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【客観性の芽生え】

最近、うちの子が自分に対してネガティヴな評価をするようになった。自分の描いた絵が上手くないという。そして、プロの絵を見て、その人の絵を称賛し、自分にはこのような絵が描けない、自分の絵は下手だという。

そういう言葉を言い出したのは、8才になった頃だった。それまでは、素直に絵を描くことを楽しんでいたと思う。何枚でも絵を書き、一瞬で描き終えるものもあった。しかし今は、何時間も一つの絵に描けることがある。そして、それをまたネガティブにいう。自分はこの絵を完成させるのにこんなに時間がかかってしまったと。

他人が絵を上手だといっても、本人の中には高い期待値があるので納得はあまりしない。「プロレベルと8才を比べたら実力が全然違うでしょう。比べる相手が違う」というのは、ますます納得しない。うちの子にとっては、人に感動を与えるような絵はプロかアマかは関係がないし、ましてや年齢は全く関係がないのだ。

私はその様子を見て、うちの子には客観性が芽生えたのだと思った。

当たり前だが以前よりプロは存在しているし、それをうちの子は目にしていた。その時はなんとも言っていなかった。アーティストを呼んで一緒に絵を描いた時も、技術的なアドバイスにはあまり興味はなく、ただ描くことを楽しんでいた。自分の絵を褒められては、素直に喜んでいた。

しかし今は、自分の実力がプロと比べてどの程度かと、うちの子は自分自身を客観的に見ている様子だ。

プロにもいろいろいるけれど、インターネットの良さはそういう人の作品がデジタルではあるけれども見ることができる。そういった意味では、世界のすごい作品をすぐ目にして、刺激を受けることができる。

以前、このようなことを聞いた。ロールモデルのような目指したい人が、自分自身とかけ離れているくらい偉大な人だと、違いすぎて結局のところ成長できない。だから身近なロールモデルが良いという話だ。言い換えれば、起業家として成功を目指す人たちが、スティーブ・ジョブズをロールモデルに見ても相手が偉大すぎて、どうしていいかわからない。だから、まずは身近な街の商店に聞いた方がわかるということだろうか。

ロールモデルは複数いても構わないし、途中で変わっても構わない。自分がこうなりたいと内側からエネルギーが出てくるようなロールモデルがいい。

私は一瞬、うちの子が急にネガティブ思考になったのかと思ったけれども、客観性が芽生えたのだった。そこからどうするか。

本人は悔しさをバネに描き続けた。そして、それなりに満足ができる作品がようやくできたようで、私に見せてきた。それがこのnoteのトップ画である。

自分自身を客観的に見ることは、どの世界に自分を置いて見るのかということとも言える。

井の中の蛙が、井戸から出てどこに行くのか。また別の井戸に行くのか、水溜りに行くのか。いきなり川や海に行くのか。

いずれにせよ、世界は広い。そう思わせるのが「客観性」だろう。


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