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星野源が「なぜ」と歌うから-「光の跡」を聴いて

自分が悩んだとき、誰かに相談されたとき、人とぶつかったとき、私はどうしても理由や起因を考えて言葉にしたくなります。自分の中で時間をかけて言語化し、そして納得します。それでひとつ終わりになったような気持ちになるまでが、自分の中のモヤを晴らす一連の流れになっています。

多分、白黒はっきりつけたい性格なんだろうな。日々の悩みの種になるような関係は切ってしまった方が楽だし、ちょっとでも行きたくない飲み会にはいかないし、自分の中で揺れる部分を少しでも減らして生きていたいのだと思います、なんだか他人事だけど。

私が1人で完結する趣味が好きなのも、何か関係があるのかもしれないです。テレビもライブも音楽も、誰かの予定や都合に左右されずに楽しめるところが自分に合っているのかなと思いました。いや、趣味ってそんなもんか…。


だからこそ、他人のことを信頼しきれないというか、信頼しまくっている人はもちろんいるんだけど、そこに全ベットしすぎないように自分で予防線を張っている面もあります。

この人がいつ自分の前から消えるか分からないし、自分の希望や理想を押し付けてはいけないと頻繁に言い聞かせたり、とにかく依存しないようにと、その上で互いの存在価値を認め合おうと、模索しながら接しているつもりです。ふと帰り道に「ずっと仲良くできるかな、この人と…」と考える時があります。私の中では当たり前の思考だし、もはやみんなそうだろ!と思っているのですが、卑屈すぎると言われることもあります。




さて、本題に入りますが、そんな気持ちを歌ってくれたのが星野源さんが年末にリリースした「光の跡」です。

映画スパイファミリーの主題歌ということで、作品に沿っている部分も多くあると思うのですが流石の星野源。タイアップの王者。ただ単に曲として良いのが前提で、作品を重ねまくれる。自分とも重ねてしまいます。

人はやがて 消え去るの すべてを残さずに

光の跡 - 星野源

ポップな絵柄と心温まるストーリーの主題歌の1行目は、源さんらしい死生観。ここでいう「すべて」は、身体的なことでもあり、いつかは忘れられてしまう精神的なことでもあると思います。悲しいことだけど、仕方ないことだと思います。私も、遠い昔に亡くなった先祖の気持ちや性格を知らずに生きていますし。

惹かれ合うのは なぜ
ただ「見て、綺麗」だと手を引いた
海にゆれる 光の跡

光の跡 - 星野源


冒頭で書いた私が他人と接するときに思っていることも、文字に起こすと凄く神経をすり減らして関わっているように思えるけど、実際はもっと簡単なことでして、単に誰かと気持ちを共有したり日々のことを話したりするのが楽しいだけだからです。

このサビを聴いたとき、自分の中にない記憶を捏造しているんじゃないかと思えるほど鮮明に誰かと海を見た日のことを回想しました。海に向かうまでの道で話したことは覚えているんだけど、海を見ている間話したことはまったく覚えていなくて、変だなと思うんです。でも、きっと何も言わなくて良い時間だったから、何も話していないのだと思います。言わなくても「綺麗だね」という気持ちを共有できている実感があったからだと思います。

それを「なぜ」と問いかけてからそっと歌うやさしさ。はっきりさせなくていいことがあったのだと、気付かされました。強い設定に隠れた作品の本当の魅力であるハリボテの家族がいつの間にか互いのことを想うようになっていくという部分にも大きく一致しながら、ね。

そんな誰が聞いても読んでも良いサビの後に続くCメロ。

見つめ合う
無為が踊る
手を繋ぐ

光の跡 - 星野源

ここで歌う無為(自然なままで、作為的ではないこと)に含まれたものの多さ、重ねてしまうものの数々。

2Aでは「繋ぐその手 やがて解けゆく」と歌っているのに、それでもまた手を繋いでいます。人と人が一緒にいたいと想うことに理由なんていらないのに、どうしてか辻褄を合わせようとしたりなんだりしてしまうけど、無粋だし意味のないことだったのかもしれないなと思いました。


星野源さんが歌うことはずっと変わらない、というのは常々思っているし書いてきていると思うのですが、この曲は2015年リリース「Friend Ship」と近い内容になっていると思います。


君の手を握るたびに わからないまま
胸の窓開けるたびに わからないまま
わかりあった

Friend Ship - 星野源


君が生まれてからのすべてや、君を構成している今までの出来事、どれだけ頑張ってもわかりきれることはなく、それでもわかりあえると、私は星野源さんがいなければ気付けなかったのではないかと思います。つい相手のこと すべて知ろうとしてしまうけど 他人のことを完全に分かることは出来ない。



先日、それを近くで 私に教えてくれた祖母と、もう会えなくなってしまいました。

完治例がなく、寛解を目標に治療することしか出来ない持病を患っていたため、私が小学生くらいのときからずっと先は長くないからと言っていました。「桃ちゃんが中学生になるとこが見れて悔いはない」と言ってくれていたけど、結局大学入学と成人まで育つ姿を見せられたので、よかったです。

孫という1番ただ可愛がってもらえるだけの立場なので、後悔や遺恨はなく、ただもっとたくさん話したかったなという思いです。素直にただ悲しく、まだ実感が湧かないまま数日が過ぎています。

他人には期待してはいけないよ。
親友や恋人 たとえ家族だろうと自分以外のことを完全に分かることはできないよ。自分のこともよく分からないまま生きていくんだから。
と何度も何度も話してくれたんですが、聞くたびにその通りだなと思うようになってゆきました。きっとこれからも何度も思い出すんだろうな。

あと、暴力振るう男は絶対だめだということも早いうちから私の中に刻まれています…。

消えてゆくのに なぜ
ただ 忘れたくない思い出を
増やすのだろう
ほら 出会いは 未来だ

光の跡 - 星野源


悲しいけど、悲しいままだと思うけど、もちろんこんなことになるなら一緒に過ごさなければよかったとは思っていないです。

悲しみを生む原因は元あったものがなくなるからであり、元からそれがなければ悲しむこともないのに、どうして後悔しないのかと考えると、楽しかったからとかなんやかんやありますが、分からないのです。

分からないままでいいけれど、なぜかを考える時間は大切なのだと、源さんが歌ってくれてよかった。
なぜ共に過ごすのかと考える時間が、忘れたくない思い出を褪せずに覚えておく方法だと思います。


祖母が、ただ幸せであることを願います。


カバー画像は、祖母の家の玄関。
書道家だった祖母の趣味が全開で、大好きな家、光の跡。

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