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呪縛と解放

最近気がついたことが色々あって。
長年蓄積された「膿」みたいなものが一気に炙り出される。今まさにそんな時期のように思う。

自分で自分に呪いをかけていたみたい。
私は生まれてこの方ずっと「自分と戦っていた」。
そんな必要、なかったのに。とにかく自分のことだけが許せなくて、憎くて、なんでこれができないの?なんでこんなこともできないの??と、鞭を打っては傷つけてばかりいた。当たり前のようにその「思考」が出来上がってしまっていたために、異常なほど自分に厳しいことにも全く今まで気がつけなかった。恐ろしいことだと思う。

完璧主義すぎるあまりに自分へ課すハードルもミッションも高すぎた。理想に到達できなければその度に「やっぱり私にはできないんだ。出来損ない!死ねばいいのに!」と(これは極端な例だけど、その時々で様々な暴言を心の中で自分に浴びせていた)自分で自分を罰していた。

私は劣等感がとにかく酷く強い。今でこそマシだけど、根本的な「私にはできない」「私はダメな人間」「人一倍頑張らなければいけない」といった強迫観念を含んだ「思考」はなかなか拭えないものだ。深く深く、根を張っているのである。

ある時「もう、疲れた。」と思った。自分と戦うことに心底疲れ果てた。消耗しきって「なんで自分と戦ってるんだろう?」と、やっと気がつくことができた。これは私にとって非常に大きな収穫だった。

自分と戦う必要なんてなかったんだ。こんな広い世界で、たった一人の自分がいて、生きているだけで、ただでさえ色々なことがあるっていうのに。そこで自分さえも敵に回すなんてどうかしてる。自分を傷つけるのも、罰するのも、全部全部やめにしよう。初めてそう思えた時、ドワッと涙が溢れた。
自分にたくさん「今までごめんね」と謝った。そして「生きることをやめないでくれて、ありがとう」と心の中で伝えた。いつ死んでもおかしくなかったのに、私なりにしぶとく生きてきたのは奇跡に近い。「これからは寄り添って生きるね」と約束をした。

自分と戦う必要なんてなかった。とはいえ、人生よくできているもので、必要のない経験なんてない。もちろん自分と戦わずに済めばそれに越したことはない。だけど私は自分と戦うことで得たものもたくさんあった。「私にはできない」と思えば思うほど「なにくそ!!!」と、どんなに深い底からも這い上がってきたし、いくつもの同じようなパターンを繰り返す中でいつしか「絶対這い上がってやる。大丈夫、私は這い上がれる」という自信に繋がったし、「人一倍頑張らなければいけない」と思うたびにできることも増えていった。そうやって俯瞰して見ると、格段に悪くもない気もする。

今までストイックに生きすぎちゃったな!と思う。そこで学んだこと、気がついたことをこれからは抱きしめながら、ゆるめる方向へ向かいたいと思う。

自分が一番自分のことを許せなかった。
そう気がつけた時、もういいよって、ひとつ呪いが解けた気がした。
自分が気がつけないだけで、自分が自分に掛けている「呪い」ってたくさんある。それは子供の頃からの影響が大半で、もはや無意識の領域に刷り込まれているので本当に気がつきにくい。厄介だよねえ・・・。
でも、大人になった今だからこそ、それらの「呪い」は解いていくことができる。変わりたいと思うなら、怖くても向かい合ってみようと思えたなら。いくらでも変わることができるし、許すことができる。私は今回それを学んだ。
呪いを解くためのヒントは日常的にたくさん散らばっていることも改めて感じた。

ちょっとずつ、ちょっとずつ、楽になれる。
呪縛から解放された時、またひとつ自分にも周りにも、優しくなれるから。

そうやって、しなやかに、たくましく。
私は、私たちは今日を生きているんだなって思うと全部愛しくなっちゃう気さえする。

人生っておもしろいね。

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