「最強にポジティブな自分」でいつまでもいたかった。

あたしはアメリカに行っていたとき、最強だった。間違いない、あたし自身も、きっと周りの友だちも、それを認めていたと思う。真っ暗な夜、車でドライブしていた時が好きだった。車窓から見える景色は、映画で観たまんまのような気がしていて。このまま、どこへでも行ける気がした。何でもできる気がした、それも永遠に。安っぽいセリフに聞こえるかもしれないけど、そのときは本気でそう思った。

本当に夢中になっているときや、本当に何かを楽しんでいるとき、人間は人生に訪れる最悪なできごとなんて想像しないし、きっと頭の片隅にもない。現に、ラスベガスで、友だちのホストファミリーの運転する車から、キラキラ光るホテルやベラージオの噴水、路上パフォーマーや、裸同然のお姉さんを眺めていたときあたしは、こう思った。人生で最悪なことなんて、本当に起こりえるのか。でも、もし起きてもきっと、あたしは余裕で乗り越えられる、と。今じゃ考えられないんだけど、このメンタル、強靭すぎない?今は、もし最悪なことが起こったら、あたしはそれに対処できるか、もしくはどのように対処したらいいだろうとか、そんなことばかり考えているのに。

ポジティブでい続けられることは武器だ。強い。強すぎる。逆にいつまでもネガティブなのは、ポジティブでいられる誰かか、ポジティブだった、過去の自分に嫉妬しているからだ。(あたしの場合は、だけど)。本当は、ポジティブでいることが、自分のやりたいことをかなえるための一番の近道であることを知っている。人生は、嫉妬をするには短すぎる。他人に嫉妬なんかしてたら、人生はきっとすぐに終わってしまう。

スーパーポジティブだったあの頃は、口から出てくる言葉もすごかった。後ろ向きな発言は基本的にしない。しかもそれも無意識で。だいたい会話の答えが秒だったし、決断に時間がかからない。やりたいことや、挑戦したいことに関して、「悩む」ということがなかった。命の危険がない限り、やりたいならやる。もし後悔するとしたら、やらない後悔より、やる後悔に決まっている、というのがあたしのアメリカでのマインドだった。以前のあたしも、割と似たような気持ちで常にいたけど、こんなに強く自分の方向性を確立していた自分に驚いた。

今でもそのころを思い出して、戻りたいと思うことがある。あんなに元気だった頃の自分が恋しい。でも同時に、いくら一生懸命あがいても、なにかを無理やり押し通そうとしても、今は何も変われないことをわかっていた。今は自分で自分のことを、精いっぱい見守るしかないのだ。

晴れの日は必ず聞こえる鳥の声は、雨だから今日は聞こえなかった。そういう日に彼らは、一体どこにいるのだろう。そんなことを思いながら書いたこの文章もこの気持ちも、ときどき行方を晦ますことをあたしは知っていた。



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