1920年のルーマニア上院爆破事件
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今回はwikipediaルーマニア語版「1920年のルーマニア上院爆破事件」の記事を翻訳をします。
翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれません。正確さよりも一般の日本語ネイティブがあまり知られていない海外情報などの全体の流れを掴めるようになること、これを第一の優先課題としていますのでこの点ご理解いただけますと幸いです。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。
翻訳において、思想や宗教について扱っている場合がありますが、私自身の思想信条とは全く関係がないということは予め述べておきます。あくまで資料としての価値を優先して翻訳しているだけです。
1920年のルーマニア上院爆破事件
1920年のルーマニア上院爆破事件は、1920年12月8日に極左テロリスト集団によって実行された。
この爆破テロは、「大衆の蜂起」と混乱、王政打倒とボルシェヴィキ政権の樹立を意図したものだった。ルーマニアの共産主義者の代表団がクレムリンにレーニンを訪ねている最中に、攻撃のニュースがモスクワに届いた。コミンテルンはルーマニアでクーデターを起こそうとしていた。
攻撃
1920年12月8日、マックス・ゴルドシュタイン、サウル・オシアス、レオン・リヒトブラウの3人は、ルーマニアの上院会議室に仕掛けられた手製爆弾によるテロ攻撃を計画した。
ゴルドシュタインは、オデッサを拠点とするテロリスト集団の責任者アブラハム・グリンシュタインに率いられた共産主義ユダヤ人のアナキスト・テロリスト・グループのリーダーであった。
彼らのグループは単独で行動したのではなく、1921年にルーマニア社会党から離脱してルーマニア共産党(社会主義共産党と仮称)を結成したルーマニア社会党の極左翼指導者アレク・コンスタンティネスクなどの共犯者がいたのではないかと疑われている。
犠牲者
この爆発により、ディミトリエ・グレチャヌ法務大臣(病院で死亡)、デメトリウ・ラドゥ上院議員(オラデア・マーレ市のギリシャ・カトリック司教、その場で死亡)、スピレア・ゲオルギウ上院議員(病院で死亡)が死亡した。 また、コンスタンティン・コアンダ上院議長、ニフォン・ニコレスク正教会司教、ロマン・チオロガリウ正教会司教も負傷した。
その後
この爆破事件により、「丘の上の裁判」で共産党員が有罪判決を受け、共産党は追放された。共産党指導者ゲオルゲ・クリステスク「プラプマル」は共謀罪の告発を拒否しており、同党の関与はいまだ証明されていない。コミンテルンの指令は暴力的な行動を推奨していたが、爆破事件への関与は不確かである。裁判での証言でクリステスクは、ゴルドシュタインの行動はアナキズムに触発された可能性が高いと主張した。
1921年10月、ゴルドシュタインは、ルセ(ブルガリア)からルーマニアに不法入国しようとして逮捕され、1922年6月28日、マックス・ゴルドシュタインは、上院に爆弾を投げつけ、2人を殺害し、他人を負傷させた罪で無期懲役の判決を受けた。他の被告は1ヶ月から10年の重労働を言い渡された。判決は125回の審問の後に言い渡された。
犠牲者への敬意
爆発で死亡した3人の上院議員、スピレア・ゲオルギウ、ディミトリエ・グレチャヌ、デメトリウ・ラドゥは、国葬にされた。
1920年代、デメトリウ・ラドゥ司教の出身地であるタンパハザ・ウイファラウは、ラドゥ司教を偲び、ラドゥ司教に敬意を表して、ラーデシュティと改名された。
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最後に
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