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卒業論文を書くことについて

はじめに

大学の4年生になると卒業論文(卒論)を課せられる学生は多いと思う。もちろん、例えば芸術系の大学であれば卒業制作があるだろうし、卒論の代わりに調査レポートやその他の課題を課される学生もいるだろう。

ここではあくまで卒論を書く学生を対象に、そもそも卒業論文を書くということはどういうことなのか、どのような能力が求められ、それを養うことができるのか、自分なりの考えをここにまとめておく。

卒論を書くこと

卒論を書くということは、第一に自分で探求したい問いを立て、
それに対する答えを自分なりに見つけ出す一連のプロセスを意味する。
卒論が「卒業研究」として位置づけられるのにはここに理由がある。

卒論は高校生まで行っていた「勉強」ではなく、
あくまで自ら問いを立て回答する「研究」活動なのである。

勉強は大して難しいことはない。
教科に関して得手不得手はあるにせよ、
良い成績を修めるためには、いわゆる各科目の攻略法(それは公式だったり問題のパターンだったり、知識だったり)を覚え、それを実行するだけでよい。

時間と集中力をもってすれば、平均的な人は勉強を続ければ以前よりもよい成績を修めることができるようになるだろう。

一方、卒論において良い成績を修めるのはより難しい。
つまり、良い卒論を書くのは非常に難しい。
なぜなら、良い卒論を書くためには良い研究をする必要があるし、適切な形式で論文を執筆しなくてはならない。

ではまず良い研究とは何か?これを定義するのは非常に難しい。

役に立つ研究が良い研究なのか?
真理を明らかにした研究が良い研究なのか?
今まで誰も気づかなかったような新しい研究が良い研究なのか?

世の中の全く役に立たない研究であるが、新しい真理を明らかにした研究と、対して新しいことを発見したわけではないものの、現実に応用可能な研究があるとすると、どちらがより良い研究なのだろうか?

良い研究の定義は曖昧だし、おそらく指導教授によっても良い研究と考えるものは違うだろう。
よって、卒論を書く学生は、そもそも「良い研究」を目指して卒論を書くのだが、その「良い研究」とは何かも自分でちゃんと定義し、
それに合うように研究をデザインしなければならないことになる。

また、論文には形式がある。
この形式に従って論文は書かなくてはならない。
また、自分で素晴らしい研究をしたと思っても、
それがちゃんと読み手に伝わらなければ適切な評価はされない。
純粋に文章を書く力が求められるのである。
よって、卒論において良い成績を修められない。

まぁ、形式に関してはAPAスタイルとかシカゴ・スタイルとか、
いくつかの形式があるのでそれに従って論文を書けばよい。
また、論の進め方もある程度形が決まっているので、
それも全体の論理構成を決めるのはそんなに難しくないだろうが。

卒論を書く上で求められる能力

卒論を書くにはいくつかの能力が学生には求められる。
第一に論理的思考能力。
論文とは論理的な文章のことである。
なので、論理的思考がない学生には書くのは難しい。

論理的思考能力を身につけるためには、
自分の考えをノートやワードなどにまとめてそれを他人に見てもらい、
突っ込んでもらうと良いだろう。
自分では論理的に考えることができたと思っても、実際は穴だらけである。
こうした第三者からのフィードバックは、聞くのはつらいし胃が痛くなるかもしれない。
でも、そこは自分の成長のためだと思って苦しみを乗り越えてほしい。

第二に求められるのは情報収集能力。
多くの学生はググることしかできない。
でも、それだけでは論文はかけない。
ググるだけなら小学生でもできる。

検索をして自分の求める情報にたどり着くこと、
そして、その情報が正しい情報なのかを見極めること、
これらは情報収集能力を構成する重要な要素である。

また、インターネット上には存在しない情報もたくさん存在する。
それは紙媒体の書籍だったり雑誌記事だったり、
ヒアリングだったりインタビューだったり。

とりわけ、インターネット上の情報は誰でもアクセスできるという点で価値は低いのだから、それに依存し過ぎないようにすることは論文を書く上で大切かもしれない。

また、ChatGPTを使って論文を書く人もいるだろう。
ChatGPTのような生成系AIは、論文を書く上で自分にない視点を提供してくれるかもしれないし、文献の整理や要約などで力を発揮する可能性がある。
一方、ChatGPTによって生成された文章が、本当に正しいのか、その判断は利用者に委ねられる。ChatGPTによって生み出された情報をどう扱うかは、結局は執筆者自身なのである。

三つ目の能力は分析力。
論文を書くにあたってたくさんの証拠を集めることになるだろう。
これらの証拠は、自分の主張を支持するものである。

これらの証拠には、統計的なデータも含まれれば、
インタビューの内容や参与観察をした結果も含まれるだろう。

これらの証拠は素材であり、ちゃんと自分で分析しなければならない。
データを分析するのであれば、統計の知識や計量経済学の知識が必要になるだろうし、インタビューや参与観察の内容を定性的に分析するのであれば、ケースメソッドやグランデッドセオリーなど、既存の定性的研究手法を身につける必要がある。

分析手法をちゃんと学習せずに分析することは、ふぐ調理師の免許を持たずにふぐを調理するのと同じくらい愚行である。死人が出る前に、分析手法をちゃんと学習することをお勧めする。

もちろんこのほかにも、締め切りまでに論文を書き終える能力だったり、
図表をきれいに見せる能力だったりいろいろなものが求められるが、
大きなものだと上記の三つかなと個人的には思う。

おわりに

最終的に、卒論を書くことで上で述べた論理的思考力、情報収集能力、そして分析力はかなり身につくのではないかと思っている。

とりわけ、卒論を書くプロセスで指導教授やゼミの仲間と喧々諤々の議論をするだろうから、そこで上記の能力は十分に揉まれるはずだ。

また、これらの能力は自ら問いを立て、その回答を見つけ出す、というプロセスにおいて大いに役立つはずだ。

とりわけ、学生から企業や組織で働きお金を稼ぐようになると、世の中には自ら回答を導き出さなければならない機会ばかりであることに気がつくだろう。

例えば、営業部に配属されたら、どうすれば売上を達成することができるのか、という問いに対してアプローチしなければならないだろうし、人事部に配属されたら、どうすれば従業員が仕事ををしやすくなるか、どうすればもっとやる気を出してもらえるかといったことを考える必要がでてくるだろう。

卒論を書くことで、自ら問いを立てそれに対して回答を導き出す、その練習ができる。そして、このプロセスは社会に出れば当たり前のように取り組まなければならない。
その意味で、学生が卒論を書くということは大学生活を締めくくるにあたって最も有意義なことだと思う。

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