見出し画像

チャールズ・パース『信念の確定の仕方』

以前に科学的方法というものを紹介しました。この中で私たちが「科学的に」物事を探究することについて、プラグマティックなモデルというものがあると記載されていました。

「プラグマティックな」といっても良くわからないと思いますが、まずは「実践的な」くらいの意味でボンヤリと理解するのがよいのではないかと思います。

アメリカの哲学者、チャールズ・サンダース・パースという人は「科学的方法」がどのようなものであるのかということを説明するために、それとは異なる別の方法にどのようなものがあるのかを示すことによって、「科学的方法」というものを鮮明にしようと試みました。

アメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パース

それは私たちが普段どのように自分の信念を固めているのかを、「科学的方法」とは異なる、あまりよいとは言えない方法を示すことでした。

チャールズ・パースは1877年の『信念の確定の仕方』という論文の中で、私たちがどのように物事を信じるのか、そのやり方を4つに分類しました。

パースはそこで次のような文章から話を始めます。

論理学の研究を好む者など、めったいにいるものではない。誰もが、自分は推論の技術に熟達していると思っているからである。だが、私の見るところ、このような自己満足に浸っていられるのは自分自身の推論の場合だけであって、他者の推論の場合にはそうはいかない。

人は自分が考えていることを正しいと感じ、他人が考えていることを間違っていると感じやすい傾向にあります。パースは中世の論理学は非常に初歩的な学問であると一般的にみなされており、子供の頃には誰しもがそれを完全に使いこなせると思い込んでいたといいます。

恐らくですが、私たち現代人もおおよそ自分が論理的に物事を考える力があると考えている部分が少なからずあるのかもしれません。家族や友達、恋人、会社の同僚などとの喧嘩やいざこざなども、もしかすると互いに自分たちが推論の技術に熟達していると錯覚し、相手の推論の技術が未熟であると感じることによって生じている部分があるかもしれません。

それでは推論というものについて見ていきましょう。パースは推論の目的を、「既に知られている事を考察することによって、まだ知られていない事を発見すること」であるとします。そして「正しい仮説から正しい結論を導きだすようなもの」を妥当な推論としました。

パースは知られている事を考察すると、人はそこから推論を導き出そうとする傾向があるといいます。それが生まれつきのものである場合もあるし、学習によって得たものである場合もあります。

例えば、回転している銅製の円盤を磁石の二極の間に置いたとします。この時、仮に円盤が停止したとします。このような現象を観察した人は、同じような状況で銅製の円盤を磁石の二極の間に置いた場合、同じことが起こるだろうと感じるでしょう。真鍮製のような別の円盤を用いた場合よりも銅製の円盤の方が確実にそうなると私たちは感じます。パースはこれを指導原理と呼んでいます。

私たちの心の状態には「疑念」と「信念」というものがあります。何かを疑っている状態から、経験を重ねていくことによって疑いが晴れて信じる心が生まれる場合があるでしょう。このような場合、私たちの心の状態はそれを事実と受け止めて、真偽自体を探求しようとすることはなくなります。

パースはこのように疑念から信念へと推移していく過程にはルールが必要だろうと考えました。私たちが物事を信じる場合、欲望を掻き立て、そしてその欲望によって私たちの行動が形作られます。

例えば、ある集団の人間が、つまらない指導者の命令に従って自ら進んで命を賭けてその作戦に従うのであれば、それは彼らがその指導者を信じているからであり、そのことに名誉心を感じているからです。

もし彼らがそれを信じていなければ、疑いをもっていれば、命を懸けて戦うなどということはしないだろう、もしくは名誉心を感じないだろうとパースは考えました。私たちの「信じる」という感覚は、たとえ程度の差があったとしても、私たちの行動や習慣を構築していきます。

一方で、疑うことは、不安と不満が入り混じった状態であり、その状態から私たちがなんとか逃れて自由になりたい、やがては確かに信じられる状態へ至ろうとするものであり、その疑いが晴れるまで、私たちは探究を続けようとすることだといいます。

それとは対照的に信じることとは、安定し、満ち足りた状態のことであり、私たちはこのような状態から逃れたいとか、別の新しい信念を抱きたいと思うことはないでしょう。信じることによって即座に何かを行動するということはないにせよ、時機を見て何らかの行動をしようとする状態を作り出します。

何かを信じることは、単に信じること自体に固執するだけでなく、信じている対象に執着すらしてしまいます。信じることと疑うことはこのように私たちにはっきりと明確な効果をもたらすだろうとパースは指摘します。

パースは、疑うことが刺激になって、何とか信じる状態に達しようとする努力のことを、「探究」と呼んでいます。もし満足のいく結果をもたらさないような信念があったとすれば、私たちはその信念を排斥しようとしますが、それは信念に代わって疑念が生じたことを意味します。逆にその疑念がなくなれば、探究する努力もしなくなります。

探究の唯一の目的についてパースは「意見を確定させること」であると述べています。

さて、私は物事を信じる方法について、言い換えますと意見を確定させる方法について4つあるとしました。

1つ目の方法をパースは固執の方法と呼んでいます。簡単に言うと自分の気に入った意見を採用したり、自分が思い込んでいる信念について延々と話し続けたり、それを妨げるものに対して軽蔑と嫌悪をもって退けようとする方法です。

パースは固執の方法は社会の側からそれに抵抗する衝動が生まれ、固執した態度に反発するだろうとしています。固執の方法を採用している人は他の人が自分と異なる考えを持っていることを知りうるし、また他の人が自分の考えに負けず劣らず重要なことであるということも知ることができます。固執の方法を採用してもその自信が揺らぐこともあるでしょう。

パースは他者が自分の考えと同等の意見をもっているかもしれないと感じることを極めて重要な進歩であると述べています。

これが個人ではなく、コミュニティの場合はどうなるでしょうか。自分たちのコミュニティとは異なる考えを表明できないようにし、そのために追放や私刑にしたり、心変わりすることがないように人々を無知のままにしたりすることは歴史上よくあることでした。古代や中世だけでなく、現代であってもそうかもしれません。

あるコミュニティにおいて公職についている人たちは、他者への慈しみのためにコミュニティや自分自身の利益を諦めざるをえなくなることを正当とは考えなかったり、自分たちの仲間意識によって極めて残忍な権力を生み出すことも当然にあるでしょう。

2つ目となる、このような方法をパースは権威の方法と呼んでいます。パースはこのような方法について、実際には固執の方法よりも優れているとしています。

多くの文明において権威の方法によって、多くの卓越した技術や作品が生み出されたといいます。パースは人類の大半にとって、権威の方法よりも優れたものはないとすらいいます。それは大半の人間は知的奴隷となることに最高の喜びを感じているからであると皮肉交じりに述べています。

しかし、権威の方法の下にある社会的感情を凌駕するような諸個人がいたとすれば、自分たちが信じている見識や価値観が、権威の下での教育や社会慣習、制度による産物に過ぎないということに気づかざるをえないだろうといいます。

彼らは自分たちの見解が、他の時代や他の国よりもより優れているとみなす理由が何もないと感じるようになり、そのような誠実な感情は押さえつけることができなくなるでしょう。それは自分たちの権威の方法に疑念が生まれているからです。

こうして人は固執の方法や権威の方法を超えて新しい方法を見出そうとする可能性があります。自由な議論の下で、信念を次第に発展させていこうと考えることができるでしょう。

3つ目の方法は理性に従って信念を確定させようとする方法で、これを先験的方法と呼んでいます。パースは理性に適うかどうかという方法は、観察や経験と一致することではないといいます。

固執の方法や権威の方法と比較して先験的方法のほうが遥かに優れているといいます。しかし一方で、先験的方法は、偶然的な環境が信念にもたらす効果を排除できたとしても、別の環境が信念にもたらす効果を増幅させるだけであり、本質的には権威の方法となんら変わりはないとしています。

ではどのように信念を確定させるのか、どのように私たちの疑念を晴らすのか、その方法を見つけ出す必要があります。パースは人間的なものに頼ることなく、私たちの思考にも左右されないもの、外的で永続的なものによって確定する必要があるとします。

神秘主義者は霊感というものを自分たちは持っているというかもしれませんが、これは固執の方法以外の何ものでもありません。

外的で永続的なものとは、例外なくあらゆる人々に影響を及ぼすもの、あるいは及ぼし得るものであり、あらゆる人々が到達する究極の結論は同一でなければならないといいます。これが4つ目の方法である科学的方法の根幹になります。

科学的方法は次のような仮説を前提としています。

①実在的な事物が存在しているということ。
②実在物は規則的な法則に従っているということ。
③実在物はその法則に従って感覚器官に影響を及ぼしているということ。
④知覚の法則を利用して推論し、確かめることができるということ。

パースはまず科学的方法と他の方法との対比に重点を置き、科学的方法の具体的な検討はこの論文ではほとんど言及していませんが、4つの方法を比較することで見えてくるものがあると思います。

パースは固執の方法、権威の方法、先験的方法の利点や特徴についても説明しています。例えば、疑念に思い煩うことのない固執の方法も、その単純さ、真直ぐさには魅力があることは疑いえないでしょう。

しかし、科学的探究以外の方法を採用しても得られる帰結が事実に一致する理由はなく、意見と事実の一致という結果をもたらすのは唯一科学的方法の特権であるとパースはいいます。

信念を確定させる四つの方法

恐らく科学的な方法とされるものの中にも、実際は固執の方法、権威の方法、先験的方法が忍び込んでいることでしょう。もしかすると、そういったものにもそれなりの利点があるかもしれませんが、一方でそれは意見と事実を一致させるという科学的方法にのみ許された結果を犠牲にしていると言えるのかもしれません。

科学の方法以外にも長所はある。科学の方法における明晰な論理を良心とするのであれば、何らかの犠牲はつきものである。それはちょうど、いかなる美徳であれ、我々が大事にしているものすべては高くつくのと同様である。しかし、何の犠牲もなく論理的良心を持ちうるなどと望むべきではない。ある人が論理的方法の才に恵まれているのであれば、その才能は、彼が全世界からたった一人選んだ花嫁のように、愛され尊敬されてしかるべきである。彼は意見確定の他の方法を軽蔑する必要はない。それどころか、彼は他の方法に対しても深く敬意を払ってもよいのである。そうすることで、彼はかえって、自分の花嫁たる科学の方法に、結局のところ、一層敬意を表すことになる。しかし、花嫁たる科学の方法は、彼が自ら選択したのであり、自分がそのように選択したことは正しかったと彼は知っている。そのような選択をした以上、彼は花嫁のために働き、闘うことになるだろう。そのことで数々の痛手を受けるかもしれないなどと、彼は不平をこぼしたりせずに、自分の行いによって、他の人も同じように激しい痛手を同じ数だけ被るかもしれないと考える。そして、花嫁の放つ目映いほどの光彩から彼は霊感と勇気を手にし、彼女にふさわしい騎士となり、勇者となるべく、懸命に努力するのである。

『信念の確定の仕方』

このように科学的方法に永遠の愛を誓ったパースでしたが、生涯において貧困に苦しみ、生前はほとんど顧みられることはありませんでした。しかし、死後に残された多くの文書は様々な分野の研究者に多くの刺激を与えています。

関連記事

最後に

最後までお付き合いいただきありがとうございました。もし記事を読んで面白かったなと思った方はスキをクリックしていただけますと励みになります。

今度も引き続き読んでみたいなと感じましたらフォローも是非お願いします。何かご感想・ご要望などありましたら気軽にコメントお願いいたします。

Twitterの方も興味がありましたら覗いてみてください。

今回はここまでになります。それではまたのご訪問をお待ちしております。

今後の活動のためにご支援いただけますと助かります。 もし一連の活動にご関心がありましたらサポートのご協力お願いします。