、よそからみたら大衆が宗教儀式をやっているようにしか見えない。だから旦那さんの宗教行事は「宗教だから私はやらない」というのに、日本の神道行事には季節ごとに積極的に参加しているのは(信仰心のある無しに関わらず)、相手側から見たら疑問かイラつきが出ると思う。〇〇国の文化だから、と宗教行事への参加を促されたら自分だったらどう思うかな・・・。

多くの日本人には、宗教儀式がイベント感覚になっちゃっているが、そのイベントをやる感覚が「みんながやってるから」「みんなが大切にしているから」と周囲との一体感や季節感を味わうという理由でやっていることが多い。となると、自分たちの文化をちゃんと理解しているかすら怪しい。


日本の民衆は農耕文化的土壌のある文化圏で自治組織によってうまくコントロールされていて(悪く言えば、村長などに統制されている)、コミュニティの人々と同じことをしなければ居場所がない文化なので、宗教慣習が一般に周知・浸透していくのが容易なところだったと思う。教義は詳しく知らないものの、形骸化した(中身のない)宗教行為が文化として溶け込んでいるので、意識しないまま神道・仏教を実践だけしている人が多い。

初詣、七五三、お盆、
これらは有名な神社に友達とおみくじを引きにいくことでも、着飾って写真を撮るためでも、夏季休暇の存在理由のためだけにあるのではない。

・初詣は土地の氏神に新年の祈りをすること
・七五三は同じく氏神に子供の成長の御礼と、大人の仲間入りを報告するもの(冠婚葬祭の冠であり、氏神様に子供を紹介する=宗教でいえば洗礼にもとられるもの。)
・お盆は一年に一度、祖先の霊が帰ってくるのを家族で迎えて、お盆が終わったらあの世にまた送り返す(お盆は仏教による)


すべて宗教的意味に基づいて行われており、神道・仏教の違いこそあるが
歴代の政府の方針として慣習化されたり、ときに廃仏毀釈や神仏習合が行われてきた結果、骨(信仰心)抜きの宗教という文化になってしまった(と私は感じている。)信仰心がなくても、形を備えていればそれは宗教となる。


日本みたいな、世間体・周囲の和を大切にするところでは、宗教を優先している人(仕事中に礼拝する人)は和を乱す自分勝手な人となることがあるが、同じ神を大切にし宗教行為を真面目に行っている人を信用するコミュニティもある。

また、世俗的価値観が強い人は、宗教的価値観の強い人とは一致しない面が
出てくる。例えば、服装ひとつにしても、若さや身体の美しさを表現したいしすることが良いと思っている人と、イスラム的価値観=美しいものは隠すもの。身体を見せるのは下品…という価値観では、お互いが不自由さや不満足さを持ってしまうと思う。
かわいいから、といって着てる服装が、ムスリムから見たら売春婦にしか見えないなら一言いいたくもなるだろう。かわいいの根拠は何だろう?雑誌・テレビ・友人の噂話・メディアからの刷り込みだとしたら虚しい感覚だ。

自分は何を大切にしているか?そして相手がそれに対してどう思うか、
もしかしたら傷ついているかもしれない…と想像できないと、少しずつ
わだかまりが出来てしまう。(もしくは相手に対して諦めるか…。)

大事なものが違うとその先が辛くなる。「なんで私ばっかりムスリムに合わせなきゃなんないの!相手だって私の気持ちに寄り添うべきでしょ」と損得勘定や愛情の駆け引きをしたいなら、その意見に同意してくれる人か、同じ価値観・宗教観の人とどうぞって私は思う。ただ、せっかくこの世で男女二人が出会って、心が通いあうことがあって将来を考えられるなら、ぜひ彼の大切にしているイスラム教を知ってほしい。「私には必要ない」と端から一蹴せず、信じるにせよそうでないにせよ、どういうものなのか自分なりに調べて、どんなものか理解してほしい。もちろん、伴侶となる彼にもガンガン質問していい。


そして子供の問題。
日本の一般的な感覚としては「子供に宗教を押し付けたくない」「宗教は子供に選ばせたい」という価値観が理解されやすく浸透していると思う。

先程書いたように、日本の文化=季節ごとの神道行為や、無宗教的価値観を子供に植え付けることも、また宗教観の押しつけだと私は思うが…。

個人が宗教を選ぶのは勝手だが、それは人が宗教を正しく理解している
という前提があっての話だと思う。まったく無知なのに、誤った知識しか持ってないのに、宗教を選びようもない。

私は自分が出来るだけイスラムを正しく理解して
子供に宗教のことを教えようと思っている。
宗教も信仰も目に見えないものだし、普通に生活していればいくつか疑問が湧いてくる。そんなときに「イスラームは絶対正しいから文句言わずに従え!」というのは押し付けたい人の自己満足だし、楽な方法だし、暴力だと思う。(そうやって、ボーンムスリムがイスラムから背いてしまっているケースを何人か見てきた。)心が傷ついたせいでイスラムに向き合えなくなってしまうのは本当に悲しいことだ。

信仰心が育つ過程も速度も人それぞれだから、
子供が疑問を持ったときに寄り添い、一緒に考えてみたり、悩んでみたり
調べ方や知識の身に着け方を教えられるような親になりたい。
というか、宗教に関してだけじゃなく、世の中の諸問題について全部そう
なんですけどね。

子育てに限らず、そもそも男女が相容れない思想を持っていたとして
何かの出来事にぶつかったときに、妥協する・結論を先延ばしにすることが
できない事態が起こることがある。
そういうときに、共通の宗教を持っていると同じ目的を持って生きるため
衝突することが少なくなると思うのだが(宗派への解釈が違うとまた別の
問題が起こるけどさ…)、根本から相容れない思想を持っていると
意見がぶつかるし、解決しない。

議論の方法として、まったくかみ合わない場合は議論を中断する・棚上げするというものもあるが、実生活で必要な選択を迫られている場合、それはできないことがある。
私の経験からすると、結局どちらかの意志を曲げて選択せざるを得ないから
曲げさせられた方は遺恨が残る。夫婦間、家族間で納得できずに遺恨が残ることほど辛いことはないと思う。

また親がただ慣習や周りのやり方に従っているだけの子育てをすると、
子供が混乱する。なぜかというと、慣習や周囲のやり方なんていうのは、
人間の集団や地域、環境が異なれば真逆になることもあるからだ。
子供はきっと、親が風見鶏のように見えて、他人にどう思われるか気にするけど、生きる上で支えのないような不安定な心に育つだろう。国際結婚するなら、せめて夫婦の心を一つにして子育てしたいものだ。


すごく長くなってしまったが、わりかしガチめなイスラム教徒と結婚している改宗ムスリマの意見でした。

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