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入院をざっくり振り返る① 二日目から一ヶ月目まで

今回の投稿は、二日目から1ヶ月目までです!

宇多田ヒカルで一番好きな曲は何ですか?たくさんあるんですけど、今は即答でこれです。

「time will tell 時間が経てば分かるcry だから今は泣きたいだけ泣いていい」


二日目から1ヶ月目まで

前回の記事↓

https://note.com/ibis_1815/n/n0a53856a2c88

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5月2日に入院が決まり、まずは職場や予定のあった友達などに連絡。

明日は検査が立て込むそうなので、食事は抜き。大部屋だと、周囲の食事する音が本当に辛いです…。

空けて5月3日は、検査検査検査…。この時点で「ネフローゼ症候群の可能性が高いです。治療にはステロイド系の薬を使いますが、1ヶ月以内で退院出来る見通しです。」と主治医から告げられました。

1週間ぐらいで治ると思い込んでいたため、かなりショックを受けたことを覚えています。この「思っていたより治療に時間がかかる」はここから先ずっとつきまとう問題で、退院が延びれば延びるほど精神的に追い詰められていきました。


入院中は、治療と並行して、必要最低限のメンタルヘルスを維持する必要があります。「とりあえず治せば良い」は半分正解で半分間違いだと思っています。特に治療が長期化すればするほど、「治療をこんなに耐えているのに、入院している必要があるのか?」と疑問を持つようになってしまいます。

前向きに治療を受けて欲しい医師と、すぐにでも退院したい患者のすれ違いは患者の数だけ起こる問題ですが、さらに深刻さを知るのはこの日の夜でした。

検査で疲れ、就寝しようとしたタイミングで、看護士さんが部屋に来ました。男性の方で、柔らかい言い方で、「血中酸素濃度が低いです。酸素吸入器を取り付けさせて下さい。」とのこと。

またすぐ後に「数値が安定しないので、ナースセンター内で寝てもらいます。」と。まずいと思い始めていた頃、「カテーテルを挿入します。すぐに終わります。」と。

これに関しては、本当に思い出したくない痛みでした…。つんざくような痛みが足の指の先から頭の先まで…。思い出してみたら、以外と痛くないことはありますが、思い出してもやっぱり痛い。ただ、この後二回目の挿管も経験するのですが、この時は一回目ほどは痛くなかった気もしま、思い出したら痛くなってきたんで、この話は終わりにします!!!

その後に、いかにもベテランの看護士さんが来て、「これから高度治療室に移って貰います。私達が付いていますので、安心して下さい。」病院によって違うとは思うのですが、この病院では若い医師が多いので、説明の際に不慣れな様子の方も多かったように感じていました。この時は不思議なもので、高度治療室に行く不安よりも、頼もしさが勝ちました。

高度治療室へ

高度治療室は、集中治療室よりもやや重篤度が低い患者さんを受け入れる治療施設と説明されましたが、確かにその通りでした。広くは無い部屋でしたが、4〜5人が横並びのベッドで寝ていました。基本的に、常時心拍数などの観察を必要とする患者が入っている様子でした。

財布とケータイを取り上げられ、高度治療室の端のベッドへ。管を何本も腕に刺し、酸素吸入器を付け就寝…。出来るわけがない。

やや衝撃的な画像が携帯に残っていたので、載せてみます。


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死にかけ!!!

三途の川に肩まで浸かって8ぐらいまで数えてる!!!

何で撮ったのか記憶があやふやですが、多分鏡代わりに撮ったんだと思います。

そしてまた空けて、5月4日。この日は一大イベント、両親のお見舞いがありました。

高度治療室に入っていると伝えそびれた(大きなミス)ために、上の画像の状態の俺を見た瞬間、か〜なりテンパってました。衝撃的な見た目なので無理もありませんが。

とりあえず今現在分かっていることを説明して、「とりあえずしっかり食べろよ」と言い残して退室していきました。絶食中のことは説明してましたが、後でこの時のことを聞いたら、「いや、本当に死にそうだったから混乱してた…。」と言ってました。

高度治療室では、初めての人工透析治療や、絶食明けのトーストの美味しさなどネタはそこそこあるのですが、またの機会に…。書くと思います。正確には書きたいなと思ってるだけで、本当に書けるかどうかは自信ありません!

2日間の高度治療室での治療を経て、一般病棟へ。

一般病棟編

治療の見通しが経たず絶望したり、主治医にキレたり、色んな人がお見舞いに来てくれたり、気付けば一ヶ月が経過しました。

各種手続きの複雑さにうんざりしたり、まだまだ退院が先になると確信したのは恐らくこの時期でした。

浮腫みで水分が体から抜かれず、体重がなかなか減らない辛さを味わったのもこの時期でした。腕も足も浮腫みでパンパンにり、ステロイドの副作用の「ムーンフェイス」も辛かったです。

とにかく「意思とは無関係に自分の体が変わっていってしまう」怖さは、今までの人生で体験したことはありませんでした…。

気付けば、怒涛の5月が終わろうとした時に、やっと歩行の許可が出たので、院外へ(院外をふらふら歩く許可が出たわけではありません

久々に見る夕陽の綺麗さと、spotifyで何と無く聴いていたtime will tellに思わず泣きそうに…。


この時期にお見舞いに来てくれたゆーくさん、かんちゃん、しょこ達の3人。絵面が強い。

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一ヶ月目はこの辺で。続く

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