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祖父へ。追慕。

以前このnoteで実家の母方の祖父が亡くなった旨の報告とそれに関して想うことのアウトプットをさせていただきました。

今回は、前回の投稿で書ききれていなかった祖父への想いを手短に書きまとめました。

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じいちゃんへ。

就活落ち着きそうだよ。大学を卒業してからも心配かけてばかりの私だったけど、ようやくちゃんとした働き口が見つかりそうだよ。
きっと大変なこともたくさんあるけど、私らしく頑張るから見守っていてね。


本当のところを言えば、じいちゃんには結婚式にも来てほしかったし、ひ孫の顔も見せたかったな。
きっと生まれたばかりのひ孫の顔を見て「〇〇ちゃん(←私の名前)そっくりだな~」なんて言ったんだろうな。

毎週土曜日に近所のコープに買い物に行っていたのが懐かしいね。
買い物に行くときはいつも買い物リストのメモを欠かさず持って行っていたじいちゃん。なぜかカタカナで「キウイ」を「チューイ」って書くところ、ずっと面白いと思っていたよ。あと購入したキウイをキッチンの小さいバケツの中に集めて養殖してるところも。

あと、じいちゃんは海産物が大好物だったね。沿岸部の出身だったからね。
その中でも特に目がないのがクジラの刺身。真っ黒でちょっと微妙な見た目だけど、味は絶品なんだよね。
あとは、生きたままのアワビを中華包丁で容赦なくぶった切った末に醬油漬けにして美味しそうに食べていた時はさすがにビビったよ。

私が生まれてから保育園を卒園するまでの6年間、共働きの両親に代わって毎日送り迎えをしてくれたね。

保育園が終わったら私をママチャリに乗せて近所のパン屋さんに連れて行ってくれたね。そこで毎回必ず買ってくれたアンパンマンのチョコパンも懐かしい。

じいちゃんは元々高校で英語の先生をやっていたから、中学以降は英語も教えてくれた。おかげで私も英語への苦手意識を持つことも無くやってこれた。
週2日のデイサービスにも必ず英語の時点や参考書を持って行って、スタッフさんからも「この年齢になるまで自分の意志でお勉強をされているのは〇〇さん(←祖父の名前)くらいですよ~」と感心されていたね。

あとは、免許を返納してからはレンタルのシニアカーに乗っていた。そんなじいちゃんを私も微笑ましい気持ちで見守っていた。

孫3人(正確には5人だけれど、もう2人は海外に住んでいる)をずっと身近で見守ってくれて、そんな孫たちがいくつになってもお腹を空かせて帰ってくるものだと思い込んでいるじいちゃん。

私が寒い日に裸足で出歩いていると渋い顔をして「寒くねえか~」といってお古の靴下を渡そうとしてくるじいちゃん。いつも孫たちの心配ばかりしていたね。

本当は100歳まで生きてほしかった。
でもばあちゃんが亡くなってからの3年間はじいちゃんにとって長すぎたのかな。でも孫たちの成人を見届けてくれたこと、88歳まで生きてくれたことに感謝してるよ。

いつも孫たちの幸せを第一に考えてくれてありがとう。
またいつか会う日まで。

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