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女性公務員はどこに消えた…

 1990年代のある日…30代の女性公務員が子供を置いて家出した。女性の家族は同じく公務員の夫、障碍を持つ小学生女児と夫の母親だった。

 個人的な見解だが、既婚女性の家出の場合は2つのパターンがあると考えている。そして、それらの2つのパターンにより家出の目的と家出先での生活に大きな違いが生まれ、その違いを念頭に置きながらの我々は調査設計を立てる。そのパターンは…一つは夫との関係が原因の家出であり、この場合は子供を連れての家出が多く、女性の実家が居場所を知っていることが多々ある。 これは夫から妻へのDVの懸念もあるため調査をお断りするケースになる。もう一つは子供を置いての家出。これは特定の交際相手がいると考えられるパターン…つまり「女」に戻るための家出であり、家出先で交際男性と夫婦同然に暮らしていることも多い。

 女性は子供を置いて家を出た。我々は夫に家出前の彼女の日常の様子(誰かと連絡を取り合っていなかったか?日頃の帰宅時間や休日の過ごし方に変化は無かった?等々を訊ねたが、夫からは具体的な情報は得られなかった。ただし、自宅の固定電話(当時はNTT回線の固定電話を使用する家庭が一般的だった。)の利用明細の情報提供があった。通常、利用明細は事前に電話の名義人(所有者)がNTT側に申し込みを行わないと電話利用明細は下4桁が伏せられたものになるが…提出された利用明細には下4桁の数字が印刷されていた。つまり、夫は以前より家出した妻の行動に不信感を持ち、電話で誰とやり取りをしていたのかを気にしていたのだろう…

提供資料(電話の利用明細)の分析

 早速、我々は提供された電話の利用明細の分析を実施した。夫と夫の母親の協力で家出人である妻が「かけた」と思われる電話番号を抜き出す作業。その抜き出した電話番号を市外局番、市内局番毎に分類(NTT回線の電話の場合は市外局番、市内局番で凡その地域がわかる)する。その後、夫の知る電話番号や残された年賀状に記載のある電話番号や職場関係者の人物が利用していると思われる電話番号を除外して…「彼女の秘密」に繋がるかもしれない4つの電話番号が残った。

 我々は同時並行作業として職場の同僚、大学時代、高校時代の友人、知人に聞き込みを開始、その聞き込みのなかで職場の同僚から…いつも「誰か」に電話をしていたが…その「誰か」が「誰なのかはわからない」との証言を得た。さらに、大学時代の友人から彼女が家出前に「大学時代の交際相手と会っていた」との情報を得た。そして、その元交際相手の自宅の電話番号が「彼女の秘密」に繋がるかもしれない4つの電話番号のなかの一つだった。

元交際相手をマークしろ!

 我々は学生時代の交際相手を突き止め実家で暮らすその独身男性の尾行を開始した。1週間の尾行…少し暗い印象のある彼の生活は…朝、会社のために外出、昼間は会社で過ごし、夕方には自宅に戻る…味気はないが堅実な生活…その男性は家出人と接触しない…我々は直接、彼に話を聞くことにした。

 休日の昼過ぎ我々が彼の自宅を訪ねると彼は寝癖をつけたまま玄関から出て来た。彼に訪問の目的を告げ、彼女の写真を見せる。私が聞き役で相棒が彼の表情や身振りを観察する役目だ。

 彼は我々の訪問にかなり驚いた様子だった。そして、彼女が行方不明になっていることにも驚いた表情を浮かべていた。彼によると家出の一か月位前に「突然、彼女から連絡があり一緒に映画を観て食事をした」が、その後は連絡がない。家出していることも知らなかった、という。「家庭の事で悩みがあったらしいですが…具体的な話はなかったです。単なる愚痴程度の認識でしたので…」と、彼は言ったが…私の「肉体関係はありましたか?」の質問には何も答えなかった。つまり、沈黙が彼の答えだが…その後、彼女からは連絡がないとの彼の証言に嘘が無いとすれば…彼女にとって「思い出と現実」は違ったかもしれない…

 テレクラをあたれ!

 調査は振り出しに戻った。我々は「彼女の秘密」に繋がるかもしれない4つの電話番号の残りの3つを調べ始めた。そして、その3つの電話番号のなかに某テレクラの代表電話番号があることがわかった。

 テレクラの代表電話番号…これは非常におかしい…女性がテレクラを利用する場合、通常はフリーダイヤルに電話する筈だ。フリーダイヤルへの通話(発信)利用は、料金がかからない(無料のため)電話明細には残らないが…なぜ、テレクラの代表電話に電話したのか?我々は某テレクラに向った。

 テレクラのオーナー兼店長は…当時、40代後半くらいだったと思う。所謂、強面の人物で押し出しが強そうな雰囲気を持っている男性だった。我々は彼に女性の写真を呈示して単刀直入に聞いた。「我々は警察ではない。我々はこの女性を探している。この女性は行方不明になっている。この女性が家出前にこちらの店に電話をしていた。面倒な事は避けたいので何か知っていれば教えてくれ。」質問の内容はこのようなものだった。彼は写真を見るなり「この女、公務員だろ?肌が汚かったが感度の良い女だった。たまに勤務中に電話してきてたんだよ。店に男性客がいない時は俺が客の代わりに電話に出てていた。何回かホテルに行ったよ。行方不明か?探すの手伝おうか?金くれるか?」

 私は彼の「金、くれるか?」の言葉を聞いて「きたな…」と、思った。そう、今までにも「金をくれたら情報を渡す」との話は何回となく聞いたが…そのような事を言う者は有力な情報を持っていない。仮に持っていても教えることはない。有力な情報をくれる者は(外国は別だが)当事者を心配して善意から無償でくれる…我々は彼に携帯電話の番号を伝え店を後にしたが…勿論、彼からの連絡はなかった。

彼女は何者なのか?

 彼女の捜索はかなり難航していた。彼女の居所に繋がる具体的な手掛かりがなかった。大袈裟ではなく…私は通勤途中や休日も彼女のことを考えていた。公務員として働く真面目な彼女。夫と障碍を持つ子供の妻であり母。夫の母親と同居する嫁。元交際相手との密会…テレクラを利用しての不特定多数との関係…当時の私は若かった。私は彼女に嫌悪感を感じていた。青臭い正義感や倫理観が私の裡にあったのだ。今では違う価値観で彼女を見ることが出来るが…

 その後、「彼女の秘密」に繋がるかもしれない4つの電話番号の1つが、大学時代の恩師の電話番号であることがわかった。勿論、我々は当時70代の彼の家に赴いたが…彼は我々の訪問の直前に体調を崩してしまい…入院中のため話を聞くことが出来なかった(その後、数か月後に他界したと彼女の大学時代の友人から聞いた)彼女は何かの悩みを抱えていたのだろう?その答えは永遠の謎になった。

 「彼女の秘密」に繋がるかもしれない4つの電話番号の最後の1つは、彼女の自宅から約250キロ離れた場所に住む男性の家の電話番号だった。

 我々は彼の家の張り込みを実施した。彼は彼女と同年代…当時30代だった。妻と思しき女性の同居も確認出来たが…彼が働いている様子が伺えない。朝も昼も自宅に籠り、夕方、時折、近所のコンビニへ買い物に出掛ける。見た目はごく普通の30代男性で所謂、反社のような人物にも見受けられない。

 我々は約1週間、彼の行動を覗った。ある夜、彼が出かけ自宅付近のターミナル駅に向かい…その駅の側にあるホテルのレストランで同居女性ではない女性と合流した。「あ!女性と合流しました。背の大きさはマルタイ(対象者/家出人)と同じくらいです!」無線から部下の声が聞こえた。私はかなり興奮していたので…詳しく覚えていないが…「よし!」と言ったと思う。だが…その女性は「マルタイ(対象者/家出人)」ではなかった…あの野郎…私は彼に強い八つ当たりの感情を持ったことを覚えている。後日、同作戦の最後の手段として直接、彼に聞き込みを実施することになった。警察OB調査員と若手の調査員を彼の自宅に派遣し、私は事務所で有力な情報入手に期待していたが…「アイツ、大したタマだよ。最初、任意の質問には一切答えられないと言いやがった。まあ、世間話している間に心が解れたみたいで、妻がいること、たまにテレクラを利用していることは認めたがね。彼女の写真を見ても反応しなかった。お手上げだな」警察OB調査員の口ぶりから疲労が伺われ、250キロ離れた彼への作戦も終了した。

思い出の調査

 前述のとおり、調査の過程で彼女が不特定多数の男性と連絡を取り、実際に会っていたことがわかったが、最後まで誰と一緒なのか、もしくは一人なのか、どこに居るのか、生きているのか、死んでいるのか、さえ答えを出すことが出来なかった。

 最後の調査作戦として我々は彼女が「ある舞台(芝居)」を観に来る可能性に賭けた。

 その「ある舞台(芝居)」は、家出前に彼女が子供と約束し予約していた芝居だった。

 その日、我々は子供と女性の母親と父親と一緒に張り込みをした。舞台の始まりから終わりまで…観客のほとんどが帰る中で我々は待ち続けた。

 その時の子供の顔を今でも忘れない。車椅子の子供の表情が忘れられない。

 今でもたまに思いだす…子供を捨て職場を捨て親と夫を捨てた彼女。彼女はどこに消えたのだろう…彼女は幸せを掴んだのだろうか…

 一番の思い出の調査が失敗の調査。情けない話だ…


以上

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