バンド脱退と復帰の経緯

今回はいつもの心理分析的な記事ではなく、個人的な事を書こうかなと思います。
3月8日、自分がボーカルをやっているzahirというバンドで7年ぶりにライブをしました。
今回は何故バンドを脱退したのか、そしてまた復活するに至ったのかを書きたいと思います。

zahirが活動停止に至ったのは僕が脱退すると決めた事が原因ですが、当時なぜ僕が脱退するに至ったかも含めてここで書こうかなと思います。

zahirを始めたのは確か2012年だったと記憶しています。
初めてメンバーに会ってメンバーの作ったデモ音源を聴いた時の衝撃は今でも覚えています。
こんなかっこいい曲を作る人がいるのか、こんなキレのある演奏をする人がいるのかと衝撃を受け、メンバーの演奏に心酔するような感覚がありました。

当時の僕は今では想像もつかないくらい歌唱力が低かったのを記憶しています。
その為、対等というよりもメンバーの事をすごく雲の上の存在のように感じており、早くこのすごい人たちに釣り合うようなボーカリストにならないとと焦っていました。
本格的にボイストレーニングを始めたのもちょうどその頃でした。
僕は全くの独学で下手くそだったのもあってか、ボイトレの効き目は非常に大きく最初の3年くらいで一気に歌唱力が上がっていった事を記憶しています。
最初の3年はただただ必死に自分を向上させるような状態で厳しくも楽しい時間だったと記憶しています。
そんな中で僕が歌唱力に伸び悩み始めたのは2015年くらいからでした。

僕は自らの声に限界を感じていました。
発声技術が足りなかった上にzahirの楽曲を歌いこなす事がそもそも非常に難易度が高いという事が大きいです。
楽曲数も少なく、対バン形式でのライブをしていたので30分程度のライブしかしていないにも関わらずその30分で相当声帯に負担をかけていました。
一度ライブをすると1週間くらい声が元に戻らないようなそんな状態でした。

そんな状態でスタジオで定期的に練習をしながら月に複数のライブをこなす事に限界を感じていました。
やはり声帯に不調がある状態で声を出すとその不調を庇う為にさらに発声が崩れていきます。
とにかく今の自分の発声では自分の思いつく歌唱表現を自由にこなせないと思い、非常に苦しかった事を記憶しています。
頭の中に「こう歌いたい」という理想が明確にある時ほどその通りにできない事に大きな苦痛を感じるというのが当時の僕を苦しめていた原因でしょう。

また、僕自身が加入した当初メンバーを格上の存在として認識していた事もありメンバーと気軽にコミュニケーションが取れなかった事も問題でした。
僕が歌唱力を大きく上げて実力をつけた事で段々とバンドの中でこうしたいああしたいという自我が芽生え始めてきたように思いますが、当初からあったメンバーに対して遠慮がちなコミュニケーションスタイルが定着してしまい、特に意見を言わないまま勝手にバンドに不満を抱えているような状態でした。

また、なかなか新しい新曲が生まれなかった事やバンドの音楽性があまりにも濃すぎるが故にできる表現が限られてしまう事で窮屈さを感じていました。
例えるのであれば、うちのバンドの曲が黒一色だとしてそこに合う色はもはや黒か黒に近いダークグレーくらいしかない、そんな風に感じていました。
赤や青や緑も試したいけど、あまりにもバンドが黒一色すぎてそれが試せないという事で自分の可能性を広げられない事に苛立ちを覚え始めたのも事実です。
その状況で繰り返し同じ曲を練習しライブで歌う事でマンネリを感じており、段々と意欲が減退していったのを記憶しています。

また、この悪い流れを変えたい気持ちを込めて初めてレコーディングスタジオでレコーディングした音源の仕上がりがあまりにも良くなかった事も影響していました。
仮に悪い結果であったとしても、そこで冷静に改善策を見つけて次に向かえば良かったのかとしれませんが、当時の自分はその仕上がりの悪さに激しい怒りを感じており冷静になれなかったように思います。
レコーディングした音源はお蔵入りし、その後に再びレコーディングをするという話も無くなったり、メンバーとの意見の相違などもあり、そこでバンドに対して意欲を失ったのを記憶しています。

そしてなんとなく気持ちが煮え切らないまま活動を続けて、とうとう2016年にバンドを脱退する事を決めました。
その頃にはライブにおいてミスなども増えており、バンドにちゃんと集中できなくなっていました。
声の成長もその頃にはすっかり止まっており、歌うのがとにかく辛い時期でもありました。

脱退が最善の策だとは正直当時の自分と思ってはいませんでしたが、その頃には停滞しているバンドの状態を打破できる未来がまるで見えなくなっており、このまま中途半端な状態でステージに立つ事は罪であるという判断もあり脱退を決断しました。
今の自分であればまだまだ続けられる強さがあったかもしれませんが、当時の自分にはその強さがありませんでした。
そういう意味で今考えてもやむを得ない決断であったのかなとそう考えています。

脱退後には別のバンドをやる事も検討しており、いくつかコラボをしたりライブをしたりもしましたがそれもうまくいかず結局は2017年から一切の音楽活動をやめてしまいました。
しかしその時から音楽活動をしたい気持ちは全く消えていませんでした。
一切音楽活動をやめる代わりに本気でボイストレーニングに打ち込んで、2020年くらいを目処に納得のいく歌唱力を手に入れて復活したいとそう考えていました。 

そして2017年はとにかくずーっとボイストレーニングをしていました。
当時の僕は海外の有名ボイストレーナーの来日レッスンなども受けて一段と歌に磨きがかかっていました。
正直なところ今よりもその頃の方が歌唱力が高かったと思います。

ところが2018年、とあるボーカリストのシャウトのレッスンを受けて酷い声帯炎になり(後に声帯結節が発見される)声の調子を崩して、その後に潰瘍性大腸炎になりました。
詳しくはこちらの記事に書いています↓

そしてそのあとは歌唱時機能性発声障害と診断され、音楽活動は一切できなくなりました。
歌唱時機能性発声障害についてもこちらに書いてあります↓

そして潰瘍性大腸炎と歌唱時機能性発声障害が良くなってきたタイミングでちょくちょくバンドのメンバーと連絡を取るようになり、スタジオに入ろうという話になり、ようやく実現したのが3月8日のライブでした。

一度は抜けたバンドではありますが、僕はメンバーの才能そのものを疑った事はありません。
バンドを抜けた頃にはもしかしたらメンバーの実力を認めたくないような気持ちもどこかにはあったのかもしれませんが、認めざるを得ない希少な才能の持ち主が揃ったバンドだと認識しています。
7年間音楽活動をしていない間もこのバンドで歌っていた事がきっと僕の根っこの自信に繋がっていたように思います。

潰瘍性大腸炎の闘病と機能性発声障害の治療におけるボイストレーニングは本当に根気が必要で、何度も何度も逃げ出したくなりました。
症状が重い時は正直バンドの事なんてまるで考えられない状態でした。
しかし少しずつではあるものの、体調も良くなり声の調子も取り戻しつつある中でもう一度あのバンドで歌いたいという気持ちは非常に強かったです。
やり残した事が沢山あるなという気持ちも強かったのです。

自分から抜けたわけではありますが、再び僕を温かく迎え入れて共演してくれたメンバーには感謝の気持ちしかありません。
昔よりも大人になって僕自身も成長して自分の考えを明確に伝えられるようになってメンバーと円滑にコミュニケーションがちゃんと取れるようになって今は本当に居心地が良いです。
演奏に限らずメンバーとただ談笑しているだけでも楽しいというような状態です。

本当はライブをやってみて思ったことなどをまとめようと思ったのですが、だいぶ長い記事になったのでそれは次回書こうと思います。
また、Twitterの方に@zahir_japanというバンドのアカウントがあるのでよろしければフォローお願いします。


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