日日是(香)日
ふと浮かんだ言葉、思ったり、考えたり、感じたりしたことを綴ったもの。
秋のこと
心がなんだかぬくぬくしたこと。
日常の好きなかおり
春のこと
私は愛を返せているのだろうか。 なんかめんどくさい恋人の台詞のような疑問がふと頭をよぎった。 全く不安とかを感じているわけではなくて、ネガティブなものではないのは確かだ。 だって、考えれば考えるほどなんだかわくわくしてくる。 多分、私は周りにいてくれる大好きな人たちに愛を伝えきれていない。こんなもんじゃない。でもどうすれば伝わるのだろう。でも言葉でも行動でも伝えきれないと思う。あーーーーなんて幸せな悩み。 そんなことを考えているうちに、両親がお小遣いをくれる時のこと
・旅行く日の朝に コンビニでアイスコーヒー買ったんだけど、私が電子マネー決済開いてる間にレジのお兄さんがカップのガチガチアイスをもみもみしててくれたの。しかも真面目で使命感に溢れた真剣な顔で。 全然自分でも出来るんだけどね。ありがとね。かわいいね。 ・空港向かう駅のホームで 向かいのホームでおねえさんがなにか落としてった。鍵とかだったらあれだなぁ誰か気づいてくれないかなぁと思ったところにおじ。拾う前に何かは認識してたみたいだけど、ごみだったっぽい。しっかり拾ってゴミ箱にポイ
大人になるって加減を覚えることなんじゃないかと思う。 ”ほどほどに”ってやつ。 約1年前、入社した頃のワークシートが出てきた。 社会人とはなにか、大人とはなにかという問いに対して、"責任を自分で持つこと"と書かれていた。多分私がここで使っているのは”自分を犠牲にする覚悟を持つ”と言う意味での責任だと思う。だいぶギラギラしていて乾パンくらいお固い。 最近はなんとなくわかってきた。 ほどほどが大事なんだって。責任感や覚悟を持つのもほどほどでいい。 出来ないことを出来るようにす
考えている。自分なりのロジックだってあるし、そこに至るまでのきっかけからアリの巣の様に展開していく発想の過程はひとつも欠けてはいけないし、ひとつひとつがきらきらとしている。 だけど、人になぜこの形に?結果に?と問われると、なんとなく…でまとめてしまう。 そもそも、私は非現実的でちょっぴりドリーミーな発想と、論理的発想を組み合わせちゃったりする。相反する二つのものがぴたりとはまった時の私だけが宝物のありかを知っちゃったみたいなのが大好き。そしてみんなにも教えたくなっちゃう。
パセリの花束を貰ったら私は惚れてしまうだろう。 イタリアンパセリよりかはカーリーパセリがいい。 もしイタリアンパセリしかなかったらパクチーでお願いしたい。 青々とした花束を持って赤ら顔をしたその人は、何かを囁く。 青々としたあの香りに包まれた私は、きっとたくさん笑うだろう。
私の友人たちは、会えない期間が続く時、これ好きそう!と見つけたものの写真や情報を唐突に送ってくる。 久々に会った時には好きそうなの見つけたの!と一緒に行く前提で色々話してくる。 おばあちゃんになってもこうやって〇〇しようね、と言ってくる。 その人の生活や日常の一瞬に少しでも私が現れて、 その貴重な時間の一瞬を私を考える時間にしてくれて、 私がいる未来を当たり前のように見てくれていて。 会った時、会えなくても連絡をくれた時、裏にあるそんな一部始終を想像すると私はどれだけ大きな
おじいちゃんとネコってどうしてこんなにも絵になるのだろうか。 今夜泊まる宿がある海沿いのビルの一階、昔ながらの洋食レストラン。 お昼のピークが落ち着いて休憩中なのか、店先の椅子に座る長いコック帽被って赤いタイをつけたおじいちゃんとその足元のネコがぼうっとしている。 ふと足を止めて少し遠いところから観察していると、 おじいちゃんはホウキのようなものでネコをつついている、のか、撫でているのか。笑いを堪えている私の心はつゆ知らず、ネコは気持ちよさそうにそうにうとうとしている。
会いたいと思う人がいること、 その人の為に準備をすること。 会いたいと思ってくれる人がいること、 そう思って自分のために時間を使ってくれること。 時にわくわく、時にどきどきして会いに行くこと、 会ったら時間が過ぎるのがあっという間で名残惜しいこと。 想い、想われていること。 全部全部が愛おしく、尊い。 だから今日も、スキップしながら会いに行くのです。
7:00 社会人1年を過ごし切った節目の月に、大好きなお洋服だけを身に纏ってふらりと鎌倉へ。 ふと、頂いたminäのバッグを初めてお外に出してあげるのは今日かなと思い、おともに連れて行く。まだちょっと背伸びしている感じはするけれどなんだか口元が綻んでスキップしたくなる。 10:00 久々の鎌倉、始まりはやっぱりレンバイへ。 長年恋焦がれていたdaily by long trackのアイスサンド、ようやくタイミングが合った。苺マスカルポーネをひとりもぐもぐ。想像の3倍でかいけ
あたたかな貴方へ 拝啓 朝晩はだいぶ涼しく感じられるようになりましたが、おかわりございませんでしょうか。 私は来たる秋と、ひとつ歳を重ねる日を目前にしてなんだかそわそわしております。貴方にもこのなんてことない夢心地のような日々を味わってもらえたらと思い、思わず筆を執りました。 気張らず、温かい飲み物のお供にでもして下さいね。 9月28日 夏の忙しさを引きずったままに迎えた朝、 睡眠不足のわたしたちはうどんを食べてから無花果狩りに行きました。 その後は海に行って、コーヒ
時間や距離の数値的な変化とともにうつろう色彩の神秘さよ。 透明な波は、海という大きな大きなパレットの上で鮮やかに姿を変える。 泡が発生して白色が混ざると、 エメラルドブルーの浅瀬ではおいしそうなメロンクリームソーダ色になって、 吸い込まれそうな紺碧の沖では柔らかいベビーブルーになったりする。 日中のキラキラした透明の光が降り注ぐときも、日の出日入りの焼けるような赤々しさが染み込んでいくときも、静かに、そして鮮明にうつしとった色を放っている。 こうしてぼーーーっと眺めて
船が通った後の海の底はどうなっているのだろう。 魚たちは、どうなるのだろうか。 航跡波による水圧で死んでしまわないのだろうか。 もし死んでいるとするならば、それは毎秒に平均何匹が日本の周りだけで死んでいるのだろうか。 私たちの上を飛行機が通るとき、空気圧で私たちが死なないように、何事もなければ良い。 私たちが作り上げた愚かな叡智の塊で、脆く屈強な尊さが破壊されなければ良い。
7.12 小さな夏休み。 佐渡島は想像より大きくて、豊かで、ガキンチョな自分が思う存分楽しんでいた。 青がとても綺麗で、夏をまた少し好きになれた。 7.17 図書館は閉まっていて、二度寝した。 日が真上に来た頃にふらりと外へ出て、古本や小道具を見に行ったのだけれど欲しかったものは手に入らなかった。 たくさん買うかもと肩に下げた大きなトートバッグの中にはもっちりとしてとても美味しい厚揚げ豆腐だけが入っていた。 7.25 実家に帰った。「実家」という単語を口にすることに少し憧
型にはめてあげたくないって言ってくれたあの人。 いいのよ、あなたの型にはめ込もうとしたって。 あなたの型にも、あの人の型にだって。 どんなかたちにもフィットしてみることにしているの。私は柔らかいからね。 一度はまってみて、色々なカタチがあるのねって理解して、そのなかから居心地のいい型を選ぶの。 そして抜け穴や形を変えられるところを探して、なかったら作っちゃったりして。 そうして一見だけじゃわからない、だけど私にしかはまれない私だけの型にするの。 私は靭く硬いからね。
何かを生み出す時、そこには本当の自分が現れる。 絵や文章、音楽に写真、折り紙だったり縫い物だったり、文字にも、料理にも、コーヒーにだって。 言葉や表情など表面的に見聞きできるものは誤魔化しが効くけれど、うちから出るものは誤魔化そうと思っても不可能だ。 人のことが知りたい時、私はその人の文字を見る。 丸っこくて可愛らしい字、整った大人っぽい字、バランスがあまり良くない字、いろんな文字がある。 ああ、ちょっと不器用さんなんだなぁとか、表には出していないけど芯があってしなやかな方
心に決めていること。 自分が1番、自分を好きでいられるようにすること。 行動を選択する時、迷った時、それを選んだ自分を好きでいてあげられるか、より好きになれるのかで最終的に判断する。 自分に恥ずかしくない自分でいる 自分に嘘をつかない自分でいる 自分の信念を曲げない自分でいる どんな時も自分の味方でいて、どんな自分でも好きでいてあげられるのは自分しかいないから。