【ジュネーブで結成されたロシアの社会民主主義組織】労働解放団
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今回は労働解放団の英語版Wikipediaの翻訳をします。
翻訳のプロではありませんので、誤訳などがあるかもしれません。正確さよりも一般の日本語ネイティブがあまり知られていない海外情報などの全体の流れを掴めるようになること、これを第一の優先課題としていますのでこの点ご理解いただけますと幸いです。翻訳はDeepLやGoogle翻訳などを活用しています。
翻訳において、思想や宗教について扱っている場合がありますが、私自身の思想信条とは全く関係がないということは予め述べておきます。あくまで資料としての価値を優先して翻訳しているだけです。
労働解放団
労働解放団は、ロシア初のマルクス主義グループである。1883年、ゲオルギー・プレハーノフ、ヴァシリー・イグナトフ、ヴェーラ・ザスーリチ、レオ・デイチ、パーヴェル・アクセリロードによって亡命中にジュネーブ(スイス)で設立された。デイチは1884年に逮捕されシベリアに送られたため脱退し、1888年にセルゲイ・インゲルマンが加入した。このグループは、カール・マルクスの多くの著作の最初のロシア語訳を出版し、それを配布した。ロシア帝国の政治における左翼のナロードニキに対する主要な敵対勢力となった。
プレハーノフが書いたロシア社会民主党の綱領の2つの草稿(1883年と1885年)もこのグループから出版され、後のロシア社会民主労働党(RSDLP)建設への重要な一歩となった。1889年以降、パリで開催された第二インターナショナルの第一回大会では、同グループがロシア社会民主労働党の代表として参加した。
ロシア国内では、労働解放運動は、1895年にサンクトペテルブルクでウラジーミル・レーニンらによって結成された労働者階級解放闘争同盟という別グループに影響を与えた。レーニンは後に、労働解放団が「社会民主主義運動の理論的基礎を築き、ロシアにおける労働者階級運動への第一歩を踏み出した」と記している。
労働解放団は、1903年8月のロシア社会民主労働党第2回大会において解散を発表した。
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