![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/49575417/rectangle_large_type_2_6c39eee72c20e638aaf7630d93939378.jpg?width=1200)
work / おしごと
建築の道に進んで学生期間も併せれば10年
正直動機も不純で特に思いれもなく、悪くいえばずるずるこの業界にいます。
動機が不純でも
”大学4年間もあれば”
”就職すれば”
”建築士をとって幅が広がれば”
といろいろなタイミングで建築の中でやりたいが見つかるのではないかと、模索し続けている10年です
今、いまだにそれが見つかっていない
何をしててもどうにも腑に落ちないし、この分野の奥深さゆえ絶望することのほうが多い
もはや”この仕事嫌いなのかも、、、”と思い始めているくらい
もちろんどんな仕事でも”すき”を仕事にしている人ばかりではないので、ある程度仕事は仕事、と割り切って考えてる人も多いとは思います
けど、建築、特に設計分野においては”すき”を仕事にしている人が多い印象の中、もんもんと仕事をしている自分が時々嫌になります
こんな感情を抱えているくらいならやめたほうがいいとも思った時も何度もあります
最初に思ったのは、建築士の製図試験が終わって結果待ちの期間
これで合格できなかったら、建築の分野からは離れよう。と
ですが、”受かってしまった”
受かりたくても受かれない人がいる中でのこの出来事は、”建築を続けろ”という意味なのだろうかとこの時ばかりはなにか意味づけしないと消化できなかった
わたしにはほかにできることもしたいこともないんだから、もう一回やってみようかな、くらいの感覚で建築の分野へ戻りました
大学の頃は、評価されようかされまいが自分の好き勝手にできていた
もちろん責任だってないし、大枠のことが備わっていればそれは”建築”として見てもらえていた
でも今は違う。
そこにはルールがあってもちろんそこからはみ出しては”建築”として扱ってもらえない
個々の感覚があって、曖昧な定義もたくさんある中で”一番近いもの”を選んで決めていくような感覚
正解がないのに、間違いはある
その感覚にいまだに、もやもやしている
それはもう学問的な話なのだろうか?
数学のように、公式があってそれにはめれば誰がなんと言おうと一つの同じ正解にたどり着く
そういうものの方が思考的には好きで、しっくりくる
そう、建築ってしっくりこないことが多い
きっと、自分には向いている作業がきっとあって、それは単調なものなんだと常日頃から思う
時折、母からチラシをゴミ箱の形になるように折り紙して欲しいと頼まれるのだか、気づくと一ヶ月分のチラシを折ってて、それを終えると”足りない”と思う感覚がある
それって、”得意なこと”なんだと思う
同じ作業を淡々と、黙々と。
そんな仕事が、”建築”の中に見出せたら私は続けられると思う
それか、建築は趣味にするか
他に、仕事として20万、副業の建築で10万とか稼ぐ方法を確立させるか
そんななやみは尽きない。
漠然とした、日常が過ぎていく。
もったいないなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?