後悔は着席なさい

ひとつひとつの選択や出来事が今の自分を作っていると思えば、死ぬまで付き纏うような後悔も少しは軽くなる。

後悔を軽くさせることや悲しみを薄めることが悪なのでは無いかと思う日もあった。


不幸な方が人と関わりやすい気がしたし、自分のことを好きじゃなければ好きじゃないほど周りに受け入れられる気がした。


実際は全然そんなことなくて、幸せを求めた末に幸せになっても良いし、自分のことを好きでも良かった。
若さ故の無意味な僻みが生む空気感に呑まれていたんだと思うし、その考え方を変えることが出来たのは今周りにいる人たちのおかげだと思う。


春休みは穏やかな日々が続いてる。

今日はSAKANAMONを観に行った。
最後に聴いたテヲフルは、今の自分にとって凄く特別な曲だった。

ばらばらと枝分かれてった 今だから分かることがあるよ
ばらばらが其々に成った 今だから会える人がいるよ
空回りして許りだった 後悔を重ねた今までも
幾つもの喜びが或った 全てが間違いじゃ無かっただろ

最後のこの4文に救われた夜がある。

この4文だけではなくて、この曲の歌詞すべてが刺さる人生だ。

こうやって自分の気持ちを肯定してくれる歌があることは本当にありがたいし、それを直接聴けることは本当に幸せだし、恵まれてる。

隣でライブを見ていた友達と意気投合出来るのも、昔の悲しみがあるからこそなのかもしれないと思った。


自分はいつまでもこの歌を特別に思えるように毎日を過ごすべきだと思う。

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