ば らば ら(8月)

この月、わたしにとってはまあまあ大きい変化をもたらす決断をした。

わたしと親しい関係にある人はなんとなく出来事の予想がついたと思うが、やっぱりこの月のことを振り返るには避けて通れなかったことをご了承いただきたい。

別にそのことについてたらたらと書きたいわけではない、そう思えることに感謝したいのだ。

弾丸で海に行ってくれたり、充実した日帰り旅行を共にしてくれたり、ご飯を一緒に食べてくれたりした友人たち全員に感謝したい。
そんなこと以外にも、普通に毎日話してくれたり、電話をしてくれたりする人々みんなに感謝したい。
そして8月はたくさんお笑いを観に行ったし、今まであまり聞いてこなかった音楽を聴き始めたりした。

なんだか冒頭に書いたことのせいで全てが強がりに見えてしまうのではないかと不安だけど、本当にそんなことはないので安心して欲しい(書けば書くほど嘘に見えるのではないか、難しい)。
感謝を伝えるだけの日記など無意味に近いのかもしれないけど、自分は本当に自分だけじゃ生きていけないなと思ったのが8月だった。

自立から遠いという意味ではなく、如何に孤独を感じる機会が少ないかということだ。

思えば、自分は孤独だと悩んだことはあまりないかもしれない。考えすぎる性格の故、自分はなんなんだと思ったりすることはあるが。

多分それは、わたしが孤独ではないというより人間なんて元々孤独だと思っているからだと思う。
おばあちゃんは会いに行く度に「自分以外のものには期待するな、いくら家族だとしても」と言ってくるし、大好きなアーティストは「僕らはひとつになれない、ばらばらだ」と言う。
だから、ひとつとひとつが繋がって成り立っている世界で孤独だと悩むのは、自分には向いていないと思うのだ。

いつからこんな風に考えるようになったのかは全くもって分かりそうにないが、きっとこの考え方は変わらないと思う。
それが理解されなくたっていいし、分かり合えなくたっていいと思う。
考えを理解し合うことや分かり合うことよりも、同じ景色を観て同じ飯を食うことの方が素敵だと思うし、ずっと楽で簡単だ。

やっぱり、自分と違う人間と接し、関係を築くというのは難しい。
でも、楽をしながらなら、少しずつ寄り添える部分が生まれてくる。
そのために、出かけてご飯を食べて、たくさん話すのだ。

そして、わたしはそんな様々な難しいことを難なくこなすためのエネルギーを補充するために娯楽に触れる。
お笑いも音楽も絶対に無くならないって言い切れる。この世に絶対なんてものはないから、多分くらいの方がいいかもしれないけど。

今日も明日もわたしはひとりだし、昨日も一昨日もその前もわたしはずっとひとり!
ひとりと孤独は違いますから、これからもそうやって生きていくと思います。


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日帰り秩父旅行で行った宝登山小動物公園
山の上にあったこじんまりとした動物園。
雰囲気はおぞましかったけどふわふわのコールダックがいてとても癒された…

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