「こんなはずじゃなかった」をあたしが受け入れるまで

特に大きな理由はないと感じながらも朝起きて、ご飯を食べて、着替えて、学校に行くという行為がとてつもなく苦痛になったりすることは、誰にでもあることで、まったく珍しいことではない、と誰もが思ってくれれば、ものすごく楽なのに、と思うことはちょくちょくある。

「行かなくてはいけない」、「やらなくてはいけない」とかいう言葉たちに精神的にも、物理的にも、追い込まれ、柱に縄で締め付けられているように縛られて、以前自分が楽しいと思えていたものも、そうではなくなってしまう人生なんて何の価値もないと思いたい。いつだって人生は「やりたいこと」と「やりたくないこと」のせめぎあいで、やりたいことの時間を中心に、やりたくないことをどれだけしなくても、【健康で文化的な最低限度の生活】ができるかの戦いである。

「頑張らなくちゃ」と思うことも辛い。小さいころは頑張れば、親がほめてくれたりして、「頑張ることはいいことだ」と思っていた。今でも考えは大きくは変わらないけど、「頑張ること」は、自分が自分でいること以上に優先させるものではないと思えるようになった。あたしは、頑張らないでい続けることが難しい人間だ。こういう人間はたぶん簡単にぶっ壊れてしまう。自分が自分でいられなくなる苦しみは、生涯で味わう必要がない経験だと思う。かといって味わってしまった人は落ち込む必要は全くなく、今度同じような経験をしている人がいたら、「辛かったねえ!!」って一緒に笑い飛ばせばいいや、くらいの心意気でいいと思う。

もうあたしは小学生でも中学生でもないけど、「学校に行かなければならないのに行けないので死にたい」と思う学生のみんなが少しでも減りますように、と思って止まない。学校に何日か行けなくなったくらいで、なんにも怖いことなんてない。もしかしたら、心無い誰かから、なにか言われるかもしれないけど、そんなことを言われなくてもいい理由をあたしはたくさん知っている。どうか、辛くて、苦しくて、どうしようもなくなった時に、今日家にいることで気持ちが安らいだり、落ち着いたりするのであればぜひ休んでください。でもあたしも、こんな偉そうなことを言っておきながら、小学校や中学生のころは、学校に行かなかったらどこへ行くのかなんてわからなかった。学校に行かなくなったら最後、あたしにはどこにも居場所がない、ということを頭のどこかで悟っていたんだと思う。でも大人になって、そんなことないということに気が付いた。もっと早く気づいていれば、苦しまずに済んだこともあったかもしれないと後悔している。

今年の5、6月ごろ、人生ではじめて生きることが辛いと感じた。「死にたい」と言うには、ナイフで自分のことも刺せないし、痛いのは嫌いだし、血を見るのも無理だったので大げさだったけど、この世に生を受けた以上、どうにかして生きていかなくては死ぬしかないという事実が受け入れがたくて辛くて、どうしたらいいのかわからなかった。あたしは「自殺予備群」だったと思う。

「生きていることが辛い」なんて今まで思ったことなかったから、こんなにに辛いのか、と思った。生きていたくもないし、死ぬすべもない。そのどちらでもない人間は、いったいどうすればいいのか、どこに行けばいいのか教えてほしかった。生き地獄とはこのことか、と何度も心の中で思った。

あたしはこの時、人生で初めて見つけた、命を懸けてでもやりたいと思うことに挑戦しようとしている、まさにその最中だった。やっと挑戦できるという喜びと、自分の可能性を試すことのできる大きなチャンスだと信じて疑わなかった。でも__________ 自分でもびっくりするほど、あっけなく、それは自分の手からさらさらとすり抜けていった。いきなり目の前からなくなって、何が何だかわからなかった。それから、自分でもわからないまま白紙になったあたしの計画を、「できません」と親に説明し、驚く親をよそに、いきなりやってきた、驚きと絶望の波にのまれて、息もできないままゆらゆらと水の中を揺られていたような気がする。水の中でも、目に入ってくる景色をただただ眺めているような、誰かに生かされている人型ロボットそのものだった。

落ち着いたころに行ったカウンセリングの先生に、今までのことを話したら、「人生の初めての挫折ってとらえてみたら」と言われた。なるほど、そういう考えがあったか、と腑に落ちた。人生で誰もが経験するといわれるあの挫折か、そう思うと今までのことも、特別何か大変なことでもないような気もしてきた。その一言は、あたしを救った。

そんな時に、ツイッターで見つけた読売新聞の記事の切抜きがあった。お笑いコンビ 髭男爵の山田ルイ53世さんのインタビューだった。

「~(略)あの6年間は僕にとって無駄やった。でも、無意味にはさせまいという世間の風潮が強すぎると思います。我々にはキラキラして生きる義務などないんです。普通の人間がただ生きていても、責められない社会であってほしいと思います。」      読売新聞 2019/08/23 朝刊

あたしの友だちや家族が言うところによると、あたしはまじめらしい。だから、常に考えてしまう、今自分がしていることがどんな意味を持つのか、あるいは持たないかもしれないのか、それは自分にとって有意義なのか、そうではないのか。調子が悪く、以前のように物事を考えられなかったり、元気に外に出て、活動できないという事実が、どんどん自分をダメな人間にしていく気がして、「ダメ」という文字が自分の体に刻み付けられて、ずっとずっと消えないような、そんな感覚に陥っていた。「ダメ」という文字の一生消えないタトゥーを入れた気分だ。自分がみるみるうちにダメ人間になっていくかもしれないその過程を、自分の力不足ゆえ、簡単に容認している自分がひどく許せないのだ。でもそう思ってしまうからこそ、息を吸って吐くことが想像以上に辛くなる、という経験をしたのも事実だと受け止めていた。

あたしが「人生のどんな瞬間も無意味ではない」と思い込むことで自分を自分で励まそうとしていたのだとよくわかった。実際、この数か月間、無意味だとは思えない発見もたくさんあった。しかし、その思い込みでギリギリの精神をなんとか安定させようとしたことも確かだ。しかし、「意味なんて、なくてもいいじゃん」と言ってくれた人がいるおかげで、そのギリギリの精神が明らかにもっと救われたのを感じた。

あたしは自分がこうなってしまってからも、一生懸命に頑張ることは、とても素敵なことだと思い続けている。いや、きっとあたしが生きてる限りは、そう思い続けると思う。でもこのキラキラした時間に勝るものなんてない、と思う考え方は捨て去ることにした。あたしがあたしでいられなくなってしまいながらも頑張り続けるその時間は、自分のことを蝕むことになるだけだと気づいたからだった。あたしはあたしとして、この世に生を受け、生きているのに、そうであること以上に優先されることがあってたまるか、と思う。でもきっと、将来、それを犠牲にしても大切な誰かを守ったり、何かをしてあげなくちゃいけないと思うときがくる。だからその大事な時のためにあたしたちは、体力を温存しておけばいい。

あたしたちは我慢や頑張りは大切だと教えてこられたように思う。でも我慢や頑張りだけを優先させて生きてきても、死ぬときに「幸せだったなあ」とは思えないような気がする。あたしの人生最大の目標は、死ぬときに、幸せだった、後悔がないと思えることだ。年老いて自分の人生を振り返ったとき、世間の、他人の、友だちの、家族の、恋人の目を気にして、我慢と頑張りにばかり埋もれている人生を振り返って失望しないように、あたしだけが主人公の、あたしの人生をこれからも生きていきたいと思う。

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