途上国と草の根
途上国とはいえ、ピンキリ
もちろん、私はキリの生活。
首都にいる日本人の暮らしは羨ましかったり、厚かましく思えたりする。
運転手付きの車にのる人
出張だの休暇だので私の見たことないマダガスカルを行く人。
「〇〇は良かったですよ〜」という会話の多いこと。
マダガスカル人に英語又はフランス語で捲し立てる人。
組織での自分の生き残りばかり話す人。
オンラインやら何やらで自己研鑽する人。
それに比べて私は、
いっぱいにならないと動かないバス。
任地に留まることが仕事の日々。
マダガスカル語で捲し立てられる日本人1人。
写真さえ送れない我が家の電波。
「絶対にこの経験は、将来役に立つ」と言い聞かせながら、「明日死んだら、どうするんだよ」ともがく日々。
華やかに見える世界はあれど、そんな世界に負けてたまるかと思う。
自分のいる場所を、この環境を、握りしめてグチャグチャになる程に肯定してあげたい。
わたしの爪の垢は、ここの人々の文化を煎じて飲んでいる証なのだろうか。
上辺の草の根で満足
呟くこと依存症の私は、日々のモヤモヤをこの社会の不平不満に変えて呟いてしまう。
ある日の呟き。
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「草の根」
草を引き抜いたら出てくる根っこのことですよね。
引き抜くという行為は、都会から良い車で来て何十分の滞在では満たされるはずありませんよ。
あなたたちは引き抜くこともせず、土の上の草を見て、満足する。
こちらは、共に生き、引き抜いてみるが未だ理解できないことだらけ。
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これは特定の人のことではないのだが、私たち隊員が日本人来訪者のために活動を見せることは往々にして存在する。
その度に、隊員は先方の都合に合わせて計画する。そして、任地の人々に都合をつけてもらうようにお願いする。
来訪者が見るのは、用意された「草の根」である。
そこには、何か施しを得ようと色めき立ち、普段は隊員に何ひとつ協力しない人が現れたりする。
そして、それを知らずに、「貧しい人へ何かをあげよう」と何かを施そうとする人もいる。
ただ何か満足気に、何かを知りきったような顔で帰っていく。
私にとっては、むやみやたらと人間関係をかき乱していくだけの時間のように思える。
ずっとここにいて、何にも理解できたように思えない私にとって、あの満足そうな顔は理解ができない。
あちらとこちら
「こちらの世界から抜け出して、早くあちらの世界に行きたい」と何度思っただろうか。
しかし、こちらの世界の方が自分の性に合っていり気もする。
自分を振り返る時に、よく言う言葉がある。
「あの時はとても辛かった。でも、その辛さを経験できて良かった」
私のこのネガティヴな性格は、どこに行っても楽しみよりも苦しみの方を感じてしまうのだろう。
ただ、その苦しみは愛おしく、ちゃんと「ありがとう」を伝えたい。
ここの時間も間違えなくそう振り返り、いつか宝物のような思い出になるのだろう。
それは、あちらの世界の人にはわかりきらない、私のこちらの日々を生きているからだ。