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アッラーの神?

ムスリマになる前はいろいろ心配事もあった。

というか無知ゆえの勘違い。

1.一回入信したら抜けられない!

2.イスラム教はアッラーの神を信奉する洗脳宗教集団みたいなもの

ムスリムになろうがなるまいが世界の仕組みは変わらないし、

改宗した者から見たら、入信しない者と棄教した者にそこまで大きな違いはないし、

(イスラム法に従っている国に住んでたらまた違うだろうけど。)

イスラームの世界が本当だと信じられるなら入った方がいいかなっていうのがあった。

イスラームの世界に興味を持ったから、情報を知るだけじゃなくて

実践した方が早いんじゃないかとも思った。(夫と一緒の目線で礼拝できるしね。)

私も日本的伝統的な先祖崇拝・八百万信仰・仏教思想に

何十年も浸ってきたので、今も日本の習慣的考えがある。

八百万の神をそんな無碍にしなくてもいいやん、、、って

感覚も分かる。

(だからこの感覚がまだ残っている不埒なイスラム教徒でいる間に、この記事を書きたいと思った。)

少し考えれば分かることだけど、アッラーの神というものはなくて

・世の中のすべてを作った

という圧倒的上位者に対する存在を認識して、その存在を呼ぶときの名称なんだよね。

キリスト教の神も、ユダヤ教の神も、呼び方は違うかもしれないけど

イスラム教的には同じ存在。

日本では特にいろんな神様がいて、個別に有難がって

崇敬している人が多いわけだけど。

すぐ近くにいる見えない存在を認識せずに、

人間が作った像・お堂・絵画などに力がある

と思ってるのって、本当に大丈夫?

っていうのと、

上位神に対して失礼っていうことがある。

(最初は見えない存在を大切にするからこそ、姿かたちを

目に見える形に残そうとしただけだと思うけどね。)

日本は八百万の神をみんな大切にしている寛容な民族と

言っている人がいるが

あれもこれも、全部大切にするってのは

すべてを大切には出来ないことになる。

例えば、

大好きで大切な女性が1人います⇔100人の女性みんな大切で大好きです

って言えば、後者が軽薄だなぁと感じる。

一神教を信仰している人たちから見た多神教の人々はこんなふうに見えるわけです。


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