きゅうりを抜いたかっぱ巻きに、まぐろは入らない

なにか喪失感を抱くような出来事があったあと、人は「心にぽっかりと穴が空いたようだ」と表現する。

最近はその表現に唸ることが多く、心の穴についてよく考えた。


悲しいことがある人の話を聞く。
相手はただ話を聞いて欲しいだけで、こちらにはそれ以上もそれ以下も求めていないのだと思う。
しかし、自分の口から出る言葉の隅には「助けてあげたい」みたいな余計な要素が含まれていることに気付く。


友達がわたしの知らない誰かに、理不尽に、傷つけられているとする。
わたしの知らない誰かは、わたしの友達を無碍に扱い、傷つけたことなんか次の日には忘れたような態度で生活を再開する。

それに比べてわたしはどうか。友達の話を真摯に聞き、その人から離れて幸せに暮らすことを祈り、なんとか笑顔になって欲しいと思う。


どう考えてもわたしの方が優しい。多分それに関しては友達もそう思ってくれていると信じたい。


問題なのは、優しさの質や量ではなく、友達の心の中にどんな形で存在しているかということなのだ。

知らない誰かがどんなクソ野郎でも、そいつはそいつとして友達の心の中に存在していて、そいつがいなくなったとしたらそのまんまそいつの形の穴が空く。
わたしという形が友達の中でどれだけ大きくなろうしても、形はなかなか変わらない。本当に悔しいことに。

心が立体で存在しているとしたら、高さや深さみたいなもんは変えられるかもしれないけどね。


そのことを理解しないと、友達のためだと思ってどんな優しさや厳しさを見せても、なんの意味もなくなってしまう。
途端に、エゴになってしまう。


じゃあ、どうしたらいいんだ。

自分には埋められない穴を作ってしまったひとに、なんて声をかけるのが正解なんだ。
助けたいとかそんな自分勝手な思いよりももっと手前にある、そのひとを大事に思う気持ちはどうしたらいいのか。
未だに何にも分からない。情けないほど分かりそうにない。ごめんなさい。どうにか分かろうとする自分にも、申し訳ない。


諦めなきゃいけないのかもしれない。


祖母がよく言っていた。

「他人の心なんてものは絶対に分からない、自分の心でさえ分からないときがあるんだから。だから、自分が1番でいいし自分を大事にしないといけないよ。」

年々その言葉の意味が分かってくる。


人の気持ちを完全に理解することなんて不可能で当たり前、と思っていても、すぐにそれを忘れてしまう。

すべてのことに限界はあって、他人との関係もそうなんだと思う。ただただ聞いてあげるだけの存在として振る舞って、もう自分の気持ちなんて捨てて押さえ込んででも気軽に接するスタンスをとらなきゃいけない時があるんだと思う。
結局は己の気持ち次第で、他人のアクションなんか本当は全然関係ないのかもしれないし。他人のことなので分かりませんが。


そんなことを考えていると、どんどん自分が冷たい人間になっていく気がする。

Twitterで気が済むまで呟いて、満足するまでライブに行って、それでなんとか気を保とうとする自分と、それをしながらもずっと悲しんだり落ち込んだり怒ったりする感情が続いている自分の、どちらが本当なのか分からなくなってくる。

1人でなんとか出来たこともある分、人に頼るのにはカロリーを要する。その癖、本当にだめなときは結局人の肩を借りようとしてしまう。
そういう自分が凄く嫌いで、半端な人間で嫌になる。


認めてあげている自分も存在している気がする。

軸があると信じ込むことが軸のはじまりだとしないと、もうわたしはやってられないです。もう全部どうでもよくなっちゃう。そうならないための何もしない日であり、たらふく寝る日であり、友達とお酒を飲む日であり…。






もうちょっと上手く生きたいです。感情や思考の面で。

行動はだいぶマシになってきた気がする、自分で自分を褒められるような行為もやっとできるようになってきた。


上手く生きるということは素直に馬鹿に生きることに近い気がしてくる。
めんどくさいこととか、あんまり考えない方がいいんだと思う。

きゅうり人間が空けた穴に、まぐろのわたしが入るって言ってんだから黙って入れればいいのに。かっぱ巻きなんてもんが寿司の部類なの意味わからんだろ。どっかいってくれ。雑に、素直に、言うならばそんなことなんです。


相手の気持ちを想像するとどうしても慎重な言葉選びになってしまうし、自分のエゴがどうとか考えてしまうし、いや多分それも悪いことではないんだけど、

普通に好きだよって言えばいいのかもしれないね。何を伝えても響かないときがあるように、何を伝えても響いてくれるときもあるはずで。なんでも響く時間がスター状態くらい短くても届くように、まっすぐ言ってみればいいのかもしれないよね。難しいよ。


もしも/たらればは尽きないし過去は変えられないんだから、って諦めることと同じくらい、後悔は避けられないんだから、って諦めることも必要なのかもしれないけどまだまだまだまだ超難しいだ。普通に後悔しない人生があるなら最高すぎるし。

寿司食えない人生と後悔しない人生なら絶対後者を選ぶけど、本当に人が寿司食ってるとこみても後悔せずにいられるのかな。
何が言いたいんだ本当に。

早く心の全部で自分が埋められない穴もあると分かりたい。諦めたい。上手に生きたい。
でも、仕方ないとは言いたくない。なんでかも分からないけど、許して欲しい。誰に?分からない。


ザコシ面白いですね。ゆりやんの何でもキ●タマに繋げて「下ネタやんっ」っていうくだりもずっと面白いですね。うるさいバンドはかっこいいですね。少しだけ頭の中の余分を掃いてくれる気がします。
いくら泣いても喚いても日々は続いてしまう。今も、外では鳥が鳴きはじめている。

何度確かめてもそれは同じ。無慈悲。わたしの中では、時間が解決しないのも同じ。こうしてどうにか形にしないと気持ちや思考を終わりにできないのです。
切り替えたフリをして、それが本当になるまで踏ん張るしかないのは疲れるよね〜そう思います。だから、たまには一緒にどこか出かけよう。何か食べよう。少しでもあっという間だと感じる時間を作って、踏ん張りましょう。

だれか、家来てもいいよ。
衣替えの途中で力尽きて部屋終わってるから、誰かが来るのを理由に片付けさせて欲しいだけだけども。ご飯くらいは作るし、わたしの部屋にはテレビもギターもあるから楽しいですよ。ゲームはないですけど…。

解法も結論も出せない。上手いオチも書けない。
強いていうならまぐろはまぐろでもとりあえず中トロを目指すために目の前の自分のことを頑張りますくらいのこと…今日はサークルが新体制になったため交流会。憧れた先輩みたいになれなくても、素直に喋ろうとだけ決めました。

ひとつひとつひとつひとつ 触れるのは目の前のものだけだしね

おやすみなさい

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