はじめましての日々(2月)
人生ではじめてスポッチャに行った。人生ではじめてUSJに行った。
行ったことがありそうでない場所に行くことが重なる月だった。
予備情報がないというのは非常に楽しい。
周りが慣れたようすでローラースケート靴を履く間にも、わたしの中でわくわくが膨らむ。
関西弁の人たちが日常の一部を切り取ったようにUSJから帰る間にも、わたしの中では余韻が膨らむ。
改めて、はじめては楽しいと思った。
これから歳を重ねていくにあたって、そうして知らないことを知る機会というのはどれくらいあるのだろう。
経験を積めば積むほど、物事の大体を分かった気になってしまったり、下調べをした上で心構えをしちゃったりするのではないか。
ライブのMCで、「新しい景色を見よう」「もっと良いとこまでいこう」って煽りをする演者の人がいるけれど、結構最近までどこにいくんだろうと思っていた。
今ならなんとなく分かる。自分が本当に良いと思ったものは、いくら心構えをしたとしてもそれをゆうに超えてくる。
わたしは好奇心を失うことが怖いのかもしれないと思った。もっと言ってしまえば、好奇心が原動力に変わらなくなってくることが怖い。
ただでさえ余計なことを考えてしまう性格なのに、これ以上合理的なことばかりを原動力にしていたら相当つまらない日々になってしまう気がする!
でも、実際は日々なんてはじめてばかりなんだろうな。
多分いくつになっても。
はじめてを失う一歩は、経験を積むことではなくて、もうすべてを知ったような気になってしまうことであり、好奇心を欠くことであるのだと。
同じ日々の繰り返しは飽きと慣れを呼び、発見を遠ざける気がするけれど、実際はそんなことないだろうし。
そんな日々の中での発見こそが自分の人生の核になっていたりすると思う。
毎日言葉を交わすような友達や、ともに暮らす家族への会話だったり、態度のひとつひとつが、今の自分を映しているのかも。
自分の悪いとこも良いとこも、そうやって分かっていくのだなあと。
最近分かった自分の嫌なところは人に上手く頼れないところ、楽しいと話しすぎてしまうところ…。
最近分かった自分の良いところは…人がティッシュを探しているときそれに気付いてティッシュを差し出せるところ…ですかね…しょぼ…。
もちろん自分を見つめ直すだけじゃなくて人の良いところ(悪いところ)も知ることが出来る。
それらを知ったあとの日々は、知る前よりも確実に豊かだと思うのですよね、
新しい日々になるといっても過言では無いくらい。逆に余計なところが気になってしまうこともありますが。
誰かの行動で発見を得ることがあるように、わたしも誰かに発見を与えられるひとであったらいいなとぼんやり。言葉にするとすごく漠然としているけれど、そんなに難しいことや珍しいことがしたいわけではなくて。
本当ちっぽけで構わないんですよ
雑学程度の発見とか 雑学ともいえないような、あるある的なことでも
良いもの教えるのでもね
このnoteもその一部であると良いな
友達に誕生日プレゼントでもらったデジタル時計
つけてると大体可愛いねって褒めてもらえる、わたしの大苦手分野プレゼント選びも流石のセンスでこなす友達からの頂き物です。
パッと時間分かるのがよくて、バイト中も重宝してますね…
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