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バスケと勉強を両立した中学受験

年度:2022
性別:女子
執筆者:父

都立中高一貫校の桜修館を目指して中学受験を始めて、結果的には青稜中学校に入学しました。志望校や受験する学校をどのようにして決めたのか、通う塾をどのようにして決めたのか、入学する学校をどのようにして決めたのかという学校選びの観点で中学受験を振り返ってストーリーにまとめてみました。

娘は保育園の頃から親に似て運動が大好きでした。
小学校2年生からミニバスケットボールを始めると、バスケの面白さにハマってしまい、3年生から上級生に混じって練習をするようになりました。

4年生になる頃には試合に出るようになり、週4−5日はバスケをする、まさにバスケ漬けの生活をしていました。

小学校に入学してから通信教育で家庭学習は行なっていましたが、5年生になる前の春頃に中学受験を見据えて塾に通うかどうかについて親子で話し合いました。

もちろん娘は中学受験のことも全然分からない状態で、どこの中学校に行くのかイメージしたこともなかったため、バスケを制限されることには絶対反対で、塾に通うことには後ろ向きでした。

その頃、周りで中学受験をした方の話を聞いたりする中で、たまたま同じバスケチームの先輩が、バスケを続けながら中学受験をして、都立中高一貫校に入学したことを知りました。

バスケは絶対続けたいという子供の意志を尊重することを前提に再び親子で話し合い、バスケを続けながら桜修館合格を目指して、桜修館受験に特化した塾に通うことに決めました。

実際に塾に通い始めると、塾の担任の先生との相性も良かったようで、後ろ向きな様子もなく、すぐにバスケと勉強の両立ができるようになっていきました。

6年生になる頃には元々いたバスケチームのキャプテンになり、別の強豪チームにも所属して色々なチームとの対外試合をこなしながら、受験勉強も続けるというさらにハードな生活をするようになりました。

夏期講習の時期になると塾に通う日数も時間も増え、自分で「1日10時間勉強する!」という目標も立てて、バスケの時間を抑えながら勉強時間を増やしていきました。

夏期講習を終えて秋になるとバスケの公式戦が始まりました。
夏の練習頻度が少なく体力不足の状態で公式戦に出場したため、公式戦の試合中に大怪我をしてしまいました。

その結果、数ヶ月間は運動できない、つまり受験までは運動ができない状態になってしまったため、幸か不幸か受験勉強に専念することになりました。
運動会直前だったということもあり、本人にとって怪我はとても辛い出来事で、気持ちを切り替えるまで1ヶ月以上かかりましたが、徐々に気持ちを切り替えて受験に集中できるようになっていきました。

この時期に第一志望の桜修館以外に、どの学校を受験するかという検討を始めました。
都立中高一貫の受験は暗記型ではなく、算数や作文などが中心の思考力型入試のため、思考力型入試を採用している「かえつ有明」と国算2科目受験ができる「青稜」の2校を受験することに決めました。

いよいよ受験本番になり、最初に受験したかえつ有明には無事合格したため、次の受験には少し余裕を持ってのぞめる状態になりました。

次に受験した青稜の受験は2科目で合格枠が非常に少ないということもあり、1回目の試験では不合格でしたが、2回目の試験でなんとか合格しました。
塾の先生から合格する実力はあるけど狭き門なので、実際に合格するのはかなり難しいと言われていたので、合格通知を見た時には親子で飛び上がって喜びました。

最後に受験した桜修館では緊張もあったようで、なかなか思うように実力を発揮できず、第一志望の桜修館には不合格という結果になりました。

公立中学校に通って高校受験をするという選択もありましたが、本人が私立中学への入学を希望したため、家から通学しやすい青稜中学校への入学を決めました。

こうして振り返ってみると、本人の意志を尊重しながら中学受験を経験し、第一志望の学校に入学することはできませんでしたが、本人が希望した学校に進学できたのは良かったと感じています。

大怪我のため復帰まで1年以上かかりましたが、中学でもバスケ部に入部して大好きなバスケを続けており、仲の良い先輩や同級生、熱心な顧問の先生にも恵まれて楽しい学校生活を送っているようです。

スポーツと勉強を両立させながらの中学受験なので、どこまでみなさまのお役に立てるかわかりませんが、ストーリーとして共有させていただきました。

長文をご拝読いただき、ありがとうございました。

それぞれのストーリーを大切に、ウェルビーイングな中学受験と学校選び。
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