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くじ引きで決まる人生

受験シーズンになると人生初の絶望を思い出す。

きっかけは覚えてないけれど小学生4年生の頃に自分から学習塾に通いたいと両親に申し出た。単純に知らないことを教えてもらう事が楽しく、問題が解けるのが気持ちよかったのだと思う。

やがて塾側から中学受験コースに進まないか?と誘いを受けてはじめて中学受験を意識した。通いたい学校、通わせたい学校があるわけではなかったけれどゲーム感覚で「難しいところに挑戦したい!」と受験することにした。

偏差値教育真っ只中の時代で、夏休みなんかには朝から夜までお弁当持参で勉強。ハチマキに目標を油性ペンで書いて気合を入れるような絵に書いたようなThe受験。
やっぱり目標も難しい方がやり甲斐があるよね!…なんて、この頃のわたしはとてもやる気にあふれていたので、国立中学校の中で当時1番難しいとされていた学校に目標を定めていた。
受験シーズンも佳境入る頃、偏差値70台をキープした私はもうすでにその学校に入ったあとの将来の夢も思い描いていた。

絶望の予感もなく受験当日。
算数国語の筆記試験は合格。このために準備してきたのだから当たり前だとすら思っていた。
2次試験は理科•社会だけでなく体育•家庭科•図工•音楽まである。ただ、そこに進む前に《抽選》がある特殊な学校だった。
筆記試験の後、合格者より1つ多いクジを作って全員が選び終えたあとに残ったクジの番号から数人がふるいにかけられ不合格とされるのだ。


今でもときどき考える。あのとき違うクジを選んでいたらどんな人生だったろうな?12歳のわたしは小学校の先生になりたいと思っていた。夢を叶えていただろうか?
自分の努力が足りなくて不合格になった方がまだ納得がいったように思う。無力感。
この後わたしは、勉強なんて意味がない結局は運じゃないか小学校の3年間無駄にしたな…そう思うようになっていた。

公立中学に通いはじめて、同じ塾には通っていたけれど授業内容はすでに習った内容も多かった。
ある日塾内テストで高得点をとった際に「小学校のときにもう習ってたんやろ!点数良くて当たり前やんズルい」と言った男の子がいた。
社会科の先生が「なにがズルいんや、小学校のときおまえが遊んでる時間も勉強してたんや。予習みたいなもんやろ」と言ってくれた。
そのときはじめて無駄じゃなかったと思えた気がしたのを覚えている。

(ただこの先生には申し訳ない事にこの後気を取り直して勉強に励んだかというと違う。中学受験で蓄えた知識だけで高校受験も乗り越えることになる。へへへ。)

数年前ふと思い出して調べてみると、この中学校は抽選制度をやめたとのこと。よかった!クジ運に絶望して勉強なんて意味がないと思う子どもはもういないのだ。あーよかった!

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