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亡くなった愛犬を、現在進行形で可愛がっている

約5年前、とても愛していた愛犬が亡くなった。ブラッククリームの毛色をした、見た目も性格もとっても可愛らしい、ミニチュアダックスの男の子だった。

私はよく、周りにこう話す。「亡くなった愛犬を今でも可愛がってるんだ」と。すると、「え?もしかしてワンちゃんの幽霊が見えるの?」「亡くなったのに可愛がるって、どういうこと?」と驚かれたり、理解をされない。

愛する愛犬が亡くなっても、「愛しい」や「大好き」「可愛い存在」という気持ちは、ペットを飼ったことがある人なら生涯抱き続ける気持ちだろう。私も同じだ。私はそれに加え、「現在進行形で可愛がっている」という感覚がある。

亡くなった今もちろん会うことはできないし、霊感があると言われる私でも姿は見えない。けれど、姿が見えなくても側にいる気がする。

私の思い込だと思うのだが・・・愛犬が暮らしていた部屋に行くと「チャチャッ」と爪の音がする時がある。その音が聞こえるのは、決まってその部屋のみ。そういった体験も、より側にいる感覚にさせられる。


ドラマや漫画の中で、よくこういった慰めの言葉をかけるシーンを見かける。「(亡くなっても)あなたの心の中に生き続ける。きっと側にいるよ。」

私はこの感覚が全く分からなかった。最愛の存在を亡くした人に投げ掛ける言葉として適していない。気休めでしかないだろう・・・と思っていた。綺麗ごとにしか聞こえなかった。

だが、今は分かる。上手く説明はできないが、感覚としてそう思う。亡くなるまでこんな不思議な感覚になるなんて知らなかった。けれど、同じような状況の人は思ったよりいるのではないかと予想している。


もし愛犬の爪音を聞いたり、側にいる実感を持てなかったとしても、写真やお骨に話しかけたりするだけで、少し心が温かくなる。どうしても抱っこがしたい時はお骨を抱きしめ、重みを感じてみる。そうやって身近に感じ、可愛がることはできる。側にいると感じながら話しかけると、悲しさが薄れ、今も一緒に生活をし生前と同じように可愛がっている感覚になる。

亡くなった直後は骨になったことが信じられなく、何度も骨壺の蓋を開き、亡くなったことを自分に認識させた。骨になったことがとてつもなく悲しかった。現在は乗り越え、骨壺にあだ名を付けて接するようになった。

「骨壺アンピーちゃん」。アンジーという名前の男の子で、寂しい時「ピーピー」と鼻を鳴らすことから、「アンピーちゃん」と呼んでいた。今は骨となり骨壺の中にいるので、骨壺アンピーちゃんとして扱い可愛がっている。


特殊な例かもしれないが、例えばこんなふうに亡くなっても可愛がることはできる。これからも自分なりに愛犬を可愛がり、愛しい思い出と共に生きていこうと思う。









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