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私がトビタテ生になるまで

こんにちは!Ami.Uです。

今回の記事は「私がトビタテ生になるまで」。

トビタテそうにないトビタテ生の話」という題で記事を書いていたのですが、一つの記事でトビタテについて全部書くのは不可能だったので、少し分けることにしました。

今回は主に審査について。

というか、まだトビタっていない私にとって、トビタテで体験したことは審査までなのです。つまり、いちばん長いパートです。

体験記のようにつらつらと、あまりわかりやすくない文を書いていきますが、未来のトビタテ生(次の募集があるかはわからないけれど)の参考にもなるかもしれません。


1.トビタテ!留学JAPANって何?

トビタテ!留学JAPAN(以下「トビタテ」という)は、文部科学省が行う留学奨学金プロジェクト。文部科学省主催といっても、財源は税金ではなく、民間企業からのご支援・ご寄付で成り立っている官民協働のもの。2020年までに高校生、大学生の海外留学を倍増させることを目的として2013年に始まった。

内容はざっくりいうと、将来日本のためになるような留学をする留学生に送られる給付型(返済不要)の奨学金システム。

独自の留学テーマを立て、それに合わせて現地で何を勉強し、何をするかという留学計画を立ててそれを審査する。語学留学は禁止。そのため、語学力や成績は不問である。


大学生向けのコースは基本

・理系、複合・融合系人材コース

・新興国コース

・世界トップレベル大学コース

・多様性人材コース

・地域人材コース

の5種類。その中で私が応募したコースは多様性人材コース。これはいわば「その他」コースで、幅広い分野の人が集まるものだ。


審査の内容は1次試験として書類、2次試験に個人面接とプレゼンテーション、グループディスカッション。これがものすごーーーく大変で、このハードさで応募前に諦める人も多いと聞いたことがある。審査基準は留学計画がしっかりしているか、ということと、独自性と、熱意

倍率はコースによって異なるが、私が応募した多様性人材コースは約5倍だった(採用予定人数と応募者の数で割り出したので、実際は前後している可能性あり)。


私の考えるトビタテの魅力は大きく2つある。

返済不要の奨学金。準備金や授業料も一部もらえる他、ANAやJALが協賛企業となっているため、飛行機代を負担してもらえることも。

トビタテ生のコミュニティ。全国各地から世界各地に飛び立った、様々な留学テーマを持った留学生の仲間が手に入る。留学前、留学中、留学後も結びつきがある。



2.応募まで

大学に入ったらスペインに留学する」というのは高校生のうちから決めていたことだった。国際系の高校に通っていたため、周りは帰国子女や在京外国人だらけ、留学するのは当たり前、という校風で3年間学んでいたから、というのが理由の一つとしてあるだろう。実際、私の学年では6クラスあるうちの1クラス分以上の人数が高校在学中に長期留学をしていた。

大学受験でかなり失敗しつつも一応大学に合格。入学してすぐから留学について考え始めた。とはいっても、最初はトビタテで行こうとは全く考えていなかった。塾や学校でそのポスターは何回も見ていたので存在は知っていたが、審査がめちゃくちゃ大変と聞いていたので、私には無理だと思っていたのだ

奨学金や学校をネットで調べたり、留学フェアに参加したりしながら色々悩んでいたら、母に突然、「トビタテで行きなよ」と言われたのがそもそもの始まりだった。

「いや無理だよ。どんだけ厳しいか知ってる?」

「それも全部調べた上で言ってる。あみは夢も向こうでやりたいこともしっかりあるんだからトビタテ使わないともったいないと思う。」

「んー確かに。じゃあやるだけやってみる。」

ということでトビタテへの応募が決定。奨学金がもらえる、ということにプラスして、国のプロジェクトに合格すれば就職に少しは有利になるかもしれない、と考えたこともこの決定を後押しした。受験に大失敗した私は学歴コンプレックスを抱えていたからだ。多分これが6月か7月くらい。



3.一次審査

そこから募集要項を確認して、大学に問い合わせて、エントリーの応募フォームのようなもののページへのコードをもらって、応募書類を書き始めた。私の学部でトビタテに応募する人は珍しかったのか、担当の方、少し戸惑っていた。

さて応募書類・・・え・・・?」ってなるくらいの分量だった。留学概要、海外経験、申請コースの理由、計画の実現性、成果発表の方法、留学後について、自由記述・・・。それぞれの字数はそう多くはなかったけれど、内容をしっかり充実させないと意味がないから、それぞれに相当な時間がかかった

現地の大学やインターン先(インターンは必須です)の受け入れの確約、現地で何をするかなどの計画は決まっていれば決まっているほど良いそうなので、急いで現地の大学にメールをして、インターン先を決めて・・・。

この一次審査を兼ねた応募書類の締め切りは9月だったが、大学の締め切りはもう少し早くて8月末だった。そして私は8月半ばから9月半ばまでアイルランドでの1ヶ月の短期留学を控えていたので、その前に書類を終わらせる必要があった。・・・のだが、終わらなかった。全然終わらなかった。言い訳をすると、学期末のテストのせいで思うように進まなかったのだが、それにしても全然終わらなかった。

ということで、仕方なくアイルランドにパソコンを持って行って向こうで書類を書いた。午前で授業が終わってみんなが街に繰り出していた中、一人で部屋や大学の片隅で泣きながらカタカタとパソコンをいじっていた。何が楽しくてアイルランドまで来てパソコンに向かっているんだろう。と精神が崩壊しかけながらもなんとか締め切り数日前(多分本当に2日前とか)に書き上げ、母に大学まで提出しに行ってもらった。



4.二次審査まで

そこからの開放感は物凄かった。結果が出るまでは相当な時間があり、その間留学のために特に進めることはなかったから、アイルランドで遊びまわり、日本に帰ってからも遊びまわり、バイトして、レース見て、ちょっと勉強して・・・ってしていたらすぐに結果発表はやってきた。

一次審査の結果発表は12月だった。正直完全に落ちていると思っていた。締め切りに追われて書いた文章には、「こうすればよかった、ああ書けばよかった」と悔やむ要素が多かったからだ。それにプラスして、私が留学に行きたいと思っていた期間(2020年夏〜2021年夏)は13期の期間にもかぶっていたから、落ちたら13期でリベンジすればいいや、と考えていたこともあり、結構のんびり構えていた。

しかし大学の担当の方に電話で伝えられた結果は、まさかの一次審査通過だった。驚きつつも家族に報告。二次審査への準備を始めた。

とはいっても、私は基本的にギリギリ体質なので(ジャーナリストを目指す上で直さなければならないと思っていることの一つなのだが)、年末までほぼ何もしなかった。二次審査まであと2週間、となってやっと焦りだして、まずは姉に頼んで、姉の知り合いのトビタテ生につなげてもらった。姉は高校でニュージーランドに1年間留学していたのだが、その時の仲間にトビタテ生がいると聞いていたからだ。その方にインスタのDMで二次審査の流れとどのように進めるべきかを伺い、準備を始めたのが1週間前。留学計画を確認し、伝えたいことをまとめ、服装を決め、2日前にパワポのスライドを作り、前日に練習。結局ことごとくギリギリだった。

そんなギリギリの状態だったけれど、トビタテと留学テーマへの熱意だけは120%に持って、もうここまで来たのだからあとは受かるしかない、という気持ちで二次審査の会場に乗り込んだ。



5.二次審査

二次審査の会場は文部科学省。集合時間はいくつかに分かれていて、私は一番早い時間だった。驚いたのは、会場に入るのを待つベンチで、もうあちこちからおしゃべりが聞こえたこと。え、みんなコミュ力ヤバすぎない・・・?と思いつつ、コミュ障は一人で座って話す内容を確認していた。

面白かったのはみんなの服装。二次審査、服装についての指定はなく、「自分を表現する服装で来てください」とのこと。大半の人はちょっと綺麗目の普段着、という感じだったが、中にはスポーツのユニフォームを着ている人や着物を着ている人もいて、そういう人の服を眺めて留学テーマを想像するのが楽しかった。ちなみに私は下の写真のような、バイクのメーカーの服を着ていった。

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さて二次審査。最初は個人面接だった。大きなホールにたくさんの仕切りが置かれ、ブースのようになっているところの一つ一つに机と椅子が並んでいた。面接官1人対自分1人。面接官は協賛企業の方だ。「面接官はお金を出す側の人だから、その分面接もとても真剣だ。圧迫面接のようになることもある。」そう聞いていたので少しビクビクしていたが、幸い私の担当の面接官の方は優しそうな中年男性で、私の留学テーマにも興味を持ってくださった。留学計画の説明から始まり、面接官の方は私の考えや計画を引き出すような聞き方をしてくださった。それに安心して、特に引っかかることもなく、終始和やかに面接を進めることができた。

質問内容は正直よく覚えていないのだが、最後に「私(面接官)がバイクやレースについて(私の留学テーマ)何も知らないと仮定して、その魅力を教えてください」と聞かれたのが印象的であった。というのも、私の目標がジャーナリストになって二輪スポーツの魅力をすべての日本人に伝えることであったからだ。

面接前にトビタテ生のブログなどを読んでよく聞かれる質問内容を把握し、ある程度答えを用意していたが、その内容はほとんど聞かれず、逆に自分がどれだけ留学テーマを理解しているか、留学計画を綿密に立てているかを確かめる質問が多かった。自分の伝えたいと考えていたことの全部を伝え切れたわけではなかったが、逆に自分が用意していなかったことも伝えることができた。


面接が終わり、休む暇もなくグループディスカッションに移った。食堂のような場所に移動し、4〜5人のグループと面接官一人が同じ卓についた。まず1人1人がプレゼンテーションを行い、それぞれに面接官が2つずつ質問を投げかけ、それに応答。他の人のプレゼンテーションを聞きながらメモを取り、その後数分でグループ内で質疑応答をし合う。そしてそのあとに与えられた課題についてグループで話し合い、最後に面接官にプレゼンをする、といった内容であった。

このグループディスカッションでは面接官から結構鋭い質問が飛んでくることが多かったが、その質問によって初めて気づかされることもあり、逆に面白かった。しかし中にははっきりとダメ出しや指摘をされている人もいたので、そこも技量を試される部分ではあった。

プレゼンテーションはほとんどの人がスケッチブックを使用していた。スケッチブックにパワポのスライドを貼る人が多かったが、一人全部手書きの人がいて、すごいな〜と思ったのを覚えている。プロジェクターなどは使用できないし、パソコンの画面を見せるのは見にくいから良くない、と聞いていたので、私もスケッチブックを用意し、そこにスライドのコピーを貼った。

課題は「このプレゼンの中から、留学生活において大切なことを3つあげよ」的なものであった。私のグループは一応司会を立てたが、結構みんな意見を言ったりそれぞれが時間を気にしたりしていたので、司会はいなくてもよかったかもしれない。

私もそこで自分の考えをしっかりいうことができ、3つのうち2つは自分が出した案が通ったので、グループディスカッションの手応えはそこそこあった。


グループディスカッションを終え、お昼休憩を挟んで交流会があった。お昼を一人で食べるのもなあ、と思い、グループが同じだった人を誘ってご飯に行くことにした。一人だけ帰らなければいけない人がいたものの、それ以外の4人は集合。「何食べようか〜」と話しながらレストランを探したが、さすが霞ヶ関。日曜の昼に空いているレストランはほとんどなく、結局コンビニでご飯を買ってみんなで食べた。


午後の交流会は審査には関係ないものの、トビタテ候補生と多く話せる時間ということでほとんどの人が参加していた。最初は適当に、そのあとは行く地域ごとや住んでいる地域ごとに8名ほどのグループに分かれてそれぞれの留学テーマなどを話していった。すごく面白かった。パンの研究、テコンドー、異文化共生、ダンス・・・。テーマは十人十色でどれも興味深く、話を聞いていて楽しかったし、しっかりと夢を持って、それに向かって努力をしている人たちと話すのはとても刺激的であった。



6.結果発表まで

そんなこんなでそこそこの手応えを感じつつも二次審査を終え、2月上旬と言われていた結果発表を遊びながら待っていた。

・・・のだが、2月10日を過ぎても連絡がこない。私も母も、毎日ツイッターで「トビタテ 12期」と検索をして結果が出ていないか確認していたが、全然出ない。15日くらいまでは上旬っていうのかもしれない、とも思ったが、ツイッターでも結果が出るのが遅れている、というツイートがいくつか見つけたので、結果発表が遅れていたことは確かだろう。

実は結果が出ないことでひとつ大きな問題が発生していた。というのも、落ちたら13期も受けるつもりでいたのだが、13期の学内締め切りが2月の半ばだったのだ。12期にエントリーしながら13期にも応募することはできない、と言われていたので、大学に締め切りを延ばしてもらい、結果を待ってエントリーする予定だった。しかし結果が遅れているがどうすれば良いか、と大学に問い合わせたところ、大学の締め切りをすぎることは許されない、と言われてしまった。最初と話が違う!とどうにか大学に掛け合ったところ、3日後に書類提出できるなら間に合うとのこと。

3日後!?12期の時に1〜2ヶ月かけてやっと書き上げた書類を3日で!?と少々怒りを覚えつつも、怒っている場合ではないので、バイト先に2日間休ませてください、とお願いし、部屋で一人パソコンに向かった。幸い12期で出したベースがあるので、そのままで良いところは確認してそのまま、直すところはがっつり直して、2日間ほぼ寝ずに書類を書き上げた。この時の精神状態は、『恋するフォーチュンクッキー』を聴いて号泣するレベルの酷さだった。その状態でどうにか書き上げた書類を3日目に提出に行った後の開放感は今まででいちばんのものであった。



7.結果発表

その数日後、やっと結果が出た。正直自信は日に日になくなっていっていたので半分半分くらいだったが、無事合格していた。知り合いの「トビタテに受かった」という投稿を見た姉が結果を聞いてきて、そこでその日に発表があったことを知り、大学に問い合わせたところ、「おめでとうございます、合格です」とのこと。担当者の方がその日休みだったそうで、私の問い合わせのメールを見て大学にいるスタッフに聞いてくださったそうだ。

そのためか、合格書類なども何もなく、そのせいか実感はあまり湧かなかった。ふーん、そうなんだ、私トビタテ生になれたんだ、へー、やったね、といったような感覚だった。なんなら受かった喜びよりも、正直「じゃあ私2日間もバイト休まなくてよかったんじゃん、少し損したな」という気持ちの方が大きかった。今思い返すと、あの時13期の応募書類作りでもう一度自分のテーマや計画を見つめ直し、文章に起こして整理することができたのでよかったと思うが、その時は2日間のバイト代約15000円を失ったことの方が悔しかった。

その後週末を挟んで月曜日に合格書類とその他諸々の書類が送られてきた。その書類の中の一つに支給される金額が書いてあるのを見て、やっと「ああ、トビタテで留学に行けるんだ」という実感が湧いた。金額が思っていたよりも大きかったことに驚きつつ、絶対に有意義な、学びと実りの多い留学にしようと心に誓ったのだった。



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