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胸を掻き毟りたくなるようなこの感情に名前を付けよう

#おっさんずラブ  の最終話の放送から早1週間が経ち。
仕事中もロスを引きずりまくって抜け出せない私は、感想や考察、二次創作の数々を読みあさってはどうしようもない手持ち無沙汰感をやり過ごしている。
実家にいる母に聞けば、周囲のママ友は皆ドラマを見ていて、集まるたびにドラマの話で盛り上がっていたそうで。
やはり相当なインパクトあるコンテンツだったんだな、と日々しみじみと思う。

今回のブームをどう捉える

別に「性別も年齢も超越した愛のドラマに心揺さぶられたから!」とかそんな大層な理由ではなくて、
見目麗しい芸能人たちによって繰り広げられた、華やかな「つくりものの物語」だから、視聴者が食いついたのかもしれない。
別にこのドラマが流行したからといって、性愛の多様性が認められたという証明になる訳でもない。
そんなことは百も承知の上で、私がこの約2ヶ月間でボンヤリ考えたことを、覚えているうちに文章化しておきたい。

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物心ついた頃から腐女子である。

小学校5年生とかそのくらいだったと思う。
家が近所で幼い頃から頻繁に遊んでいた友達が、私を2次元の沼に引きずり込んだ。
ネット上で小説や漫画を漁り始め、BLの存在を知り、気づけば好むようになっていた。 
そもそも腐女子とは何たるか(我ながら公開処刑のようだけど)。

腐女子(ふじょし)男性同士の同性愛が描かれた作品を好む女性を指す呼称のひとつ。

適当にググってみると解説が見つかるけれど、たぶん当人たちは「腐っている女」という表記をされるのはなんとなく不快だ・心外だと思っている。
男女の恋愛ドラマなら、キャラクターの設定が甘かったり構成や脚本がつまらなかったりがっつり濡れ場が組み込まれていたりしても許容されるのに、
同性同士になると目を背けられてしまうのはどうしてなんだろう。

腐女子を自覚してはや10年ほど経つけれど、普段は意識的に身を潜めながら生きている。
BLが好きというのはある種特殊な性癖のようなものだ、と考えてきたからだ。 

時折3次元を見ては「眼福!」と手を合わせて拝んでいたりもするが、知り合い同士の絡みには唆られないから、基本的には対象は街中で見かけたカップル(推測)。遭遇できる確率はごくごく低い。
なので需要も供給も常にオーバーフローしている、2次元の男達の戯れを見ては萌えを噛みしめる日々。 
  
腐女子たちは、男性同士という生物学的障壁を物ともせずに愛し合う男性たちの恋物語に、なぜかどうしようもなく心揺さぶられるのである。
ぶっちゃけ、構成もキャラ設定もガバガバに甘いチンケな少女マンガよりも、素人による二次創作の方が数億倍胸打たれる。
と、多分みんな思っている。 

でもそれを公にするのはよろしくない。
なぜなら特殊性癖だから(2回目)、嘲笑や侮蔑の対象になってしまう。
BLは密やかなシュミとして個人で、もしくは同志らと愉しむのが常識だった。

だからまさかこれほどキャッチーに同性愛を扱ったドラマが、ものすごくたくさんの視聴者に受け入れられて全国的に大流行するとは。
そんなことは、この約10年間で想像してもみなかった。

そして同時に反省した。
性別に左右されない愛の在り方を賞賛しておきながら、男性同士のカップルについて「ホモ」「BL」と気安くカジュアルに称していたことを…

ボーイズでもガールズでもおっさんズでも関係ない。
女性のライバルが男性だって、20代のライバルが50代だって関係ない。
顔面やプロポーションがどうとか黒髪とか銀髪とか、ツンデレとか総攻とかもう全部ぜんぶ関係ないのである。 

そこに、たしかな愛があれば。 
そこに、相手を想う気持ちがあればいいのだ。 

テクノロジーが発展し、人の繋がりのあり方も多様化した今日。
恋愛のあり方だって多様化している、言葉ではわかっている。
けど大衆の価値観なんてそう簡単には変わらない。 

マッチングアプリを使って出会うということは、なんとなく美しくない。
合コンとかお見合いとかも、なんとなく美しくない。
恋愛結婚が最も素晴らしい。
みたいな思想は今だって健在である。
男女の出会い方についてまで頑固な固定概念が根付いた社会で、同性同士の恋愛が受け入れられるのはいつの日になるのだろうか。
だから牧みたいに、同性を恋愛対象とする人たちは世間の目や声に苦しめられてしまう。
今もそんな風習を無意識に共有しているのがこの国だ。 

実際主人公である春田は、作中かなりトゲのある言葉を吐いていた。
「男同士とかマジありえねーから」
「だって男だよ?」
対する部長も失恋するシーンで涙ながらに、振られた理由について
「男だから?」と。 

当たり前とか常識とか、私たちがオギャアと生まれてこれまでのいつの間に刷り込まれてしまったのか、分からない。
でもその「なんかよくわからないけど大半の人が持ってる一般常識」に囚われる人々が存在していて。
牧が春田母とエンカウントするシーンなんかは、正直全編通して一番辛かったけれど、
その「辛い」と感じてしまうのも、各々持っている一般常識っぽいものとの比較を無自覚にしているからで。 

同性愛というテーマの本質を、フィクション感満載にし過ぎず、作品の空気が重くならないギリのところで取り込んで表現しているのが、OLの素晴らしいところだと思う。 

波乱の6話、Instagramアカウント『武蔵の部屋』炎上などを経て迎えた最終話。
春田の出した答えはとてもシンプルで、このドラマのテーマを象徴するものだった。 

「ずっと一緒にいたい、だから、結婚してください」

身体がどうとか性別がどうとかは本質じゃない。
在るのはその人とずっと一緒にいたいという、純粋で素朴な欲求のみ。 
きれいごとかもしれないけれど、人と人が寄り添うことの本質みたいなものを、このドラマはごくごくシンプルな形で教えてくれたと思う。

うーん、文章力の無さゆえに消化不良感が否めない…けれども、このドラマに教えてもらったことを要約すると、
愛し合うふたりがただ寄り添って生きていける、それってとっても素晴らしいことなんだ、と。 

愛し合う春牧を愛でる理由に、腐女子とか腐女子じゃないとか関係ねえんだよな、と。

夜な夜な考えて、今はその二言に至った。 

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最後に
牧が作中で、男女カップルにCOするシーンで、かみしめるようにして言っていた言葉が強く印象に残っている。

「世間はいつだってうるさいです。でも結局、今の自分たちにとって一番大事なものは何かってことだと僕は思います」


最後まで読んでくださり、ありがとうございます!