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名目だけの民主主義

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今回は「名目だけの民主主義」というタイトルの記事です。


名目だけの民主主義

止まらない日本の衰退

指導力への不信

1993年、それまで政権政党だった自由民主党が敗北し、新党ブームによって新たに誕生した政党が協力して連立政権を樹立しました。多くの日本人は古い体制から脱却し、新しい日本の幕開けを予感していたかもしれません。ところがその期待とは裏腹に新党ブームによる政権交代は驚くほど早く終わってしまいました。
90年代の日本はバブル景気の気分にまだ浮かれていたと思います。この頃に始まった日本経済の低迷はその後「失われた10年」と呼ばれましたが、今ではそれに20年追加され、「失われた30年」と表現されるようになりました。
いまや好景気の余韻もすっかりと消えてしまい、世界を席巻したかつての経済大国日本のイメージは多くの人々にとって過去のものとなっています。
日本では経済が停滞した後も以前の体制と同じように自民党がその多くの期間の政権を担ってきました。しかしそれ以前とは異なり自民党は自力で政権を維持することができなくなり、かつての宿敵であった社会党、そしてその後は創価学会とつながりの強い公明党と連立政権を組むなどして生きながらえてきました。
保守政党を標榜する自民党ですが、実状として自民党は日本の保守派の声よりも日本国外からの要求に従っていると感じる人も多いと思います。
以前より指摘されてきた旧統一教会との関係や政治資金の裏金工作といったスキャンダルもあり、現在では中間層どころか保守派からの支持も失っています。
自民党に期待できないならと野党を見ても、自民党のかつての宿敵で、一時は自民党政権を打倒することに成功した社会党は、社会民主党と名前を変更した頃から急速に労働者やリベラル派の支持を失い、現在は既に消滅寸前まで衰退しています。
その後、社民党に代わって自民党に対抗する二大政党の一翼を担うようとなった民主党も、一時政権を獲得し長く政権を担当しましたが、やがて中間層の信頼を失い、今では左派の立憲民主党と右派の国民民主党に分裂し、以前のような求心力を失っています。
最左翼の共産党も中間層左派からの支持を獲得すべく活動していますが、かつての左翼運動の悲劇や中国や北朝鮮のような国家を思い起こさせる古めかしいこの政党は、今でも中間層や労働者の信頼を回復する気配すら感じられません。
与党にも野党にも期待できない多くの国民は、それでもテレビや新聞、雑誌やネットメディアに耳を傾け、新しい指導力の出現を期待しています。
実際にいくつかの政党が誕生し、著名な個人の発言力によって一定程度の支持者を集めることには成功していますが、しかしかつての社会党や民主党ほどの影響力をもつにはその道のりは極めて厳しいものになるだろうと思います。
そもそも、政治家になって高い地位を獲得するスキルと、国家をより良いものにするスキルとは根本的に一致しないものだと私は思います。結論として好ましいものでは決してありませんが、政治家に期待すること自体がそもそも間違っているかもしれません。

力なき主権者

この国の政党について批判的に論じましたが、政治家や政党を批判するだけでは公平ではないでしょう。この国の主権者は国民とされており、私たちは国民についても考えてみる必要があります。
この国では仕事のことをアメリカの流儀に倣ってビジネスと呼んでいます。同様に自分たちのことをビジネスマン(多忙な人)と言っています。不思議なことですが、わたしたちは多忙人間であることに誇りをもち、喜びを感じる必要があるようです。多くの日本人はお金を稼ぐために文字通り忙しく働いていますが、そうであるにも関わらず、今日では食べるのもままならない貧困層が少しずつ拡大しています。忙殺されればされるほどに息苦しくなるのはある意味で必然かもしれません。
日本を訪問する外国人は日本人のことを規律正しいと表現します。そしてこのような発言で埋め尽くされた様々なコンテンツが日本で人気となっています。規律正しいことは確かに悪いこととは言えないかもしれません。しかし何故そのルールに従っているのかも知らずに従っているとしたらどうでしょう。
同調圧力によって言いたいことをいえない社会的空気は国内外でよく批判されます。これまで目上の人の指示や強制的な命令によって、自分の不利益や社会的に正しくないことさえ、嫌々ながら従ったてしまったことはなかったでしょうか。恐らくあった人もいると思います。そのために嫌な思いをしたという人もいると思います。
他方で現代社会は国内外問わず、非常に多くの刺激で溢れています。スマホやテレビ、ゲーム、漫画に囲まれ、駅前のパチンコ店や公営ギャンブル、アイドル、お笑いなど、日ごろの忙しさやストレスを発散するために娯楽はもはや現代においては欠かせないものになっています。
多くの娯楽産業は私たちの神経を強く刺激することで利益を得ています。娯楽は人生になくてはならないものと言えなくもありません。しかし同時に私たちの人生から多くの時間を搾取するものと見ることもできるでしょう。自分の意思とは本来まったく関係のない刺激に、知らず知らずのうちに誘導されているというのが現代の特徴の一つといえなくもありません。
本人が望んでいるかいないかに関わらずに、仕事と娯楽に際限なく時間を奪われ続けることによって、私たちはますます自分のアイデンティティや自分が所属するコミュニティやナショナリティについて問い直す時間を失っていると思います。
日本を良い国にしたいと思いながらも、多くの日本人は選挙にいくことはありません。自分の意思を政治に反映させたいと願いながらも信頼できる政党や政治家と巡り合うことができません。この国を自分たちの力で良くしたいと思ったとしても、時間も資金を捻出できず、信頼できる仲間もおらず、自分自身に自信も持てません。
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは大衆を自分自身を指導する能力がなく、その能力に反してあらゆる権利を要求するとして批判的に論じました。自分たちの力でこの国を変えたいという信念をもった人々の運動は日本にも数多くあります。しかしそのような運動も甘やかされた子供のような考えや振る舞いによって台無しにされているものばかりです。
いまや国民は腐敗した国家をなすすべもなく諦めの境地で呆然と眺めながら、腐敗した国家の中で自らの権利を際限なく要求し続けるだけの存在に成り下がっています。
国民のことを二の次としか考えていないかのような政治家がいる一方で、国民も絶望的なほどに全くの無力です。無力な国民を前に、この国の指導者たちは更に自分たちの都合の良いようにこの国の国体を作り上げていくことでしょう。

遠ざかる平和な社会

戦後日本では、日本国憲法のもとで平和を求めるように教育されてきました。この平和主義は、戦前の日本は悪の帝国だったという反省の上に成り立っています。この考えは敗戦直後アメリカの占領政策によって一般化されました。
しかし占領軍の思惑に反して、日本の隣国中国では国共内戦で中国共産党が勝利し、分断された朝鮮半島でも戦争が起こりました。アメリカ政府が日本を占領しさえすれば東アジアは平和になると考えていたのかどうかは知りませんが、アメリカは日本の完全武装解除という方針を転換する必要に迫られました。
占領直後のアメリカの立場とアジアに共産主義が拡大した後のアメリカの立場は現在の日本の各政党にも受け継がれています。
現在、自民党を中心とする保守派は社会主義勢力の脅威とアメリカの思惑から憲法第九条の改正が必要であると唱えています。一方のリベラル派や社会主義者は戦前の日本に回帰することへの不安から護憲を唱えています。
いずれの立場であっても、基本的には軍国主義国家だった日本が民主国家アメリカによって解放されたという神話をもとに主張されている点に相違はないでしょう。
日本に勝利したのちにイギリスに代わって「世界の警察」と称されるようになったアメリカは、民主主義のための戦いを名目に、世界中の様々な問題に介入して軍事行動をとるようになりました。
20世紀の終わりにソ連が崩壊したときは、21世紀には世界はより平和になっていくのではないかという予感もあったと思います。しかし21世紀はじめにニューヨークのワールドトレードセンタービルに飛行機が突撃するなど同時多発テロ事件が起こると、アメリカは直ちにアフガニスタンに侵攻、その後イラクに宣戦布告しフセイン政権を打倒しました。
アメリカはその後さらにリビアに軍事介入してカダフィ政権を倒し、対テロ戦争を名目にシリアに軍事介入し、シリアの反体制派を支援してアル・タンフなど複数の米軍基地をシリア国内に無断で設置しました。
バイデン政権になってからも、ロシアがウクライナに侵攻、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスがイスラエルを攻撃したことから戦争に発展しました。アメリカを中心に西側諸国は、それぞれウクライナとイスラエルを軍事的に支援し続けています。
日本でどんなに平和主義が唱えられていようとも、世界は一向に平和になる兆しはありません。
これは国家の問題だけに当てはまるものではありません。現在ではインターネットの普及により異なる文化背景を持つ人との接触がより簡単になりました。西側の欧米諸国を中心に多文化共生主義が推進されていますが、一方でアメリカのブラック・ライヴズ・マター運動やヨーロッパの不法移民に見られるような人種間の対立も激しさを増しています。

私たちは誰かに操られているのか

戦後の世界情勢について簡単におさらいしてきましたが、ここでこの国の敗戦からの歴史を少し振り返ってみましょう。

敗戦国日本

戦争末期の1944年末頃から、日本本土で焼夷弾による空襲が本格化しました。焼夷弾が用いられたのは日本家屋を焼き払うのに最適だったからです。空襲は日本全国で行われ、首都の東京では100回を超える空襲がありました。中でも1945年3月10日の東京大空襲による被害が大きく、死者は10万人におよびました。
4月に連合国軍は沖縄を攻撃し、こちらでも民間人だけでも10万人近い人々が犠牲となりました。8月6日に広島に、8月9日には長崎に原爆が投下されました。合わせて20万人を超える人々が強烈な熱線と放射線、超高圧の爆風の被害により亡くなりました。
8月15日に日本はポツダム宣言の受諾を表明し、9月2日には正式に降伏文書に調印しました。日本は1952年までの7年間、連合国軍最高司令官最高司令部(GHQ)の占領下に置かれることとなりました。マッカーサーの指示により憲法改正作業が進められ、大日本帝国憲法を全面改正する形で、1946年11月3日に日本国憲法が公布されます。
連合国の指示により昭和天皇は人間宣言によって現人神であることを否定し、以降天皇は国民統合の象徴という意味づけがなされました。また、完全非武装を目的とした戦争放棄が憲法の条文に盛り込まれました。しかしアメリカ政府からアメリカの軍事力の節約のために日本の再武装を要求する声が上がると、1950年に後の自衛隊となる警察予備隊が設立されることとなります。
1955年に保守派の自由党と日本民主党が合同し自民党が誕生しました。いわゆる55年体制が始まり、自民党は1993年まで単独過半数を獲得し続け日本の政治を掌握しました。日本は1956年に国際連合(連合国)に加入し、旧敵国から連合国の一員としての地位を獲得します。この年に政府は経済白書において「もはや戦後ではない」と高らかに宣言しました。
日本はその後高度経済成長期に入り、1960年に首相に就任した池田勇人が経済学者の下村治が立案した所得倍増計画を打ち出します。10年間で国民総生産を倍増させるというこの計画は、4年後には達成され、一人当たりの国民所得も7年で倍増させることに成功しました。
1964年に東海道新幹線が開通、同年に東京オリンピックが開催され、1970年には大阪で万国博覧会が開催されました。1972年に田中角栄が内閣総理大臣となり、「今太閤」と呼ばれ庶民から親しまれました。しかし1976年にアメリカの航空機製造大手ロッキード社を巡る世界的な汚職事件が発覚し、元首相の田中角栄は受託収賄などの疑いで逮捕されました。
1980年代後半になると都市部に人口が集中し過ぎたことなどが原因となり、東京をはじめとする主要都市の不動産価格が高騰してバブル景気を生み出し、日本は経済的な絶頂期を迎えました。しかし、バブルが崩壊すると、日本は少子高齢化という社会構造のもと、長期的な景気低迷に喘ぐ結果となりました。そこからは冒頭で示した通りです。

冷戦構造と支配構造

日本は敗戦の結果、GHQの要求によって治安維持法が廃止され、政治犯として投獄されていた共産主義者の徳田球一・宮本顕治らが解放されました。
彼らは中国で日本帝国主義打倒を掲げて活動していた野坂参三らと合流し、日本共産党を再建します。コミンテルンで革命の手法を学んでいた彼らは、職場や学校に党員組織を作り、そこから労働運動や学生運動を活発化させていきました。
GHQは終戦直後に、それまで使用されていた教科書の不適切な箇所を墨で塗り消し、書き換えるように指示しました。また階級別に分かれた複線教育や修身が廃止され、男女別学から男女共学に移行し、アメリカに近い教育制度が導入されました。
また占領下の日本の監視・検閲を行う民間検閲支隊を結成し、外国人と日本人混合のチームを用いて郵便・電話・電報などの通信部門、ニュース番組・演劇・映画などのメディアの検閲を行いました。
アメリカ兵による性犯罪や原爆による被害などの報道を検閲することで占領軍に対する批判を抑制することに成功しました。このことが占領政策終了した後の日本の報道機関の在り方に大きな影響を及ぼしたと言われています。
GHQは当初共産主義に同情的な政策を採用していました。しかし東アジアで共産主義勢力の力が増大し、ジョージ・ケナンが匿名で共産主義の拡大を阻止する「封じ込め」政策を主張するようになると、日本でも共産主義に対する警戒が強くなっていきました。
終戦直後、アメリカ陸軍大将のジョージ・マーシャルは中国に赴き、中国国民党と中国共産党による統一政府樹立のための交渉を行いました。国民党がこれを拒否すると、共産党の要求に従ってアメリカは国民党に武器・弾薬の販売を停止することを決定しました。
ソ連からの厚い支援を受けた共産党は、アメリカからの支援を断たれた国民党を追いやることに成功し、1949年に国民党は台湾への撤退を余儀なくされました。
日本では戦争犯罪者として逮捕されていた元軍人らが釈放され、一部がGHQやCIAの諜報員として採用されるようになりました。
赤狩りも本格化し、アメリカ当局により小説家の鹿地亘が拉致され拷問と尋問を受けていたことが明るみに出るなどの問題も起こりました。また、松川事件など国鉄で複数の事件が立て続けに起こりましたが、これについては共産党の信用を失墜させるために国鉄労働組員による犯行に見せかけたGHQによる偽装工作だったともいわれています。
アメリカの情報機関であるCIAは自民党結成に深く関与していたと言われています。CIAのエージェントだった読売新聞の正力松太郎は吉田茂を引退させ、鳩山政権を誕生させるべくネガティブキャンペーンを行ったと言われています。正力は反目していた日本民主党と日本自由党の間を取り持ち、保守合同の成功に大きく貢献しました。
CIA長官のアレン・ダレスは安保条約の改定を目指しましたが、首相となった鳩山一郎は吉田路線を引き継ぎ安保改定に消極的だったため、沖縄の返還を取り下げるなどと圧力をかけました。その後もアメリカに批判的な石橋湛山が首相になるなど、自民党とアメリカの関係に緊張状態が続きました。
駐日アメリカ大使のダグラス・マッカーサー2世は、日本をアメリカに従わせるためにはCIAのエージェントであったといわれる岸信介の力が必要であると警告し、同じくCIAのエージェントである児玉誉士夫の力を借りて岸政権を誕生させました。マッカーサー大使は岸とともに安保条約の改定案を作成し、彼らの働きによりアメリカは占領後もこの国に軍事施設を保持できるようになりました。

地政学的ゲーム

この日米新安全保障条約が締結される際、これに反対する議員や労働者、学生、市民、左翼活動家による反対運動、いわゆる60年安保闘争が起こりました。
沖縄の基地問題こそしばしば世間に取り沙汰されていますが、現在では日本に米軍が存在することは一般的には当たり前のことように受け入れられています。しかし今や日本の130か所に米軍施設が置かれていると言われています。
私たちは核の傘によって守られている、ロシア・中国・北朝鮮による日本侵略を抑止するために米軍は必要であると教えられてきました。確かにもっともらしい理由ですが、本当にこの説明に納得してしまってもよいのでしょうか。
そもそも日本の米軍基地はどのような戦略のもとに置かれているのでしょうか。当然のことですが、日本のことを思いやって米軍基地を置いているわけではないことくらいのことは誰でもわかると思います。
アメリカの思惑はアメリカの地政学の歴史と関連付けて読み解く必要があるでしょう。ここで少し地政学について見ていきたいと思います。
第一次世界大戦前のアメリカ海軍の軍人であり著名な地政学者アルフレッド・マハンは国家の偉大さは海との関係と密接に関係していると考え、国家が如何に制海権を握るかが重要であるとしました。
イギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーは世界の覇権を握るためには現在のロシア全域とほぼ重なる地域を意味するハートランドを支配する必要があると考えました。マッキンダーはハートランドを支配するためにはシーパワーとランドパワーの激突する東欧を制することが重要であると述べています。
その後、アメリカの地政学者ニコラス・スピークマンがこの両者の理論を発展させました。スピークマンはイギリスをはじめとするシーパワーとロシアを中心とするランドパワーが激突する地域の重要性を強調しました。このロシアを取り囲むヨーロッパ大陸から中東、さらに東アジアへと続く三日月状の地域はリムランドと名づけられています。
彼はこれまでイギリスとロシアは協力してリムランドの大国に対抗するか、イギリスとロシアがそれぞれのリムランドの同盟国と共に対立するか、その時々によってどちらかの歴史を歩んで来たと言います。
彼はさらにアメリカはモンロー宣言から続く孤立主義を捨て、リムランドで支配的役割を果たすことが重要であると指摘しています。
スピークマンの考えはアメリカの政治学者ズビグネフ・ブレジンスキーに継承されました。ブレジンスキーはカーター政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官となった人物です。
ブレジンスキーはリムランドの東欧と中欧を含む地域を第一戦略戦線、日本を含む極東地域を第二戦略戦線、アフガニスタンとイランの国境域を第三戦略戦線と名づけました。
ブレジンスキーは米ソ関係をチェスに喩え、これら三地域の対立を制してソ連を封じ込める必要性を論じました。ブレジンスキーが理事を務めたアメリカのシンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)もこの考えを継承し、東アジアをチェス盤に喩えています。
日本ではアメリカの核の傘という用語ばかり論じられてきましたが、日本も日本のいわゆる仮想敵国とされる国々も、アメリカにとってみれば、軍事戦略上の駒であるにすぎないのかもしれません。そのことを私たちは認識しておく必要があります。
実際に現在のアメリカとロシアが対立する状況を見ても、紛争地域の国々の国民たちは駒として利用されているかのようにみえます。今後日本でも国民のかけがえのない生命や財産が、彼らの利益のために利用され危険に晒されることがあるかもしれません。そのことを私たちは肝に銘じておくべきでしょう。

この世界をどのように読み解くべきなのか

利用される歴史学

歴史を少し振り返るだけでも、私たちが当たり前のように信じている常識も、本当は真実ではないのではないかと思うことがあります。私たちは確かに歴史から多くのことを学ぶ必要があります。一方で歴史を学ぶ上で注意すべきこともあると思います。
これまで人類では歴史は勝者によって書かれてきました。時の権力者や宗教指導者の考えが歴史に及ぼした影響は小さなものではありません。これは同時に歴史に限らずというべきかもしれません。
戦前の日本でも、占領下の日本でも多くの検閲基準はありました。現在の日本でも戦後の価値基準から大きく外れた考えやそれと対立する考えはおおやけの場で取り上げられることは難しい部分があります。それはもしかすると検閲とは呼べないグレーな機能というべきかもしれません。
実際に日本のメディアの報道はどれも似たようなものばかりだといわれます。この報道の均質化は日本人の気質からくるものなのでしょうか。それとも大手メディアの閉鎖性によるものなのでしょうか。アメリカの占領政策の結果なのでしょうか。それとも今現在もアメリカなどの情報機関によってコントロールされているのでしょうか。何が正しいかは分かりませんが、日本はメディアによって操作されやすい国という印象は受けます。
2019年末からコロナウイルス感染症が大流行しました。他の諸外国と比較して日本はマスクやワクチン接種を徹底していました。このことに誇りを感じている人ももしかするといるかもしれません。
しかし他方で海外ではマスクを外してからすでにかなりの時間が経過していますが、日本では今なおマスクをしている人がほとんどです。このような現象は海外からの旅行客や日本に関心のある方たちから見れば奇妙なものに見えているはずです。
コロナ現象から見ても日本は他国と比較して言論が均質化しやすい国のように感じます。日本人はマスメディアの報道を信じやすく、他人の目を気にしすぎる傾向にあると思います。
それでは他人を疑わずになんでも信じてしまう日本人はどのように社会や歴史を読み解くべきなのでしょうか。答えは極めてシンプルです。
スイスの偉大な歴史家ヤーコプ・ブルクハルトは神学や法学は歴史を抑え込もうとし、更に敵への攻撃の道具として歴史を利用しようとすると述べた上で、歴史にとって自然科学は利害を離れた唯一の仲間であると表現しています。
科学的なアプローチで歴史を読み解くことは実際に重要だと言えます。しかし同時に自然科学と歴史は全くの別物というべきでしょう。
私たちはブルクハルトが考えたように科学の力を借りて歴史や社会を論じる必要があります。もし仮に権力者や宗教指導者によって私たちの歴史観や人生観が歪められ、そのことによって内面から衰退しているとしたならば、その衰退の原因は歴史の中から読み解く必要があります。そのためには科学の力を借りることは重要なのです。

科学は信用できるのか

私たちが科学の力を借りる必要があるならば、まず科学とは何を指しているのかを知る必要があります。そのために少し哲学の歴史に触れましょう。
1920年代のヨーロッパでは、科学は検証可能であることが重要であるという考えが支持されました。不明瞭な表現や、検証不可能な主張は混乱を招くものとして退けられ、哲学をより科学的なものとする科学哲学の道が開かれました。
論理実証主義とよばれるこの思想運動は「検証できるものだけが科学である」と考えました。この哲学的立場は当時ウィーンを中心に多く学者や学生たちの支持を集めました。こうした考えに対して、ウィーン生まれの哲学者カール・ポパーは全く別の考えを提示して論理実証主義を批判的に論じました。
ポパーは仮説が間違いであることを明らかにできるならば、その仮説は科学的であると考えました。
ある仮説が正しいものであると明らかにすることを証明といいますが、間違いであることを明らかにすることを反証といいます。同じように、間違いであることを明らかにできる性質のことを反証可能性といいます。ポパーはこの考えに基づき、反証することができないマルクス主義などの権威主義的な考えを批判しました。
アメリカの哲学者チャールズ・パースも仮説というのは常に間違っている可能性があると考えました。彼はこの考えを可謬主義と名づけました。現代の科学では、その仮説を非科学や疑似科学と区別するために、可謬主義や反証可能性という概念に基づいて検討されることが主流となっています。科学的方法に基づく結論であったとしても常に正しいとは言えません。
科学以外の分野においても反証可能性という概念が重要性を増しています。アメリカでは判例などにも影響を与えるほどに重要な意味をもっています。これは歴史や社会について検証する場合であっても、反証できるかどうかが重要な意味を持つと思います。
私たちは物事を検証するとき、自分の立場や意見を支持する情報ばかりを収集する傾向にあります。このような心理的な傾向のことを確証バイアスといいます。人間には、一つの結論を正しいと思い込み、それを正しいとする情報ばかりを無意識に選び取る傾向あります。もし私たちが何かを頑なに強く信じている瞬間があったとしたら、時にはそれを疑ってみることも必要です。
社会では何の妥当性もないことが、政治的・宗教的な力を背景に正当化されていることが数多くあります。社会的な規範も、従う理由がまったくない、不条理な理屈を前提としていることは決して少なくないと思います。
政治学や経済学は非常に権威ある学問ではありますが、人間社会のひとつの側面だけをフォーカスしたような抽象論で溢れています。また一部の人たちの利益を生み出すために理論化されているようなものも実際に数多くあると思います。より実用的な情報科学や応用科学が発達した現代において、このような権威ある学問こそが、もしかすると最も発展途上な学問であるかもしれません。

科学は悪意に抵抗できるのか

繰り返しになりますが、歴史や社会を読み解くには科学的な方法を用いる必要があります。それは私たちの信念が根本的にどこか間違っている可能性があると認識する必要があるということです。それでは、このような考えに基づいて歴史や社会を検証していけば十分なのでしょうか。歴史や社会の問題は、自然科学とは異なり人間についての学問であるという点を注意する必要があります。
人間が行使する力の中で厄介なものに暴力があります。暴力は乳幼児や児童、女性や老人など弱い立場の人々に対して向けられる傾向にあります。国家という強大な組織はしばしば武器を持たない市民に残虐な行為を行います。暴力は物理的なものもあれば、心理的なものもあります。
暴力と同様に人間が用いるもので警戒しなければならないものが虚偽です。私たち国民は常に偽情報や宣伝、心理操作の危険にさらされています。人類は善意によって互いに支え合ってきた歴史があります。しかし同時に暴力や虚偽を用いて闘争を繰り広げてきた歴史もあります。残念ながら科学は暴力や虚偽という手段を屈服させることを約束するものではありません。
現代は様々な知識が細分化・専門家されており、一人の人間の能力で人類の知識を完全に把握することはできません。自分があまり知らない学問領域については、必ず別の誰かから提供された情報を参考にする必要があります。どんなに優秀な頭脳を持っている人がいたとしても、その頭脳を構成している多くの情報は別の誰かに証明を委ねたもので溢れていると言っても言い過ぎではないでしょう。
そして様々な情報を検証する過程で、そのうちの一つないし複数の情報に、心理操作や虚偽が紛れている可能性がないとは言えないでしょう。どんなに科学的により確かな結論を得ようと試みたとしても、検証している情報に悪意ある情報が紛れていれば結論は違ったものになるはずです。
人類における文明は日々発展し続けていますが、人類はなおも悪意に対して半ば無防備であり続けています。悪意によって科学的検証がほとんど無力化されることももしかするとあるでしょう。このような事実は日本の失われた30年と呼ばれるものと無関係なのでしょうか。日本はこれまでも決して小さくない悪意に晒され続けてきたと思います。
歴史を読み解くためには、まず科学的な方法を重視する必要があります。加えて、自らがバイアスに陥っていないかを理解するために人間の心理を理解する必要もあると思います。同時に世界の悪意に対処するために犯罪学やインテリジェンスについての理解も必要となると思います。
しかしこれらの知識を得ることは非常に困難なことだと思います。これらの知識は重要ではありますが、時間を全く必要としない恐らくそれよりもずっと重要なことがあります。それは悪意に屈さずに良心を持ち続けることです。そして自分が間違っている可能性について素直に認め、微笑み続ける余裕を持ち続けることです。

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最後に

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