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《展覧会の絵》:宇野昌磨の《オーボエ協奏曲》のプロムナード

この記事は、2022年1月4日に公開されたMikhail Lopatin氏による"«Pictures at an exhibition»: A promenade in Shoma Uno’s «Oboe concerto»"を日本語に訳したものです。
 翻訳にあたり、原著者のMikhail Lopatin氏に了承をいただき、公開の許可を得ております。
 インタビュー内容を転載、引用する場合は、転載元を示す本noteのURLを付記願います。※全文の転載はおやめください※

※本文中のwikipediaへのリンク等は、私が追記したものです。

著者:Mikhail Lopatin

英語による元記事
«Pictures at an exhibition»: A promenade in Shoma Uno’s «Oboe concerto»
ロシア語による元記事
«Картинки с выставки»: Прогулки по короткой программе Шомы Уно

※訳注:タイトルのプロムナードについて:
モデスト・ムソルグスキー作の組曲『展覧会の絵』の冒頭、および絵をモチーフにした曲同士のつなぎとして、少しずつ違う調子で何回か流れる小曲に「プロムナード」がある。

プロムナード - Wikipedia


大階段にて:イントロダクション

 過ぎし2020年、春から夏にかけてのオフシーズンに、宇野昌磨のレパートリーに新たなプログラムがお目見えし、すぐさま《オーボエ》という愛称で呼ばれるようになりました。もともとは、迎える2020-2021年のショートプログラムにするべく宮本賢二氏が振り付けを行いました。ですが様々な理由から、その構想は翌年のオリンピックシーズンの始めまで休眠状態になり、アイスショーや試合後のエキシビション用の曲へと一時的に姿を変えたのです。
 
 
  音楽的に、《オーボエ》は2つの対照的なパートに分けられ、それぞれ協奏曲を基にしています。プログラム前半にアレッサンドロ・マルチェロの「オーボエと弦楽合奏のための協奏曲 ニ短調S D935(第2楽章)」を使用し(そのため《オーボエ》の愛称になりました)、アントニオ・ヴィヴァルディの「チェロ協奏曲 ハ短調 (RV 401)」がプログラムのダイナミックなフィナーレ(ステップシークエンスと最後のスピン)を形作っています。この二曲は同じ時代の頃(バロック時代後期――18世紀の前半頃)、同じ場所(ベニス)で作曲されるなど様式的にも近いものです。

 宇野昌磨と宮本賢二氏の《オーボエ》は2020年の終わりごろ、2020年12月開催の第89回全日本フィギュアスケート選手権に続く「メダリスト・オン・アイス」で初めてデビューし、その数週間後、2021年1月の名古屋フィギュアスケートフェスティバルでも披露されました。

 このプログラムが本来の役目――昌磨のショートプログラムとなったのは、2021-2022年、オリンピックシーズンの始めでした。その馴染み深くも新しい姿で、《オーボエ》はシーズン前半のスケートアメリカとNHK杯に、そしてつい最近の全日本に姿を現しました。

 2020年後半から2021年すぐに初めて披露してから、《オーボエ》はその鋭い表現力と、プログラムの複雑な音楽と振付要素を調和させるスケーターの技量をもって印象付けられました。以前から知られていたことではありますが、一般的に、バロック音楽の、特に弦楽器のより暖かな音色、例えばバイオリンやチェロは昌磨のスタイルに非常によく合うと知られていました(2017-2018シーズンのヴィヴァルディ、2014-2015シーズンの《クロイツェル・ソナタ》が思い出されますね)が、《オーボエ》はこの方向へまた数歩前進させたのです。

 過度なバロック様式、装飾的なエクストラヴァガンザ(※訳注1)が、デザイナーのMathieu Caron氏作による昌磨の衣装に全て投影されています。

※訳注1 様式や構造に囚われず自由であることが特徴の文学または音楽作品、あるいはミュージカルの作品

エクストラバガンザ – Wikipedia


credits: @yawning_shoma

 このプログラムそれ自体もまた――その音楽性、色鮮やかなコントラスト、彫像のようなポーズ――は、16世紀後期から18世紀始めまで続いた後期ルネッサンス―バロック様式の芸術との類似点や関係を多く連想させます。この記事では、これら関連するものを媒体(音楽、絵画、彫刻)ごとに収集し、分類し、読者の皆さんを《オーボエ》の架空の展覧会にご案内したいと思います。

 それではFFP2マスク着用とコロナワクチン証明書のご準備をお願いします――美術館に入っていきましょう!


展示室 #1

ベネチアのバロック音楽:音楽性について

《[彼は]神に見捨てられた世界の多くの場所で、私に事あるごとにたくさんの喜びを与えてくれた》

ヨシフ・ブロツキー ――アントニオ・ヴィヴァルディについて

 私たちは第1展示室に入ったところです――と言うより、いくつかのガラスケースが並ぶ、狭くて細い通路ですね。「ベネチアのバロック音楽」と書かれた題名がまず目に入ります。入り口近くに設置された、最初のガラスケースまで移動しましょう。ガラスの下には、変わった音符が踊る黄ばんだ楽譜が展示されています――古い写本や印刷された楽譜のページのようです。近づいて見てみましょう――最初の数ページに書かれているのは、アレッサンドロ・マルチェロの名前と……ヨハン・セバスティアン・バッハ!


上:ヨハン・セバスティアン・バッハによる、マルチェロの協奏曲のアレンジ
(後世にコピーされたもの)
左下:マルチェロのオーボエ部分初版
右下:もう1枚のバッハのアレンジコピー

 ページは、有名なオーボエ協奏曲ニ短調のゆったりとした楽章で埋め尽くされていて、現在ではベネチア出身の作曲者、アレッサンドロ・マルチェロ作によるものと現在でほぼ確実に認められています。この出典が明らかになったのはごく最近のことで――実際に、原作者問題が解決したのはつい最近なのです。過去には、他の作曲家によるものだとされていました。その中にはアレッサンドロの兄弟であるベネデットやアントニオ・ヴィヴァルディ、そして、おそらく一番びっくりするのはヨハン・セバスチャン・バッハがいます。そうなった主な理由は、この協奏曲が最初に世に出たのが1715年頃で、我々が知るところのバッハ編曲として作品だと伝わっているからです。1710年代、バッハは当時のイタリア音楽、大抵はヴィヴァルディの協奏曲を頻繁に改曲していました。※訳注2
 不思議なことに、マルチェッロ作品の初版が出版された1717年頃より前にバッハはこの改曲を行っているのです(このページは、バッハの写しの一つとしてこのページ上部に一緒に載せているものです)。ということはつまり、バッハはマルチェッロの未発表曲の写本を直接入手したに違いありません。これで、この作品の旧版に起きた、他の作曲者によるものだという誤解や混乱の説明がつきます。

※訳注2 改曲 transcribe ある楽器(または楽器群)のために書かれた楽曲を、元の楽器とは異なる楽器(または楽器群)での演奏用に再度書くこと、書き直すこと )

ベネデット・マルチェッロ - Wikipedia

 昌磨のプログラムは二つの音楽パートから構成されていて、最初のパートだけがマルチェッロのオーボエ協奏曲を使用していると覚えておくことが重要です。ステップシークエンスが始まると、我々は偉大なベネチアの巨匠、アントニオ・ヴィヴァルディが作り上げた全くの別世界にいざなわれます。   こちらへ来て、2つめの展示ケースを見てみましょう!


トリノ、国立大学図書館、Giordano 28:第1楽章の導入部(上)と、最終楽章(下)

 ここでは、ヴィヴァルディ研究者の中ではかなり有名な写本「トリノ国立大学図書館所蔵のGiordano 28」から、数ページの原稿を見てみましょう。これらのページはヴィヴァルディのチェロ協奏曲 ハ短調(RV 401)の第1楽章と最終楽章を語り継いでいます。昌磨のプログラムの後半部分、ステップシークエンスから耳にする音楽はこの最終楽章にあたります。

 これらの2曲をお聞きになりたいのであれば、展示ケースに備え付けてあるヘッドホンを手にお取りください!覚えておいてください、我々の展覧会は最近の傾向のように完全にインタラクティブとなっております。展示品をご覧いただけるだけではなく、実際に触れることも、音楽をお聞きいただくことも、またもしお望みでしたら、その匂いを嗅ぐことも可能となっております。

 聞き終わりましたか?それでは、近くに設置しているスクリーンをご覧ください!そこでは、氷上で流れる同じ音楽を《見る》ことができます――こちらはあっという間にあなたの注意をすべて引きつけてしまうとあるスケーターによって、皆様のために分かりやすく視覚化しております。そのスケーターとは、もちろん、宇野昌磨です。

 いかなる音楽スタイルでも表現する昌磨の音楽性と能力は、細かい説明も申し立ても必要ありません。その代わり、とりわけ重要な詳細をいくつか上げておくにとどめておきましょう。画面で見られる最初の簡単な例は、振付の構造と音楽のフレーズの間にある構造関係について。こちらはプログラム最初のジャンプを跳ぶ昌磨です。(名古屋フィギュアスケートフェスティバルでのトリプルアクセル、NHK杯での4回転フリップ)

 最初のジャンプは、プログラムの2種類のバージョンによって異なる場所に配置されています――当然のことですが、四回転フリップは跳ぶ前の準備と、ジャンプを実施する際にトリプルアクセルよりも少し長い時間が必要になります。とは言え、このことは音楽と振付の構造全てに影響はしません。両方のバージョンとも、最初のジャンプは2つの音楽のフレーズの間にある境界線を強調しています。トリプルアクセルは最初のフレーズの最後部分をより強調する部分に配置されており、四回転フリップは続くフレーズの開始部分に配置されています。どちらがより良いでしょうか?私個人の好みでは、プログラム中2番目のジャンプの配置を考慮すると、前者(名古屋フィギュアスケートフェスティバル)バージョンが好みですね(トリプルアクセルも同じく)。

 とは言え、後者(NHK杯)バージョンでは、ジャッジにとっては分かりやすいかもしれません。――見た目的にも音楽的にも、ジャッジは追加のGOE弾を一発与えなければならないような、より型通りの’音楽に跳び込む’(非常に正確に、強い拍で着地している)形だからです。

 現在スクリーンに映し出されている2つ目の例は、一見しただけではさほど印象に残らないように見えます。この例の真相を究明するには、音楽のフレージング(楽句の区切り方)を多少理解しておく必要があります。ですが、一度ある細かなディテールに気づき始めると、昌磨の音楽性のより深く、根源を成す層を更に理解するようになります。これはマルチェッロの協奏曲の第一(導入)セクションにあたります。(第一セクションが)終わろうとしているところ、オーボエのメロディーが始まる直前、スケーターは氷上で優雅なターンを行い、最後に前を向いてプログラム中の最初のジャンプ――我々が先程見たもの(最初のジャンプのトリプルアクセル、或いは4回転フリップ)――を跳ぶためにスピードを上げていきます。ターンそれ自体に特別なものはなく、このプログラムにたくさんある型通りのターンとステップの一つでしかありません。これを特別なものにしているのは、このターンが一つのセクションの終わり部分と、次のセクションの始め部分とを調和させているその方法です。このスケーターが持っている音楽への感受性、聴いて表現する能力があらわになっている部分なのです。

 大きな要素(ジャンプやスピンなど)が音楽に合わせて演技される時、《ド直球の》音楽性といったものが生み出されます。ですが、スケーターが音楽に特に敏感であることを意味するわけではありません。この種のコツは、トレーニング期間中に幾度となく繰り返すことによって、容易にタイミングをぴったり合わせることができるからです。音楽性が持つ、より繊細で深い層の重なりは、そう簡単ではない方法でその姿が明らかになるのです。リズミカルなテンポで行う小さなステップやターン、局所的な音楽のアクセントを強調する素早い首と頭の動き――曲のテクスチュアやメロディーラインの中にある、極めて小さな折り目やひだ。音楽性――スケーターが音楽を”通して”ではなく、音楽”に”合わせてスケートを滑る印象――は、こういった細かな部分でそれ自身の姿が現れます。昌磨のスケートには、それが豊富にあります。時折、予期しない事態が起こって、大きくて重要な音楽のアクセントを外してしまうかもしれませんが、昌磨は決して音楽から外れることはありません。昌磨は決して、音楽の表現に失敗することは無いのです。

 この高音に乗って、展覧会の次のエリアへ進みましょう。

テクスチュア - Wikipedia

展示室 #2

後期ルネサンス絵画:キアロスクーロの影響

《このステップシークエンスは本当に美しい!(異なる)動きでたくさんのキアロスクーロ(的なことをしてる)、重要で個性的なターン(をするための)昌磨の素早さ、スピード――すっごく気に入ったわ!》

フランカ・ビアンコニ――宇野昌磨のNHK杯オーボエ協奏曲について

 著名なフィギュアスケートのコーチであり、イタリア放送協会の解説者であるフランカ・ビアンコニはNHK杯での昌磨のスケートについて、素晴らしい言葉をたくさん伝えてくれています。――ですが、私には、一つの言葉が特に際立っていました;名詞の”キアロスクーロ(chiaroscuro)”、ここでは複数形の(chiaroscuri)が使われています。ここで意図された意味は、より普遍的な《陰》もしくは《コントラスト》に違いないでしょう、ですが言葉の語源を探ると、我々を再び後期ルネサンスから初期バロック時代へ呼び戻します。その時代、” キアロスクーロ”は技術的な意味を持っていました。もともとは、特定の絵画の描画方法を指すもので、人物やオブジェにボリューム感、形状を与えるために矛盾なく光の効果を使うことで、それと同時に、作品のより広い構成レベルで光と影のドラマティックなコントラストを生み出すのです。特に後期マニエリスムとバロック時代に見られました。

キアロスクーロ - Wikipedia

 キアロスクーロ《光―影、明暗》は昌磨の《オーボエ協奏曲》のステップシークエンスを理解し可視化するのにまさにぴったりで、役立つ隠喩でしょう。というわけで、気が付くと我々はカラヴァッジョの絵画に囲まれています。


カラヴァッジョ、荒野の洗礼者ヨハネ(ネルソン・アトキンス美術館、カンザスシティ)

 ですが、キアロスクーロはどのように、どのような手段で、音楽的・振付的に役割を果たすのでしょうか。キアロスクーロ(一つでも、2つ以上でも)を生み出すためには、一つは強いコントラストが必要です。例えば、遅いテンポと早いテンポ、あるいは滑らかなアーティキュレーション(レガート)とスタッカートのアーティキュレーション、あるいはリズミック(律動的)とメロディー(旋律)のコントラスト等々があるかもしれません。昌磨のステップシークエンスの伴奏となっているヴィヴァルディの音楽は、実際にこれらのコントラストで満ち溢れています。

アーティキュレーション (音楽) - Wikipedia
レガート – Wikipedia
スタッカート (音楽) – Wikipedia

 光と影のコントラスト全てを振付で表現するには、幅広い表現手段を等しく習得する必要があるでしょう。音楽が要求する時にいつでもスピードとリズムをドラマティックに変え、特にヴィヴァルディの音楽が持つ鋭い不協和音のテクスチュアやハーモニーのニュアンス(陰影)を表現する上半身の見事な柔軟さと柔らかい腕。最後に、音楽の”レガート”や”スタッカート”のアーティキュレーションのタイプを調和させる様々なタイプの動き。ヴィヴァルディが持つキアロスクーロ(明暗)を氷上に映し出すには、スケーターは全身を――腕だけ、足だけではなく、文字通り体の部分を一つ残らず――使い、音楽のセンス(感覚、印象、要点、意味)を忠実に伝える表現手段になる必要があります。

 展示室にある1台のスクリーンのところへ行き、興味深いディテールをいくつか見てみましょう。1つ目のクリップ動画は、鋭い不協和音の表現と、この不協和音を振付で強調させているその方法についてです。同じ音楽的アイデア(音楽で表現される概念、思想、構想)の表現方法2つをつなげています。一つは初期のエキシビションバージョン(メダリスト・オン・アイス、2020年12月)、もう一つはグランプリシリーズ中と思われる、後期の競技スタイルバージョンです。

 オリジナルのエキシビションバージョンは表現に富む頭を回す方法でこの不協和音を伝えている一方、ショートプログラムの方はよく見る手のジェスチャーに変わっています。あなたがお好きな方はどちらであっても(私は元のエキシビションバージョンのほうがより表現豊かだと思います)、この独特な不協和音が、ステップシークエンス全体の中でも重要なハイライトの一つであることは明白です――絵画の黒い背景に描かれた光の筋のように、非常に意図した通りのドラマティックなコントラスト、緊張感、ボリューム感、形を生み出します。

 2つ目のクリップ動画は、テンポの変化についてです。(コントラストがより鮮明に見えるカメラワークなので、エキシビション用を用意しました。)


 私が感銘を受けたのは、(まるで、昌磨の動きが)映画産業で《overcrank(早回し)》として知られている手法の様だからです。――その独特な動きは、カメラのフレームレート(1秒あたりのコマ数)を通常より高く設定して撮影し、それから普通のスピードで再生することで、観客はスローモーションのように感じるというものです。昌磨の動きは完成されていて仕上がっていますが、目に見える努力――演技している中で、あたかもスケーターがある種の物質的な抵抗といったものに打ち勝たなければいけないかのように、(個の動きを)作り出しています。テンポの早い背景に逆らっているこの一片の動きは明らかに際立っており、ステップシークエンスの中でまた別のドラマティックな《キアロスクーロ》を作り出しています。

 また、さらにこのプログラム全体のある重要な側面が含まれており――”フリージング・モーション(凍結する、ピタッと止まる動き)”、多数の彫刻のようなポーズを取る傾向があります。

 それでは、こじんまりとした展覧会の最後の展示室へと進みましょう。

展示室 #3

彫刻:フィレンツェのマニエリスムの芸術家

《宮本賢二先生に振り付けしてもらってるんですけど、彫刻のような変わったポージングが多い。》

宇野昌磨 コラントッテトークショーにて(2021年5月)

日本語ソース

 あちこちに印象的なポーズを取り入れている昌磨のプログラムは多いですが、《オーボエ》は、その最も個性的な特徴の一つである表現に富んだ彫刻のようなポーズをすることで、この傾向を更に強めています。彫刻が織りなす普通では見られない手、足、上半身の形、それと同時にその圧倒的な量で、これらの表現力に満ちたポーズが、私達の注意をあっという間に引き付け、影響を与えたかもしれない元となるもの、影響を与えたかもしれないものについて考えさせるよう、私達に挑戦してくるのです。また、この彫刻のようなポーズが、プログラムのこの上なく《流動的》でシームレスな――真の”バロック”的な――振付の構造の中で、重要な構成の役割を担ってもいます。


 これまでにない手の使い方と上げた右足のポーズが、他のどれよりも傑出しています。


 このプログラムのイメージや観念について得られた唯一の手がかりが、この豊富なポーズに正しく関係しているスケーター自身からだったことは、本当に嬉しい偶然でした。このポーズは美術館の珍しい形をした彫刻に関係していると。ですが、これらの印象的な手の形が見られるのは、どの彫刻でしょう――そしてどこの美術館にあるのでしょう?もし彫刻の模倣であるなら、美と調和の古典的な規範から遠く逸脱している彫刻に違いありません。不安定な左右非対称のライン、手と手首の変わった形、まるで彫刻が重力に抵抗しているかのような不安定さと’軽やかさ’――これらは16世紀の中期から後期にかけての、イタリアにおけるマンネリズム(マニエリスム)の主な特徴でもあります。有名なジャンボローニャの彫刻は別として、最後の展示室に並べられている他の作品は全てベンヴェヌート・チェッリーニの工房から来たものです――ベンヴェヌート・チェッリーニは16世紀半ばのフィレンツェに存在した、最も自由奔放な金細工職人、彫刻家、執筆家、そして冒険家の一人です。

マニエリスム – Wikipedia
ジャンボローニャ – Wikipedia
ベンヴェヌート・チェッリーニ – Wikipedia


 言うまでもないことですが、宮本賢二氏が文字通りの彫像の’コピー’を昌磨に作らせたかったのだと主張するのは無意味なことです。その代わり、私がここでお伝えしたいのは、これらの彫刻と、昌磨のポーズの間に、腕、足、頭、そして上半身の形が示すような様式的な類似性がふんだんにあり、前者(彫刻)が、後者(昌磨のポーズ)のインスピレーションだったかもしれない、と多かれ少なかれ説得力を持って主張できる角度があるということです。


 昌磨のプログラムの中で生み出されたポーズの多くは、関連した様式の美術館の展示にあっても場違いに見えることはないでしょう――そう、フィレンツェにある有名なバルジェロ美術館であっても。

バルジェロ美術館 – Wikipedia

バルジェロ美術館の近所にある小さなバーにて:あとがき

 2015年12月、サンマルコ広場にある小さなバーで――フィレンツェにあり、さほど有名ではないベネチアの広場ですが、実はここはバルジェロ美術館からそう遠くない場所にあるのです。温かい食前酒、一杯のキャンティとともに過ごした夕べを、私は忘れることはないでしょう。私が控えめな夕食をとっている間、2015-16シーズンの6人のトップスケーターたちがバルセロナで開催しているグランプリファイナルを競っています。もちろん私もウェブサイトのリザルトページを何度も更新しながら、この戦いを追いかけていました。選手が次々と得点を獲得していっています!ある時点で、この大会は出場選手達によって生み出されたトップスケーターたちが目玉になっており、その品質も、この大会は歴史的なものであり、もしかしたらこのスポーツにおいて、ここ近年の中でも最高のものであると徐々に明らかになってきました。大会が終わるやいなや、パトリック・チャン、ハビエル・フェルナンデス、羽生結弦らが作り出したであろう最高傑作を予想しながら、すぐさま私は動画や配信を探し始めました。すると、予期していなかったことが起こったのです。緑色の衣装を身に着けた小柄な人物が氷に降り、スタートポジションを取りました。プッチーニの《トゥーランドット》の最初の並行オクターブが流れます。すると突然、その緑色の小柄な人物が、圧倒的な表現力を持ち、情熱的で妥協のない”現実主義”である大きなスケーターに姿を変えたのです。彼はあっという間に会場全体を埋め尽くし、私は言葉を失ってしまいました。このプログラムのほとんどの間中、私はまだ確信が持てず平静を装おうとしていましたが、最後のクリムキンイーグルで決まりました。その日、私は昌磨のスケートに恋してしまったのです。

 今日、フィレンツェでの思い出深い食前酒を味わった日から約6年が経ちます。良い時も悪い時もあった昌磨の歩んできた道を追い、彼が滑り、戦う姿を見るためだけにヨーロッパとロシアを何度も飛び回ってきた私ですが、率直に、全ての情熱をもって、ブロツキーがベネチアにある小さなブラゴラのサン・ジョヴァンニ教会――ベネチアの巨匠、アントニオ・ヴィヴァルディがかつて洗礼を受けた場所です――にたどり着き、ヴィヴァルディの音楽と、その音楽が怒りと自暴自棄の中にいた彼の心にもたらしてくれた喜びを思い出した時の言葉を繰り返すだけしかできません。私は彼の言葉を、昌磨の誕生日に、昌磨自身と彼のスケート、そして私の人生におけるインパクトを語る言葉に書き直すだけしかできません。

《[彼は]神に見捨てられた世界の多くの場所で、私に事あるごとにたくさんの喜びを与えてくれた》

ヨシフ・ブロツキー ――アントニオ・ヴィヴァルディについて

 誕生日おめでとう、昌磨!

追記:これはロシア語の記事を英語に翻訳したものです。原文はこちら

コラージュ画像をこの記事のメイン画像として快く使用許可を出していただき、そして何より、著者である私のフワッとした妄想でしかないリクエストに対して、迅速に作ってくれたことに@alchemist_irinaに心から感謝します。


 翻訳は以上です。翻訳、公開を許可してくださったMikhail Lopatin氏に感謝申し上げます。

補足:ヨシフ・ブロツキーの、アントニオ・ヴィヴァルディについての言葉はこちらのwebサイトに記述があります。

 17 年前、あてもなく次から次へと野原を歩いていたとき、緑のブーツを履いていた私は、小さなピンク色の建物の入り口に行き当たりました。その壁には、未熟児として生まれたアントニオ・ヴィヴァルディがこの教会で洗礼を受けたという銘​​板がありました。当時のわたしはほどほどの赤毛であり、世界の神に見捨てられた多くの場所で、多くの機会に私に多くの喜びを与えてくれたあの「赤毛の司祭」の洗礼を受けた場所に出くわしたことに、私は感傷的になりました。

Quote by Joseph Brodsky: “Seventeen years ago, wading aimlessly through o...”

To Mr. Mikhail Lopatin
This article are full of insights, things to learn! I am so surprised that there are so many sculpture posing like Shoma's Oboe.
I was so overwhelmed your love and respect for Shoma, so I really appreciate you for kindly allowing me to translate and share the wonderful article.

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