女性って何だろう
マダガスカルで、女性でいること、妻でいること、それは喜びもあるのだろうが、それにしてもしょっぱい。
そう思わされた最近の出来事です。
若年妊娠とDV
月曜日の午後に日本語をある女性に教えに行くことになった。
正直、1人に教えるのは効率が悪いから普段なら断る。しかし、彼女が心配だっから、引き受けることにした。
私が彼女に会ったのは、同僚に頼まれたからである。
「あなたに会いたがっていたよ。彼女は旦那に暴力を振るわれてるから、今は無理矢理私の家に住まわせているの」
彼女は23歳、5さいと0さいの二児の母。
若年妊娠とDV
ここのコミュニティは狭い。私の周りのおばちゃんたちは、みんな彼女の事情を知っていて、何にもないように彼女に接しているが、あまり良く思っていない。
「彼女は、早くに妊娠して、学校を辞めた」とあるおばちゃんは教えてくれた。
彼女の孤独
日本語を教えに、彼女の家に行った時、私は彼女の孤独を悟ってしまった。
ベットもテレビもキッチンもちゃんとあるのだけど、なんだか寂しい家でここであったかい家族団らんが営まれているようには感じなかった。
おせっかいかもしれないが、彼女の様子を定期的にみておく必要があると感じた。これから、友達の距離感で彼女と触れ合っていくことにした。
地域で保健ボランティアとして働いている同僚によると、そんな女性は多いらしい。
暇を持て余す主婦が、最近は楽しそう。
私は、私の同僚の義理の姉を時々自分の母親に重ねることがある。なんだか母に似ている。
手先がとても器用で、優しく、ユーモアに溢れている。たまに、夫の愚痴をこぼしながらも、家族を支えている彼女はとても逞しい。そして何よりも、私を縛ることもなく、自由にさせてくれるが、いつでも受け入れてくれる。
そんな彼女とは居心地が良いので、活動がない時は、いつも一緒にいる。
「何かすることが欲しい」
彼女は、専業主婦でいることが退屈らしい。しかしながら、子どもの学校の送り向かいがあるから、今は働きに出ることができない。
「何かすることが欲しい」そう言っていた。
刺繍という特技
彼女は私の裁縫作業をよく手伝ってくれる。
ある日、私が米袋でトートバッグを作っていると、彼女が牛の刺繍を施してくれた。私が下絵を描き、彼女が刺繍。顔だけは彼女のオリジナルだ。
それがこれ↓
なんだかこの牛の表情がなんとも言えず、愛着が湧く。私は、会う人会う人に自慢して回った。そして、彼女もまんざらでもなく、誇らしそうだった。
オシャレするという楽しみ
次の日に彼女の家に行ってみると、彼女も自分で米袋でトートバッグを作り、自分で刺繍し始めていた。昔から刺繍は得意だったらしい。一つ完成するたびに、私に見せてくれる。なんだか、彼女の顔が生き生きとしていて、嬉しそうだ。
そして、彼女は言った。
「これを持って教会に行くの!お金がないから、あまりオシャレできなかったけど、これからはこれを持っていく!」やっぱり、マダガスカルの女性もオシャレが好きなのは、私と変わらないらしい。
この刺繍は、彼女が自分で考えて始めたことだけど、なんだか彼女の喜ぶ顔のきっかけになれて嬉しかった。
実際、彼女のように専業主婦で暇を持て余している女性たちは、結構多いはず。きっかけ次第で、女性たちは子育てや家事以外の生きがいを見つけ出せるのではないか。
妻と夫
マダガスカルの女性を見ていると、一度家庭に入ってしまうと、女性の立場はとても弱いように感じる。
男性の威厳と言えば、聞こえがいいかもしれないが、女性の家庭での権利はそれに背反するものではないはずだ。
DVを受ける女性、使えるお金が限られている女性、家に閉じ込められる女性、男性に意見できない女性。
彼女たちが弱いわけではない。
彼女たちが弱いわけではない。しかし、彼女たちは、外でお金を稼いでくる男性たちに財政面でどうしても頼るしかない。それゆえに、まかり通ってしまう男尊女卑の習慣が、彼女たちを弱い立場に虐げているのだろう。
「女性がお金を稼げる方法を見つけたらいいのではないか」
そう考えているのだが、女性たちがお金を稼ぐことを許さない男性も少なくはないそうだ。
「なんなんだ、男よ!」とため息をつきたくなるが、みんながみんな悪い人たちでもないのは知っているので、責めたくはない
が、しょっぱすぎるんだよ、この状況!
「女性のエンパワーメント」はここでの大きな課題だ。
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