組織の不正と個人のアイデンティフィケーション

自分の所属している組織に対して所属している感覚を抱くプロセスのことを、社会(あるいは組織)アイデンティフィケーションと呼ぶ。そして、このアイデンティフィケーション・プロセスを通じて、社会(あるいは組織)アイデンティティが形成されることになる。

例えば、自分は慶應義塾大学を卒業していて、塾生の絆みたいなものの強さを感じることが多々ある。そして、自分は慶應義塾大学の卒業生だ、ということが自分自身を構成する重要な要素になっていたりする。これは、慶應義塾大学のメンバーであったということが自分のアイデンティティ形成に大きな影響を及ぼしていることを示唆している。

今回の論文は、そんな個人のアイデンティフィケーション・プロセスに不祥事のようなネガティブな事象がどのような影響を与えるのか、を考察している。そして、この考察を通じて、過去に所属していた組織等へのアイデンティフィケーションが個人の遺産として現在においても作用し続けることを主張している。

論文は、アメリカのペンシルバニア州立大学で2011年に起きたフットボール・コーチを務めたサンダスキー氏による少年への性的虐待事件を題材に、この事件がどのようにペンシルバニア州立大学の卒業生のアイデンティフィケーションに影響を与えたのかを説明している。

ペンシルバニア州立大学で起きたセックス・スキャンダルによって、卒業生は衝撃を受けることになる。自分が卒業した大学がまさかこんなことを、というのが卒業生の気持ちだろう。そして、かつて大学で築いてきたアイデンティフィケーション・プロセスが、不祥事を通じて修正されることになる。

著者らは再評価のためのアイデンティフィケーション・プロセスを五つ提示している。一つ目は無条件のアイデンティフィケーション (Unconditional identification) である。これは、過去のプラスの感情や認識を事件後もそのまま持つようになるプロセスである(「私はペンシルバニア州立大学が好きだし、そのことが自己のアイデンティティにとってプラスに影響を与えている」)。

二つ目は非アイデンティフィケーション (Disidentification) であり、これはその組織に対する負の感情や認識に基づくアイデンティフィケーションである(「私はペンシルバニア大学が嫌いだし、もはやペンシルバニア大学は私のアイデンティティに影響を与えていない」)。

三つ目から五つ目は、いわゆる相反するアイデンティフィケーション (Ambivalent identification) と名づけられており、これらは個人のアイデンティフィケーション・プロセスにおいてプラスとマイナスの両側面が共存している状態である。そして、このアイデンティフィケーション・プロセスが今回のケースにおいては顕著に表れていたという。

それでは一つずつ見ていこう。三つ目のアイデンティフィケーション・プロセスは、調停的アイデンティフィケーション (Reconciled identification) である。これは、不祥事によって困惑をするものの、それでもなおペンシルバニア大学に対して好ましい印象を持ち、アイデンティティにとってプラスの意味を持っている状態を示している。確かに不祥事はあったけど、それでも私はペンシルバニア大学の出身者だし、それは私にとって重要なことなのだ、という表現がこのアイデンティフィケーション・プロセスを端的に示している。

四つ目のアイデンティフィケーション・プロセスは選択的アイデンティフィケーション (Selective identification) である。これは、ある一部分のみがアイデンティティにとって重要な位置を占め、他の部分はアイデンティティにとって重要ではない、というようなアイデンティフィケーション・プロセスを示している。ペンシルバニア大学の文化は私のアイデンティティを形成するうえで重要だけど、不祥事を起こした大学の役員たちはペンシルバニア大学の汚点だ、という表現が、このアイデンティフィケーション・プロセスを示している。

最後のプロセスが条件付きアイデンティフィケーション (Conditional identification) である。これは、ある条件が発生すれば、それが重要なアイデンティフィケーション・プロセスになることを示しており、例えば不祥事を起こした人が解雇されれば、また大学を好きになるだろう、といった表現がこのプロセスの代表的なものである。

こうしたプロセスの結果、人は大学への支援を継続したり打ち切ったりするようになる。例えば、不祥事の結果、非アイデンティフィケーションを行った人は大学への寄付を打ち切っていた。一方、相反するアイデンティフィケーションを行った人々は支援を継続する人もいれば支援を打ち切るものもいたという。

本研究の功績は、過去のアイデンティフィケーションが現在もなお人々の行動に影響を及ぼす可能性があり、それによって将来の行動も変わってくるだろうということを示唆している点である。そして、アイデンティフィケーションのダイナミズムを捉えたという点が既存研究にないユニークな点である。

最近では日本大学の不祥事など、国内でもアイデンティフィケーションにネガティブな影響を及ぼす事件が起こっている。こうした結果は、今の大学関係者だけでなく、卒業生のような過去に大学と関わってきた人々にも大きな影響(ときにネガティブな影響)を及ぼし得るだろう。

Reference

Eury, J. L., Kreiner, G. E., Trevino, L. K., & Gioia, D. A. (2018). The Past Is Not Dead: Legacy Identification and Alumni Ambivalence in the Wake of the Sandusky Scandal at Penn State. Academy of Management Journal, 61(3), 826-856.

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