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神様に対しての考え方

非イスラム圏で暮らし、
ボーンムスリムでない私なんかは
ときには信仰行為を否定されることもあり
(とかく信仰というものに対してアレルギーがある人はねー)

これが大切な心の中を守るジハードなのかー
と日々考えています。

信仰は心の問題で、崇拝行為は不要なもの、
ヒジャブは誰のためやねん
という声もありますが、私なりの見解を。

神様というのは人間にとって都合の良い存在ではありません。
心でいくら神を念じているとしても、それは人間の都合であって
やはり心の中というのは態度やら行為に出てくるものだし、
身体が健康であれば、行為として表すべきものだと思います。
(行為として表さなくて良い程度の信仰なら、それまでということです。)
そして大切だと思う対象に対しては、
それに近づいていくように努力すること
(言語を覚えたり、書物を読んだり、知識を蓄えるなど)も必要です。
それをしないで「神様はなんだってできるんだから、他の言語だって
分かるでしょ」「神様は言語なんて関係ないんだから、念ずれば通じる」
なんていうのは傲慢と怠慢の極みにしか聞こえません。

私にも、コーランはアラビア語で書かれているから
アラビア語が読めない人は理解できない、
アラビア語圏向けの人に向けた宗教だ
と思っていた時代がありました。

でも突き詰めて考えていくと、
他の語圏での宗教は未完成だったり
途中から人間が勝手な解釈で自分たちの都合の良いように
書き換えてしまった部分が多いんじゃないかと思えて、
日本語や英語だけの情報では真実にたどり着けないと考えました。
(仕事や趣味でもそうなんですが、特定の言語の範囲だけで文献を調べて
いくのには限界があって、だから英語とかを学ぶ訳なんですが。)
現在どの言語が主流か、メジャーなのかは人間側の都合なのであって
神様から見ると何の関係もないのではないか。

お金や物質、伝統が大事といっても
それはそのときの人間の勝手な価値観でしかない。

そしてその世間一般で多くの人が持っている価値観というものは
従っていれば楽なときはあるけれど、それで自分が幸せになるわけでも
人生を保障してくれる訳でもないのです。


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