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ibohashiの自己紹介〜人生一度きり〜

画家iイラストレーターのibohashiです。
(読みはイボハシ)

新潟県生まれ新潟育ち♪
作風から女性と勘違いされやすいです。
会ってから驚かれる方も(笑)
まぁそれはそれで良いかなって思ってる節もあって、驚かれると心の中でニヤついてます。
イラズラ心ってやつです。

noteを始めたきっかけは
お客様から文章を書く(ライターを含む)ことを
おすすめされたのがきっかけです。
『アーティスト(画家/音楽家/等々)は独特な感性や価値観を持ってる方が多いので、独自の視点で書いたら面白いんじゃないか!』とのことでした。

ではスタート!

〜もくじ〜
肩書き編
経歴編
現在編
人生一度きり編
まとめ


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〜肩書き編〜

画家/イラストレーター
水彩画をメインに作品制作しております。
今は個展が一番多い活動ですが
他にもグループ展、企画展
お客様からのオーダー制作、個人の絵画教室、絵画教室の講師、ワークショップ、イラストの依頼(ロゴ、パッケージデザイン、お店の窓ガラスに描く)など色々やってます。

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〜経歴編〜
こどもの時は運動大嫌い、図工大好きっ子
将来の夢は『漫画家』か『絵描き』と
最初から好きなことを見つけており
好きなことを突き詰めた人生です。

1人遊びをすることが多い環境だったのが功を奏しまして想像力は豊かな子だったと思います(笑)※両親共働きでこどもが少ない地域に住んでいた為。

高校は普通校で美術部に入部✨
うちの美術部はマンガ研究部が無い高校だった為、マンガイラストを描く生徒とガチで油絵等を描く生徒などごちゃ混ぜの部活でした。

余談ですはありますが、この高校を選んだ理由は
中学生の時には既に漫画家になる為にマンガ専門学校を視野に入れておりました。まだ高校生でもないくせに高校からマンガ専門学校へ進学する為に必要な単位取得を逆算し、当時地元で一番推薦枠を沢山持ってる高校に入りました✨
因みに美大は視野に入れてませんでした。
※決して勉強が出来る生徒ではありませんでした。

ただ高校に入ってから漫画家以外にもデザイナーやシルバーアクセサリーのデザイン制作にも興味が芽生えており『デザイン専門学校もいいなぁ〜』とか色々夢見てました。

しかし、高校3年に上がった時に進路で
両親から専門学校を大反対されました。
理由としては漫画家という将来に不安しかない
進路であること。専門学校より大学に進学して欲しいからという至極真っ当な理由からです。

今でも覚えているのが当時担任の先生との進路相談で急に『大学に行きます』と言ったら『えっ⁉️専門学校じゃないの⁉️』と驚かれました。
一年生の時から『マンガ専門学校に行きたい』と言ってた生徒が3年の夏にいきなり進路変更があったからでしょう(笑)

そこから美術の先生と相談し色々あって
新潟県にある『長岡造形大学』に無事進学✨

造形大学では中学/高校の美術教員免許証を取得できる『美術・工芸学科』に入りました。

ここからがちょっと地獄のはじまり
教員免許の勉強は私にとってハードでした。
普段の授業(卒業単位)と教室免許の単位は
別ものだったので二足の草鞋状態でした。

午前中は卒業単位の授業
午後は教室免許の事業
放課後は課題作品制作
土日に授業レポート制作って感じです♪

私は真面目でも優秀な生徒でも無かったので
ギリギリ卒業出来た感じです。

私より上手な作品が制作出来る子も美術の知識が豊富な子、勉強が出来る子は沢山いました。

よく資格取れたなって思います(笑)

因みに大学では当初はシルバーアクセサリーを作れる金属工芸にも魅力を感じておりましたが精密な作業過ぎて断熱。ガラス工芸や染織りにも興味がありましたが色々悩んだ挙句最終的に絵画コースに入り油絵の勉強をしてました。

『教員免許取得したなら教員にならないの?』とよく言われますが、当時の自分はギリギリ授業に着いて行けるレベルの生徒だったので、絶対無理だと思ってました。

卒業後は親戚の紹介で
福祉施設に入社し障害者アートに携わりました。

その後、何度か転職を繰り返し
親子向けの工作のイベントの企画・運営の仕事や
障害児童の施設にて工作を企画してました。(障害者児童の方では個人的に工作を率先してやってましたが、他にも学習、運動、おやつ作りもします♪)

それと並行して卒業してから副業という形で
作品制作と年に数回カフェギャラリーや画廊さんで展示をしてました。


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〜現在編〜
現在はそんな会社員生活を辞めて
画家/イラストレーター
(フリーランス)として活動しています。
とはいえ始めたばかりなので順風満帆とは
言えません。ギリギリなんとかって感じです。
(2023年時点でフリーランス1年目)

因みにメインは水彩画です✨

他にもロゴや名刺デザイン等でデジタルイラスト、元々油絵の勉強をしていたので油絵の作品も制作出来ます。

有難いことに学生時代から色彩だけは褒められる生徒だったので大好きな寒色をメインに色使いを意識して制作しています♪

お世話になってるギャラリーさんからも
色彩感覚は高く評価して頂いてます。
本当にありがとうございます!

昨年から個展/グループ展以外にも
東京のデザフェスに参加させて頂いたり、
新潟のガタケット、三条マルシェ、金沢の森の青空アート等にも出展させて頂きました♪

色々な土地でやることは
新たなお客様との出会いやその地域の文化に
触れることで作家にとって新たな発見と勉強の場になるので本当におすすめです!

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〜人生一度きり編〜

会社員の時は『いつか絵が売れるようになったら』『人気になったら…』なんて思いながら
なんやかんや会社員も悪くないなと思ってました。

勿論、会社員だと時間もないし、仕事が終われば疲れてしまい自分のこと出来ないし、参加したいアートイベントがあっても有給とれないし、デメリットも沢山ありました。

だけど、毎月お給料が貰えて、仕事は仕事でやり甲斐はありました。アートに関わる仕事だったので大変なこともありましたが楽しかったです。

しかし、コロナの影響で
会社都合で解雇されました。

当時副業はしていたと言っても、絵の売り上げは
お小遣い程度の稼ぎしかなく、主な収入源は会社のお給料だったので大打撃でした。

同じ様な業種への転職を真っ先に考えましたが

『絵を描く為に仕事(会社勤め)するのではなく絵で生活できる様に努力する』というアドバイスから色々と相談した結果、、。

『人生一度きり』

『転職してもまた何かあるかわからない』

『絵で食っていきたいという夢』

『なんとかなる❗️という根拠のない自信』

など色々自分の中でワードが出て来たので
フリーランスの一歩を踏み出しました。


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〜まとめ編〜

人によって経済的な事情によってフリーランスの道を選べない人もいます。
ただ勇気さえあれば挑戦出来るチャンスが有るなら『一生やる』じゃなくて『出来るところまでやってみる』くらいのスタンスでチャレンジしてみても良いかもしれません。

雑に説明してしましたが
ざっくりまとめた感じです。

長文になりましたが
ここまで読んで頂きありがとうございました。

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作品や活動内容は此方↓

Instagram URL
https://www.instagram.com/ibo_hashi

Twitter URL
https://twitter.com/ibo0981

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