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Girls need self-love.

摂食障害と戦って8年が経過した。
私はたまに自信がなくなる、すると食に当たる。
頭の中が食べ物でいっぱいになり過食する、そして吐く
以前までは下剤を乱用していた、3ヶ月で350錠の瓶を使い切ったこともある、
どう考えても異常であった。
今は症状はかなり安定している、たまに過食嘔吐することもあるが毎日のようにやらない。
いいメンタルクリニックも見つかってサポートしてくれる親友もいる。

発症したのは中学一年生の時だ、
夏休み前に母に「あの子は43kgしかないんだって」と言われてイラついたからである。
その当時から平均よりも体重は重かったし、クラスで一番足が太いと思っていた。
きっとそれ以外にも理由はあったと思う。だからダイエットを始めた。
ご飯は100gしか食べない、給食は全て残す、夕食はスープだけ
そして駅伝部にも入った。毎日5km近く走っていた。
するとみるみるうちに痩せていった。約1ヶ月で43kgになり、
母に報告した。「やせすぎ」と注意された。
そのことにすごく腹が立った。
なんで痩せたのに怒られないといけないのか
無性に腹が立った。

そこから食への執着が止まらなかった。
常に食べ物のことしか考えてない、
授業なんて聞いてない頭の中は食べ物のことでいっぱいだった。

2ヶ月が過ぎてから周りに痩せたと聞かれるようになって嬉しかった。
だけど痩せることはやめられない。
この頃になると体毛が濃くなり、足の裏は真っ黄色になった。
水分も取らないようにしていたので、毎晩脚をつる。
制服のスカートも緩くなりタオルを腰に撒かないと履けなくなっていた。

ある日、母に精神内科に連れて行かれた。
その時初めて自分が拒食症だと知った。

それからが大変だった。

過食症になったのだ。
毎日大量にご飯を食べて下剤を飲むことを繰り返していた。
体重も元に戻り、太ることへの恐怖
食べ物への依存が止まらなかった。
何もやる気が起きなくなり不登校になった。
学校に行きたくない。

家族も崩壊した。
何回も母に怒鳴ったし、殴ったりもした。
母は有給を使い学校に行かない日は休みを作ってずっと横で立っていた。
祖母が母の陰口を言ってきてさらに親子関係は悪くなった。


この時から自傷行為をするようになった。
手首をカッターで切ったり、洗剤も飲んだ。

父は今思えばいつも声をかけてくれていた。
「同僚で飛び降り自殺をした人がいる、けど死ななく後遺症になった。自殺をしたことを後悔してるって」
学校に行きたくない日も車で送ろうかと声をかけて来れた。
最初の頃は無理やり行かせようとしてたけど、2年生になってからは行きたい日に午前休んで連れて行って来れたり
母が有給を使えない日は代わりに仕事を休んで付き添って来れてた。校門まで車で行って帰ってきたこともある。

カナダに住むことになった。
両親と離れて暮らすことにした。
比較的症状は落ち着いた、学校にも行けるようになった。
家族ともいい関係でいられた。

高校を卒業して日本に帰ってきた。
そこから症状が再発した。

周りの人が痩せていたからだ。
自分はデブであると思うようになった。
バイトを始めて、上手く行かない。お客さんに嫌なこと言われる。
自分が美人だったらこんなこと言われないのかと強く思い、自分に自信がなくなった。
17歳の時はかなり酷かった、自傷行為がひどかった。
バイトで腕が見える、だから太ももに切り込みをよくいれていた。
男遊びもかなりひどかった、大量に飲酒もしていた過食嘔吐も毎日してた。
自分を完全に見失っていた。

彼氏ができた。
太ももの切り傷があっても何聞かずテープを貼ってくれるいい人だった。
一緒にいる時間は楽しかった、症状も体重も安定した。
付き合い始めて半年、私が大阪に引っ越すことになった、遠距離になった。
また、自分に自信がなくなる。

私は大阪と相性が悪い、新しく始めた仕事先でお客さんにブスだと言われる。
以前、大阪人に「お前みたいにブスだったら鏡見ないわ」とバカにされたことがあった。毎晩泣いた。とにかく辛かった。
以前は彼氏と一緒によくご飯を食べてに行った。少食な人だったから私も食べる量が減った体重も安定していたが、引っ越してから自炊もできずお金もなかっただから太った。また、食べ物の執着して過食嘔吐をするようになった。
引っ越したくって大学受験をした。国立大学、海外どちらも受験した。
受験のために朝8時から夜10時まで家に帰れない日が続いた。

合格しなかったら死ぬ、そう決めてた。

国立大学に合格していた、
海外の大学に行きたかったから乗り気ではなかった。
けど両親はすごく喜んでいた。
だから行くことにした。

大学はうまく行かなかった。
かなり太ってしまった、過食嘔吐がまたひどくなる。
誰にも相談できなくって
毎日叫んだ、とにかく生活が悪かった。
夜ねれる日はなかった。

この頃両親に当たるようになる。
「私はこの大学に行きたくなかった」
国立に受かってながらこんな贅沢な発言は失礼だと思う。
かなり追い詰められていた。
両親が気づいたのか、私は大学を休学することにした。

そして海外の大学に留学することにした、
最初はかなり大変だったが、同級生は面白くて優しい家族のような存在だった。
自炊ができるようになりジムに行ったり体重や症状が安定するようになった。

留学中、差別を受けることもあった
唾をかけられたり、げっぷをかけられたりアジア人だと罵られたこともあった。
その時は自分が美人だったら差別なんて受けなくてよかったのではないかと思うこともあったが
いい出会いがあっただから自分を責めることをやめた。


2年の留学が終わり復学するのは不安だったが、人として自立し始めた。
証券取引を始めてバイトをしなくてお金に余裕ができて人前に立たなくてもよくなった。
お金に余裕ができると心にも余裕ができる。だから自傷行為をしなくなった。
過食嘔吐もかなり減った下剤の乱用ももう3年していない。

たまに不安になって過食嘔吐するときもある
だけど、私にはサポートしてくれる人が沢山いる。
こんな私でも仲良くしてくれる人がいる。
あんなにも罵声を浴びせたのに笑顔でいてくれる家族がいる。
だから私は自殺なんてしない。

いつか外見に問わられない世の中、そして自分自身を愛せる日が来ると願ってる。

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