ピトス・エルピス樋口円香

 ハア~~~~~~~~~~(超特大ため息)シャニマスくん、こういうことやってくるから大好きだわ……
 考察というより感想ですが、ピトス・エルピスというタイトルに対する考察だけは面白いと思うので、その章だけ読んで(お願い)

※ネタバレ注意
※画像は引用しません、ぜひ情報なしでプロデュースして欲しい。
※演出面には可能な限り触れない。
※感想とちょっとした考察。

 難しそうに見せておきながら、実はそこまで難解ではないピトス・エルピス樋口円香。でも雰囲気を出すということと、タイトルと中身の作り方が滅茶苦茶良いのでそこをぜひ喋りたい。
 くりかえしになりますが、以下章立てしており、なげぇよ!つまんねぇよ!解釈が違う!って途中でなっても、最後の「ピトス・エルピス」章だけはチラ見してもらえると個人的に嬉しい。そこだけ頑張った。


樋口円香の激情

 先にコミュ全体としてのオチ部分からあえて触れたい。樋口円香の激情にシャニPが気づく話でしたね。樋口の中の目指している表現が確固としてあって、それに対する執着めいた情熱があることに、シャニPが気づく話。時系列が難しいなと思うんですが、感謝祭後grad前か、grad後か……grad時点のシャニPが樋口円香の激情に気づいていないとは思えないので前者かな。
 求められるものはある程度の努力でなんとかなってしまう樋口ですが、今回のフレーズは別に求められたものではない訳です。じゃあ樋口がやりたいのだろう?とシャニPが思えば、樋口本人としてはそうではない。感謝祭の「誰かのために歌っていない」にも繋がりがある、現状の情報で考えると、表現に対する向き合い方が芸術家思考なんですよね円香。
 誰(どれ)が正しいとかではなく、在り方の問題として「誰か(ファン)に届けるための手段としてのパフォーマンス」や「自分が信じるものを認めてもらうためのパフォーマンス」や「パフォーマンスの持つ魅力を信じるがためのアウトプット」など、歌う理由、踊る理由はそれぞれです。誰かのためにやるのではなく、求められてそれが出来るからやる、受動で消極的なように見えて、その出力の過程で自分がそれを作りたいからという訳でも、そうしろという指示を受けたからでもなく、彼女の中で見えている『理想』を作り上げる情熱。職人タイプだ……(すき)。

宝石箱と大切だったもの

 古い箱、それは大切なものを仕舞うために作られ、大切な中身を誰にも気付かれないように、触れないように、鍵がかけられたそれは、封を開けられれば古いオルゴールで、錆びついた音を立てる。
 樋口円香が自分自身のメンタリティを披露することに喜びを見出さないタイプなことは最早言及するまでもないし、彼女の内面として「理解されたいけれどもそう簡単に理解されたくないしそもそも他人を理解するなんてことは不可能である」といったような、矛盾し相反する願望とそれに対する理解、あらゆることに対して諦めや高望みをしないという達観めいた今の若者らしさ、そしてけれども失えない希望を貴ぶ姿勢などがありますよね。これは前提としていいですかね?前提にしようと思ってたけど、これ私の妄想かもしれないな……まぁ前提にします。
 声を枯らしてもなお理想へ向かうことが止められない樋口円香と、錆びついたオルゴールがイコールで繋がり、その錆びついた音に激情を見るシャニPですが、その感情が大切だったもの、見られたくない、傷つけられたくないものと考えられますね。

比較と対比

 ギンコ・ビローバ樋口では、シャニPと樋口の間でのやりとりによって、樋口がシャニPの中に樋口との同一性を見出しているように思えますが、今回のピトス・エルピス樋口の場合、あえて非同一性を押し出しているように思えます。
 表面上を取り繕う、そしてその表面上でもって評価がなされる。当たり前のことですがそれらに対する苦しさやままならしさ、そうしながら進んでいくしかないということの無言の肯定。取り繕っていく不自由さを理解するが故に、ビリビリに引き裂いてしまいたいという欲求を思う、それは自分も同じように解放されたいという気持ちからくる同調でしょう。
 今回はその逆で、対比に重きを置いている。大切なものをたくさん抱えるだけ抱えて、それでもがくことになったとしてもそれを疑わないシャニP。それが自分にとって益があることではなくむしろ不益を与えるようなカラスですらも、その存在を無意識に肯定するシャニP。それらは、大切なものを失うことを恐れるが故に大切なものを作らない方がいいという考え方に馴染んだ(本当にそれを心の底から信じているかは別として…)樋口とは真逆です。
 樋口円香を考えるにあたって”相反するもの”というのは避けて通れないと思っていて、彼女のキャラクタの特性としてのとげとげしい口調もそうであって、当初は違ったとしても現状では評価するから誤魔化さないという彼女としての評価の形だし甘えの形であるとかね。そういう意味でギンコ樋口では「似ていないようで似ている」を表現して、今回は「同じものを抱えていても打ち込み方が違う」なのかもしれません。

ピトス・エルピス

 ここがnoteをダラダラ書く一番の理由だし、ぶっちゃけここだけ読めばいいです。
 さて、ピトス・エルピス樋口円香のピトス・エルピスとはなにか、古代ギリシア語で「希望の壺」といいます、なんだそりゃかと思いますが、もっと一般的な言葉にすると「パンドラの箱」です。
 ギリシア神話における、この世の災厄や悲しみがある理由付けでもあるエピソードであるパンドラの箱ですが以下に軽く載せますね。これは一般的に語られるパンドラの箱のエピソードの要約です。
※神話の要約の為、一般的に不適切な表現も含まれますがご容赦ください。

 ゼウスを騙す形で人間を支援したプロメテウス。その報復としてゼウスは人間に破滅をもたらすもの「女性」パンドラを作り、あらゆる災厄が詰められた箱を渡し、人間界に送り込んだ。パンドラは人間の女性として人間世界へ下り過ごす。パンドラに渡された箱は封がしてあり、そのままではただの箱であったが、好奇心によりその封を開けてしまう。箱からはこの世のあらゆる災いがあふれ出し世界中に広がってしまった。それに驚きパンドラは慌てて箱の蓋を閉じる、あらゆるものが箱から飛び出したが、最後に一つ箱の中には希望が残された。

 おおよそこんな話です。

 ピトス・エルピス樋口における箱といえば、もちろんオルゴールであった宝石箱がまず思い浮かぶでしょう、しかも誰にも気付かれないように鍵がかかった箱。そしてもちろんお気づきの通り、古い宝石箱はイコールで樋口円香です。樋口円香にとって決して開けて欲しくはない箱、その中身である激情、それらは外にあふれ出してしまう。
 人間を堕落させるものとしてパンドラは神によって美しく作られた、そしてそれを追わざるをえない、我々であり樋口なのだ。

 まずこの時点でもタイトルと内容の比喩としてはとても面白いな!!!と思うんですが、これにさらに追加したい。思わなかったでしょうか、なぜより有名で直感的に理解が出来る、たとえば「パンドラ・ボックス樋口円香」じゃないのだろう?

 あえて古ギリシア語で表したのには理由があると考えています。
 まずその理由として、一つ目のコミュ「hibi」があります。全体を通すとこのコミュだけ異色ですよね。まぁギンコの一つ目もある意味異色でしたけど、このコミュを要約しようとすると「笑いのツボ」という言葉を使いたくならないでしょうか。
 「パンドラの箱」として有名ですが元文献を参照すると上記でも触れたようにピトスというのは箱ではなく壺(甕)がより意味としては近いのです。そうして見るとコミュタイトル「hibi」も、まず一見すると普段の生活の一片としての「日々」と思われますが、普段は見せない隙をつい見せてしまうということ、笑いの壺、ピトスと繋げ、陶器の亀裂である「ヒビ」がかかっていることが分かります。
 言語の意味を参照するという合図として、全体としては直接つながらない”ツボ”のエピソードをあえて入れられています。

 これは個人的な話ですが、幼少期にパンドラの箱の神話を見聞きした際に、ずっと疑問だったことがあります。一般的に語られるパンドラの箱では「災厄が世界に広がってしまったけれど、人間の手に希望が残された」と締められることが多いのですが、箱から飛び出した災厄が人間に襲い掛かることを思えば、箱を閉じて箱の中にある状態の希望は、手に入っていないのでは?と、そう思わないでしょうか?
 この疑問は後年、詳しい人に話を聞き納得をした一つの解釈があります。エルピスという単語は希望として訳されていますが、パンドラの箱のエピソードにおいて本来の意味は「予兆」であるという解釈です。パンドラの箱に残され人間に予兆が与えられなかったからこそ、人間は絶望することなく生きていくことが出来る、と。
 誤訳問題というのは数多くあって、例えば「禁断の果実」「知恵の実」と聞いてまず林檎を思いつくかと思われます。実際西洋でもある年代以降、禁断の果実の象徴として林檎が使われていますが、原典(というのも難しいんですが、出来る限り元の記載という意味で使いますね)では、具体的な表記はなく”果実”としか記載されていません、それが翻訳を重ねられる中で単語が近かった、林檎、と繋がっていく。そんなエピソードは数多くあります。ピトス=壺であって実は箱ではない問題も同じですね。

 さて、では”エルピス”の言語の意味を参照してみましょう、まずは「希望」そして「予兆」さらに現在もその解釈を議論される中でもう一つよく言及されるのは「期待」です。
 繰り返しにはなりますが、ピトスエルピスと言えばパンドラの箱、コミュの中で箱と言えば宝石箱、そしてその宝石箱は樋口円香自身の隠喩であり、箱は開けられ、樋口にとっての災厄は溢れてしまいました、それは隠しておきたかった内面の表出という意味でのアイドル活動であるかもしれません。
 そして箱の中にはエルピスが残される。つまりそれは樋口の中に「希望」と「期待」と「予兆」が残されていることを示しています。なにもかも諦めてしまった方が傷つかないと語る彼女の中にのこされたそれらを、シャニPは激情としてみるのです。

 おまけでもう一つ、こじつけをしましょうか。”激情”はギリシャ語ではパトス、英語でパッションです。情熱、激情、感情という単語ですが、「He」が神を表すように「the Passion」も宗教において一つの意味があります、それはキリストの受難。喉を嗄らすほどに打ち込む彼女の姿に、困難な試練を与えられる救世主をシャニPはみているかもしれませんね。


 隙自語ですが、自分が二次創作した内容と若干だけかするような部分があって興奮しちゃった……百合ですけどまぁ興味があったら読んでね。ピクシブにあります。(宣伝は基本)

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