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日本の若者たちが日本国債から学べること

失われた10年、いや30年が終わり、時代は令和に入って早3年が過ぎようとしている。平成8年生まれの私はインフレを肌感覚で実感した経験がない。30年間成長しなかった日本や今の日本経済については様々な観点から日々解説されるが、日銀と日本国債の観点から何が学べるのか、そして僕ら日本人(特に若者)が知っておくべきことについて書きたいと思う。はじめに断っておくが、これはハイパーインフレが起こるなどと煽るものでは決してないし、私は右でも左でもない。

はじめに結論から申し上げると、日本は根本的な問題解決から目を背け、短期的には誰も傷付かない方法で問題を先送りにしてきた。国債を大量発行しそれを日銀が抱え込み続けてきたこと自体が悪いのではなく、生産性を上げる努力から逃げ、金融政策で誤魔化し続けてきたことが問題点だと考える。そしてそこから私たちが学べることはあまりにも沢山あるし、それは私のせいではないと跳ね除けても、日本国民である限り影響は免れない。だからこそ知っておかなければいけないが、金融の中でも債券市場(や金利)のことはダントツで取っ付きにくく、多くの人は注意を払わないし、特に若者にとっては自分とは全く関係のない世界と考えている人がほとんどだろう。しかし、私達と国債(債券の中でも国債を取り上げる)の関係だけを考えても、皆が思っているよりはるかにズブズブであり、国債なしではこの国は回らなくなっている。住宅ローンや銀行からお金を借りる際のローンの金利が債券市場における利回りを元に決まっていることはもちろんのこと、現状、超少子高齢化の日本で社会保障費を中心とした支出の急増と低成長により税収だけでは賄いきれなくなっていることは周知の事実だろう。私たちは債券に振り回されながら、そしてすがりながら生きている。

まず簡単に日本の国債の歴史を説明すると、初めて国債が発行されたのは1870年だった。日本銀行の設立が1882年なので、中央銀行の設立よりも先だったということになる。実は、最初の国債は京浜間鉄道を建設する為の資金調達であり、しかもポンド建てでロンドンで発行された。その後は日清戦争、日露戦争の戦費調達手段として乱発されるようになる。高橋是清の活躍は有名だが、彼は1931年に金との兌換を停止している。翌年には郵便貯金を運用する大蔵省預金部引受から日銀直接引受とさせ、事実上の財政ファイナンスが当たり前となった。その後、戦後になるとGHQの経済安定9原則により財政法が制定され、財政ファイナンスは禁止となる。この法律をきっかけに昭和22年〜39年までは1円も国債は発行されていない。潮目が変わったのは東京オリンピックが開催された翌年の昭和40年だった。オリンピック後の反動から均衡財政主義(歳出は全て税収で賄おうとする考え方)が考え直され、戦後初めて国債が発行されることになる。ちなみにこの年の発行額は1972億円だが現在令和3年の発行額は約236兆円となっている。

このように歴史をアナロジカルにみると色々と面白い事が見えてくる。日本は今も昔もずっと、成長に陰りが見えると金融政策で誤魔化してきた。ちょうど先日東京オリンピック・パラリンピックが終わったが、現在2021年9月において、昭和40年の発行額の1000倍以上を発行しながら成長率は名目で10%以上成長していた昭和40年の1割以下だ。むろん昭和22年〜39年まで国債発行せずに済んだのは力強い経済成長があったからだった。
2012年の年末に第二次安倍政権が誕生し、安倍首相自らの強い推薦により、2013年3月に黒田東彦氏が日銀の総裁に就いた。1997年の日銀法改正により、日銀は中央銀行として独立した存在となったはずだったが、これ以降完全に日銀が政府のポチとなったことは多くの人が感じたことだろう。

結果的に2%のインフレは達成できず、安倍&黒田の異次元金融緩和は失敗し、歴史は繰り返された。当人達はまだ諦めていないようだが、当初は2年で達成すると公言していたのだから失敗したことは自明だろう。テクニカルな話をすれば2016年のマイナス金利導入後に金利裁定やドル円のベーシススワップの拡大により10年債までもがマイナス利回りになり、債券市場はディーリング化し、ババ抜き状態になった。勿論最後にババを引くのは日銀ということになる。考えてみれば当然のことだが、低成長に対する根本的な解決策は、"生産性の向上"だ。そこから目を背け、票を落とさない方法で経済成長をしようとしてきた結果がこの有様であり、特にこの10年では、マネタリーベースは約6倍になった。日本は世界でも稀なほどにここまで大規模な金融緩和を長期にわたって行ってきて大失敗したわけだが、その根本的な解決策は何だったんだろうか?
私はそれが解雇規制撤廃や社会保障制度改革などの構造改革や税制改革だったと思う。いずれも既得権益にメスをいれるものばかりであり、もしやれば自民党は大敗するし、沢山の血が流れるだろう。しかし成長には必ず痛みが伴う。これが正しい解決策なのは自明であり、代議士の先生方も分かってるはずで、だったら議院内閣制も問題がありそうだし、憲法も変えないといけない…という話に帰結する。
しかし、日本が30年前にこれらの施策をやっていれば、今ほどお金を刷らなくても経済成長していたかもしれない。FTPLの式をご存知の方はよく理解していることと思うが、金融政策は将来の豊かさを現在に前借りしてるだけで損益計算書みたいなものだ。だから、金融政策はブレーキやアクセルであって、エンジンではない。生産性こそがエンジンだ。
それは安倍元首相と黒田総裁がこの10年で十分過ぎるほどに証明してくれた。

今、世界中の中央銀行は岐路に立たされている。そして各国の中央銀行の中でも、日銀はある意味でその最前線に立っており、実験台になっていると思う。このまま金利がゼロのままであると中央銀行が不要になるからだ。通貨発行権を独占する合理的な理由が無くなるし、金利がないのなら、国債と通貨も同じということになる。これが日本で最初に起こった理由としては、まさに日本が一番成長しなかったからだ。このタイミングで仮想通貨が出てきたことは偶然ではなかったのかもしれないし、論外だがMMTを主張する者が出てきても不思議ではない。そしてそれらに対しては、日銀が世界で一番論理的に反論できない。

最後に表題に戻ろう。
僕らが日本経済について日銀と日本国債の観点から何が学べるのか。
それは、問題があった時に、その問題の根本的な問題点を見つけ出し、そこから逃げないことだ。沢山血が流れようがその部分を解決しない限り、長期的成長はありえない。企業経営のケーススタディでもこういった例は死ぬほど見かけたことがある気がするし、マクロな問題は強烈なリーダーシップが必要だろうが、個人レベルの問題でも多いに当てはまることである。

身近じゃないようで身近な国債の観点から、学べることを書いてみた。人間が社会生活を営んでいる以上、問題はもっと複雑だろうが、他の様々な問題の共通項が、日銀や国債にもちゃんとある。

#お金について考えていること

故郷の母と父に、何か買って送ってあげたいと思います。