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ブラジル学校の給食はシュラスコ屋からくる!?

先日、エスコーラ ネクターの給食で日頃からお世話になっていまるシュラスコ屋の「サンパウロ」さんにお邪魔してきました〜!

シュハスカリア サン・パウロ
0566-78-6484
愛知県安城市東栄町1-9-5 マルゲンビル 1F
https://tabelog.com/aichi/A2305/A230503/23055088/

サンパウロさんとはお付き合いが長く、こちらのレストランをほぼ無償で貸し切りにしてくれて、卒業式をさせて頂いたり。

2019年の卒業式

本当にお世話になりまくっている皆様です。

そして、さらにお付き合いが濃くなったのは2020年に挑戦したクラファンがなんとか成功し、サンパウロさんが子供たちの給食を提供してくれるようになってからです。

クラファン以降、ネクターで出しているブラジル料理のお弁当給食

コロナ禍で最初に深刻な打撃を受けた飲食業でしたが、在日ブラジル人向けの飲食サービスを提供しているサンパウロさんもかなり危うい状況にありました。そんな中、食事をなんとか提供したいサンパウロさんの悲鳴を聞き、コロナ禍の苦しい状況でも子どもたちにしっかりとご飯たべてほしいという私たちの願いが合致し、あとはお金をどうにかしなきゃ!ということで、クラファンで集めさせて頂きました!🙏🏻

こちらのプロジェクトで頂いた温かいエールのお陰で、約一年間、学校の子供たちに毎日できたてのブラジル料理を提供することができました〜!

本当に助かりました。親御さんたちからも「ブラジル学校は外国人家庭の味方」だという信頼をさらに得ることができと感じています。学校としても、得るものが大きかったと思います。

サンパウロさんへの感謝の気持ち、そして女将のジャイネさんへの挨拶をかねて定期的に私も校長や先生たちとご飯を食べにいっています。

私がいつも「ジャイネおばちゃん、プルルカある?今週末いくよー!」と事前に声をかけるほど好きなのが、豚の皮と脂の部分をラードで揚げたプルルカです!ちょいとベビーですが、私の大好物です笑笑

奥にプルルカと手前のヴィナグレッチェ


東京で暮らしていた頃、ちょっとお高めな都会のシュラスコレストランなどにも通いましたが、ここ、サンパウロのプルルカは日本一だと思います!

ほんとーにうまい!とまらない!多少胃もたれしても、食べ続けたい!笑

他にもブッフェ形式でブラジルの家庭料理が日替わりで食べられます。豆と豚肉や牛肉を煮込んだフェイジョアーダに、ラザニア、そしてファロッファなど、私はいつもブラジルのおばあちゃんの家を思い出しますね。

ブッフェではデザートも何種類か用意されていて、ブラジルのプジン(プリン)やイチゴのムースなど国民的に愛されるスイーツがいつもあります。

料理って本当に心に沁みますよね。私はブラジル料理を食べるといつも幼少期やブラジルに帰国したときを思い出します。

この日はお店もいつもより空いており、ジャイネさんと座ってお話する時間がありました。

最近、家庭の事情により、お孫さんたちと国境を越えて離れ離れになり、次いつ会えるのかわからなくなってしまったととても悲しんでいると話をしてくれました。以前は、お店に来るたび、お孫さんたちが遊びにきていて、私も何度も自分の子どもと一緒に遊んでもらったことがあり、人懐っこくてとても愛らしいお孫さんたちでした。そうなってしまった経緯を話す中、涙ぐみながら言葉につまり、とても辛そうなジャイネさん。国境を移民の子どもが跨ぐということは、子どもたちにとっても辛いことが多いですが、周りの家族にとっても心を引き裂かれるような気持ちになりますよね。

色々な制度や各国の法律の狭間で、ジャイネさんにできることはなく、ただ現実を受け入れるしかないのに、ご自身では抱えきれない悔しさをどこにも追いやれない様子でした。

そんなジャイネさんも、一息ついて、涙をぬぐって、またキッチンへと戻っていき、美味しいブラジル料理を作り続ける。

ネクターの美味しい給食が毎日作られるサンパウロのキッチンでは、こうしてジャイネさんの気持ちの葛藤や、どこにも向けられない悔しさを忘れるために無心になりながら、じゃがいもの皮をむいたり、肉に下味をつけたり、そういう日々があるとこの日は知りました。

色々な人生や物語がクロスするブラジル学校、そして移民のコミュニティ。
それでも、毎日ベッドから起き上がり、自分が与えられた仕事をしていく…

そんなブラジル人女性の姿が、ネクターの校長とも重なりました。
どんなことがあっても自分のミッションをやり抜く。

これって本当に偉大だと感じています。




みんながご飯を食べ終わると、いつもなんとなく始まるカラオケ大会。笑

シュラスコ屋の女将ジャイネさんとブラジルのラブソングをデュエットする私

キッチンからまた出てきたジャイネさんを誘って、ネクターの校長が大好きなブラジルのポップ界のキング、ロベルト・カルロスのラブソングを熱唱し始め、ジャイネさんもこの日はとにかく歌いたかったようで、90年代の渋いJPOPを歌ってくれました。欧陽菲菲の「ラブ イズ オーバー」やテレサテン「時の流れに身をまかせ」など、日系人が多く来日した90年代の名曲をローマ字表記のカラオケ画面を見ながら、きれいに歌っていました。

私も日本のカラオケ屋には絶対にない LEANDRO E LEONARDOのバラードを歌い、懐かし~!感激してしまいました。ブラジルのカントリーミュージックでもあるセルタネージョのジャンルで90年代に大ヒットしていた彼らのアルバムは、私が3歳で来日した時、ブラジルから持ってきていたCDで、人生で初めてのお気に入りの一枚でもありました。日本に来たばかりのころ、友達もまだいなくて、ママと家でこのアルバムをかけて一緒に歌って遊んでいたのを思い出しました~。


ポルトガル語でyou raise me up を歌う2人

そして、最後は二人でポルトガル語で「YOU RAISE ME UP」を歌い上げ、

When I am down and, oh my soul, so weary
わたしが上手くいかず落ち込んでいて、
わたしの魂がとても弱っている時、
When troubles come and my heart
burdened be
苦境の時がやってきて
わたしの心が押しつぶされそうな時
Then I am still and wait here in the silence
わたしは心を乱さず静かに、
ここで待ち続けるよ
Until you come and sit awhile with me
あなたがやって来て、私の側に
しばらくの間いてくれるまで

You raise me up so I can stand on
mountains
あなたはわたしを勇気づけてくれる
わたしが困難な山に立てるように

YOU RAISE ME UP の和訳

二人は静かに歌い上げ、「日々に感謝して、歩み続けようね」と互いに声を掛け合い、この日は解散となりました。


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