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吉田修一『東京湾景』[PART1]:深く交わることを避けながら、近づきたくて手を伸ばしかける二人

吉田修一の小説『東京湾景』は2003年に刊行されました。主役の二人が携帯電話のメールで出会い、物語は始まります。近づき、離れ、近づき、また離れる。そして二人は再び近づくのか、それともそのまま離れていくのか。二人の間にある距離を、淡々とした筆致で綴る物語です。連載されていた『小説新潮』で目にしたこの題名に惹かれ、直感で読みたいと思ったことを覚えています。

僕は、『パーク・ライフ』や『パレード』などの初期の作品に見られる「ビデオカメラ越しの視点」が好きで、それは『東京湾景』にも見受けられます。さらに本作では、「相手に深入りせず、他人事のように眺めながら、同時に近づきたくて、もがいている」距離感に魅力を感じました。これまでに何度も読みなおしましたが、久しぶりに再読する機会を得たので、改めて感じ取ったことを記録します。

本作では、二人は「間に何かを挟んで」向き合います。例えば、最初はメールが二人を媒介し、途中からは作中の小説、そして終盤ではミケランジェロ・アントニオーニの映画『L’eclisse(日蝕)』がその役割を果たします。直接的ではない気持ちのやり取りは、気持ちが閉じ込められたもどかしさと同時に、生温い心地好さすら感じます。不安定な状態を淡々と描きながら、視点を変えれば安定しているともいえる、奇妙なバランスで描かれた物語だと思います。

そうした文体によって、この物語は「心と身体の乖離」を描きますが、僕は「二人の心は離れて、二人の身体は近づく、それらを『別の何か』がコントロールしている」と感じました。その「別の何か」の正体を正確に表現するのは難しいのですが、互いの中に存在して勝手な思惑で動いているもの。欲望という一面的で単純なものというよりは、本人たちも意識し得ない支配者に操られている。では、その支配者とは何なのか。


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