失恋して服を作る彼女のこと

失恋をしたときに、人は何をするだろうか。大泣きをする人もいれば、お酒を飲む人もいるだろう。感傷的な映画を見たり、反対に大爆笑できるテレビを見る人もいるかもしれない。

彼女は服を作った。

彼女が失恋をしたばかりのころ、たまたま二人で会う機会があった。失恋の感想として、彼女は「どうせなら触ってほしかった」と言っていた。その言葉に悲しいくらい共感できて、私は「わかる」と言った、らしい。正直、記憶にない。

その1年後、彼女はその時の気持ちをもとに服を作った。

タイトルは「おっぱいのお墓」。

彼女とは、私塾のファッション学校で出会った。ファッション技術の習得というよりは、リサーチなど、もっと根本的なアイデア発想の方法を学ぶ場所。服飾の学校に通う学生が多い中で、20代後半で年が近かった彼女とは、講義の序盤からよく話すようになった。

彼女はとても変わっている。それは作品にもよく表れている。

学校の最初の課題は、A4サイズ(A3だったかもしれない)で自分を表現する作品を作ることだった。

その時彼女が作ってきたものは、手のひらサイズの犬だった。可愛らしい座布団に座っている。「目の前の事象になんでも影響を受けてしまう」という習性を、犬の舌に例えた作品だった。

その発想力と逸脱力に脱帽した。

それ以外の作品も、忘れられないものばかりだ。自分でデザインしたトップスの喉元には「Throat(喉)」って書いてあるし、ペンキを塗るローラーのようなもので眉を描く道具を作ることもあった。


課題で作った作品の通り、彼女は自分の周りの出来事への感度が高い。講義の生徒同士のやりとりで少し不穏な空気になった時、敏感にそれを察知する。音楽の詩や本で読んだ内容にもよく影響を受ける。

でも、それらを作品に落とす時は、その感覚の生っぽさがなくなり、きちんと調理された料理として生みだすのだ。それも、決してそれを味わう人を悲しませたり嫌な気持ちにさせない、暖かくて頬が緩む料理にして。

私より年上なのに、好奇心旺盛で子供みたいで、作品もユーモラスがあってゆるい。だけどその奥にちょっとだけひねり、というか、ついツッコミたくなる戦略的ボケがある。関西弁が全くきつくないくせに、根は間違いなく関西人なのだ。


そんな彼女は、去年ファッションのコンテストに挑戦したらしい。残念ながら入賞は逃したそうだけど、審査員の誰かは、彼女の作品を見て「クスッ」と笑ったんじゃないかと思っている。

#あの子のこと #好きな人 #日常

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