見出し画像

『キリスト教の本質 :「不在の神」はいかにして生まれたか』加藤隆

『キリスト教の本質 :「不在の神」はいかにして生まれたか』加藤隆、NHK出版新書

 加藤隆先生は東大卒業後、仏ストラスブール大学の神学部(ライシテなのになぜ神学部があるのかは本書を読んでみてください)に進み、ルカ文書で学位をとられたということで新約聖書学が専門なんですが、その博士論文でも、個人が上に立って支配する「人による人の支配」を当たり前だとする西洋的な権力構造の特殊性に注目していたということです*1。その後、日本ならではといいますか、千葉大学では新約学だけではなく、旧約聖書も教えなければならなくなり、旧約の研究を深めるとともに、元々関心のあった社会類型論とあわせて、キリスト教は西洋社会に適合した宗教であるとしたのが最新刊の『キリスト教の本質』。

 加藤版『キリスト教の本質』は掟共同体である古代ユダヤ社会が、ヨシュアによってヤーヴェをいやおうなく神として選択させられ、その後のイスラエル王国の滅亡による「神の沈黙」に耐えるため律法主義に収斂していった経緯を2章で述べます。

 そもそも、人間がいかに敬虔な態度をとっても、律法をなるべく犯さないように生活しても、人の行為で神を動かそうとすること自体が神学的にもというか、常識的に考えてもおかしいわけです。そうした限界に達したユダヤ教ですが、洗礼者ヨハネによる洗礼の儀式でも神は動かず、イエスによってようやく神は動いたわけです。しかし、その介入も全人類を救うといった大規模なものではなく、《神の救いの業の存在は証明できない。愛が証明できないのと似ている》ぐらいの小規模なものだったので、全体としてはヨハネから始まった「神が動き始めた状況」のままで継続しているだけだ、と(p.174)。

 しかし、ここで神でもイエスでもない「救われていない者たち」がそれぞれ信仰共同体を組織しはじめ、指導者の「教え」を「信じ込む」ことさえすれば救われるというムーブメントを起こすという驚くべきことが起きます。これは神学的には「神なし領域の宗教ビジネス」なんですが、古代ローマ帝国が崩壊の危機に瀕した際、個人が上に立って支配する「人による人の支配」というキリスト教の構造によって社会を立て直させると考えたコンスタンティヌス帝によって、あろうことかパウロが始めた「キリスト教」は国教化されます。さらに、聖職者を最高位にすることで(本書には明示的に書いてはないのですが)、実質的には領主が支配する社会を安定化させ、同時に反体制的な政治的リーダーとなるような優秀な人材は結婚できない聖職者とすることで、反乱の芽もあらかじめ摘み取ったことで立て直した、と。

 こうして西洋型社会はある程度安定していったのですが、近代以降は社会の維持・発展にはさほど役に立たなくなったのでキリスト教離れが起こっているだけだ、というのが全体の流れでしょうか。

 個人的に面白かったところをいくつかあげておきます。

 ユダヤの古代北王国はバアル、アスタルテなどの神々も信仰したんですが、アスタルテはアルテミス(ダイアナ)、アフロディーテ(ヴィーナス)、阿修羅などと並行する愛の神でした。そして、現代のアニメのキャラクターやアイドルの多くはアスタルテ系であり、アイドルのコンサートで若者が喝采する様子はアスタルテ信仰のようだ、と(p.74-)。

 ユダヤ人は聖書やタルムードを引用することがほとんどないというのもなるほどな、と。これは全体が分かっていないのだから部分もわからないという誠実な態度。反対にキリスト教徒は解釈が不適切でも「聖書にはこう書いてある」と自分の立場を正当化するためにさかんに引用するというのはいかがなものか、と(p.152)。

 実は、個人的に大学に入って、それまでのマルクス一辺倒から勉強し直そうと思って最初に取り組んだのはフォイエルバッハの『キリスト教の本質』でした。キリスト教はどの宗教よりも救いを強調するのですが、地上の幸福は人間を神から引き離すので積極的に求めてはいけないとされているのは《不幸なときは人間はもっぱら実践的にまたは主観的に考えているからであり、不幸なときは人間はもっぱら必要な一つのことに関係するからであり、不幸なときは神は人間の欲求として感じられるかである》(岩波文庫下巻、p.5-6)なんてあたりは好きだったな。

【目次】

序 キリスト教は西洋文明にとっての本質か

第1章 「キリスト教」についてのアプローチ

第2章 ユダヤ教の諸段階

 〈1〉カナンへの定住――普通の一神教 [前十二世紀]

 〈2〉北王国の滅亡――本格的な一神教 [前八世紀前半]

 〈3〉神の前での「自己正当化」の排除 [前二~前一世紀]

 〈4〉「律法主義」への収斂 [一世紀末]

第3章 キリスト教の成立

 〈1〉神に選ばれたイエス

 〈2〉さまざまな教会のさまざまな教え

第4章 キリスト教と「世俗化」

第5章 日本とキリスト教の関係について

あとがきにかえて

*1
 『武器としての社会類型論』加藤隆、講談社現代新書、2012では学位論文を発展させ、世界のタイプを日本社会型(全体共同体)、西洋社会型(上個人下共同体)、中国社会型(上共同体下個人)、インド社会型(資格共同体)、古代ユダヤ社会型〈イスラム〉(掟共同体)の5つに分類しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?