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【同じ10分映画を続けて10回観たら】

みなさんにとって、10分は短いですか?長いですか?

2021年に「誰もが自分の経験、知恵、学びをシェアできる世の中に。」というビジョンを持って、学びの場を作りたいと思っています。それをnoteに綴っていきます。

ある10分映画を見つけたので観てみることにした時のお話をシェアしたいと思います。

私は10分は短いと思っていました。サクッと簡単に楽しめるだろうと思っていました。しかし、それができなかったのです。

その映画には文字も言葉もありませんでした。映像と音楽だけです。私は最初の2分くらいで「わからない」という評価をしてしまいました。

そして、人と別の話をし出したり、スマホを見たりし始めました。

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気がついたら映画がもう終わっていました。いつの間にか終わってしまったので、また最初から再生しました。しかし、また私は最初の2分くらいの同じ場面で「わからない」と感じ、スマホを見始めてしまったのです。

どうしても、そこで出てきた登場人物の意図がわかりませんでした。そこで私の感覚はシャットダウンしていたのです。

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私はなぜたった10分なのに最後まで見ていることができなかったのかを不思議に思いました。興味がないから?好きなタイプじゃないから?テンポが遅いから?そういう理由も考えましたが、実は違う理由であったことがわかりました。

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翌朝、その映画をもう一度見てみました。その時は、画面に向かってその映画だけに集中しました。セリフも字幕もない映画です。私は最後まで観ることができましたが、ストーリーに疑問を持ちました。

もう一度みました。するともう少し分かってきました。しかし、まだわからないものがたくさんありました。私は登場人物の動作や表情、途中の演出も観察しました。

連続して6回ほど観た時です。突然ストンっとストーリーが心に落ちてきました。そこから、わーっとストーリーが広がり、私はそのストーリーの虜になってしまい、なんと涙するまでに入り込んでいたのです。

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当初、10分の映画を観ることができないのは、興味がない、好きなタイプじゃない、テンポが遅いのような理由ではないかと思っていました。しかし、これは表面的なもので、本当の理由は、私の心がその映画と共鳴できる空間にいなかったからでした。

私は2分で「わからない」という評価をし、そこから心を閉じていたのです。

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現代人は忙しいから、最初の3分がキャッチーじゃないと観てもらえないと私もそう思うことがありますし、私が授業をする時は、そういったキャッチーさを入れ込むようにしています。

しかし、これは伝える側であった場合の話です。逆に聞く側として、私はどうだったかを振り返りました。

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私は人前で話すことは嫌いではありませんし、そういう機会もありますので、場数を踏んでいます。そうすると、話すテクニックは上達したと思います。しかし、聞く方に関しては、ほとんど意識したことはなかったです。

よく相談はされるので、人の話を聞いている方だと思ってはいましたが、この10分の映画の経験から、私は聞いていないことがあるとわかりました。

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私はこの10分の映画に何を求めていたかを振り返ると、それで楽しいとか何かの感情を得たいと思っていたと思います。ですから、そういうものを「与えて欲しい」と思っていたのです。だから、最初の2分で「わからない」と評価した時、何も与えられなかったような気分になりました。

私の中に、映画は楽しませてくれるもの、という偏った見方があったのです。

そういう偏りが無くなるまでに、私は10分の映画を6回観たので、60分かかりました。60分が長かったかと聞かれれば、今はそう思いません。今その映画からメッセージを受け取ることができてよかったと心から思います。

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私はその映画のタイトルも知らなければ、作者も知りませんでした。調べると、知る人ぞ知る映画のようです。私はその映画と全く関係性がないところからスタートしました。これがもし、私も知っているような作者であれば、2分でわからないという評価はせず、10分だったら確実に最後まで観たと思います。つまり、そこには私がすでに知っている、分かっているものに対しての「評価」を持っているから観ているのです。

「評価」を基準に観ていると、私も知っているような作者がつくった映画だとしても、本当にメッセージを受け取ったかどうかはわかりません。もしかしたら、10分をなんとなく観て、へーこういう作品も作るんだ程度で終わっていたかもしれません。

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知らない、わからない、興味ない、という評価は第一印象で、目に見えるもの、自分がすでに分かっている意識からの評価です。

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全く知らない作者の10分の作品が、私に「平らな心」を教えてくれました。平らな心を持っていると、聞こえてくるものが違うんだと。

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聞こえるとは音声からの情報ですが、聴こえるには「心」という漢字が入っているように、心に届くんだと。

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「誰もが自分の経験、知恵、学びをシェアできる世の中に。」というビジョンの背景には、誰でもその人の原体験は学ぶに十分値するものであるという思いがあります。その人の持つ原体験には、たくさんの経験、知恵、学びが詰まっています。

インターネットで誰もがシェアできるようになったと言われますが、シェアしていない人の方がまだまだたくさんいます。

「大したことではない」「自分よりすごい人がもっといる」「きっと分かってもらえない」と最初から自分の原体験を評価してしまっている人も少なくないと思います。

シェアという「平らな心」には、シェアする方も、それを受け取る方も同じ関係性でいることが大切なのではないかと思っています。


今後の構想などは順次noteにて!良かったらフォローもお願いします!



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