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未来を『思い出す』ための対話

「あの頃はまだ20代で若くて、当時マネージャーだったAさんには教えてもらってばかりいたんですけど、今は私も成長して、Aさんとは対等なパートナーとして、お互いに影響や刺激を与え合いながら楽しく働いています。いろいろ大変だったけど、あの頃たくさん育ててもらって、Aさんにはほんとに感謝しかないなと思って。」

彼女はまだ実際には20代なのだが、30代になった彼女は、当時は自分の上長であり、現在も仕事の良きパートナーであるAさんに、今日までにあった様々な出来事を思い出しながら、あらためて感謝の気持ちを伝えていた。

一体どういう状況なのかわけがわからないと思うが、これは先日社内でやった「未来語りのダイアローグ」の一場面だ。

「未来語りのダイアローグ(Anticipation Dialogue)」は、精神医療の現場で注目を集めているオープンダイアローグと共に、1980年代のフィンランドで開発され、世界に広まった対話手法だ。
未来語りのダイアローグは、「未来を思い出す」という非常に独特な方法で対話を行うことを特徴としている。

例えば私たちが、未来の自分たちの理想の姿を考えたいとする。
未来のことを考えたい場合には、いま現在の視点から、望ましい未来の姿を想像するのが一般的なやり方だと思う。

しかし、「未来語りのダイアローグ」では、まったく違ったまなざしで未来を見る。
この方法では、目標などを達成できた望ましい未来に自分たちがすでにいると考え、未来からそこに至るまでの過去(現在から見ると未来)を"思い出す"という形で対話をする。
もちろん、実際に未来にいるわけではないため、「自分たちはいま未来にいる」という設定で、即興劇のような形で対話を行う。(冒頭の言葉は、まさにその即興劇の中で参加者の一人から出てきた言葉だ)

未来語りのダイアローグは、フィンランドの対人支援の領域で生まれた対話手法だ。精神疾患などなんらかの問題を抱える当事者やその家族に対して、複数の支援者が関わっているにもかかわらず、状況が改善しない、あるいは連携がうまくいっていないといった問題ケースの解決に、特に有効な方法だとされている。
つまり、連携が行き詰まり、膠着状態に陥ってしまったチームの状況を改善するために効果的な対話手法なのだ。

私たちは、大変なことが待ち受けている未来を想像すると、「私たちはこれから、こんな大変なことをしないといけないのか…」と不安な気持ちになってしまう。
しかし、未来語りのダイアローグでは、すでに大変なことを"乗り越えてきた"未来の視点から過去を思い出すため、大変な出来事も、「私たちはこれまで、こんな大変なことをしてきたなぁ…」とすでに過ぎ去った出来事として振り返ることができる。
これにより、不安な気持ちが軽減され、現在のチームの膠着状態を打開するための未来の可能性が見えてきやすくなる。

私たちはいまどんな理想的な未来にいて、ここに至るまでに、一体どんなことをして、どんな危機をどんな風に乗り越えてきたのか。
危機を乗り越える際に、一体誰がどんな風に、私(私たち)のことを助けてくれたのか。
そんな風に、乗り越えてきた過去(未来)をみんなで思い出すという即興の対話は、これはやってみてもらわないと伝わらないと思うが、チームの中に、新しい心のつながりを生む、非常に不思議な体験だ。

私は普段、株式会社MIMIGURIという会社で、組織の課題を解決するためのコンサルティング支援の仕事を行なっている。
MIMIGURIでは、この「未来語りのダイアローグ」が、一部メンバーの中でちょっとしたブームになっており、ここしばらく、様々な応用的な実践・実験が日々行われている。

例えば、社内の取り組みとしては、個人の未来のキャリアや、プロジェクトチームの未来のありたい姿を考えるためのきっかけとして、未来語りのダイアローグを実践する人たちが出てきはじめている。
また、クライアントとの仕事の中でも、ビジョンを実現した自組織の未来を想像したり、組織の中長期ロードマップを開発するプロジェクトの中で、未来語りのダイアローグを活用した事例がすでに生まれている。

もはや我々の実践が「未来語りのダイアローグ」の範疇におさまるものなのかはわからないが、この対話手法(そこに込められた思想)のポテンシャルを最大限に引き出すことができれば、対人支援の領域だけではなく、ビジネスの現場や、地域活動や教育の現場などにも、この価値を広めていける未来があるのではないかと、最近本気で感じるようになってきた。(なんだかこれを書いていて、「未来語りのダイアローグ」の未来の可能性について、未来語りのダイアローグをしてみたい気持ちになってきた)


私はこの未来語りのダイアローグを社内のみんなと実践する中で、目の前にいるチームメンバーとの、ありえるかもしれない様々な未来を一緒に見ることになった。
その即興劇の中で語られた、新しく見えてきた未来や、そこで生まれた他者との感情的なつながりは、もしかしたら本当に自分たちの未来として実現できるのではないかという、生々しい手触りとリアリティを私の記憶の中に残している。
これは私個人の見解ではあるが、未来語りのダイアローグは、未来の可能性を考えるためのアイデア発散ツールなどでは決してなく、実はその最も本質的な価値は、「パフォーマンス(演技)」にあるのではないかと考えている。

過去のnoteでも「演じる」ことの可能性について書いたのだが、私たちはこの即興劇の中で、「未来の自分を演じる」という行為を通じて、新しいことを学習し、新しい自分を創造しているのではないか。
発達心理学者のロイス・ホルツマンが言っている通り、「(私たちは)私たちでないものをパフォーマンスすることによって、私たちがなろうとしているものになる」のだ。私たちはこの即興劇を演じる中で、実際に成長し、新しい自分(自分たち)に発達をしているのかもしれない。それはまるで、子どもの「ごっこ遊び」のように。

私はいま、「ナラティヴ」を自身の探究テーマとして掲げており、未来語りのダイアローグだけではなく、リフレクティングやオープンダイアローグ、当事者研究など、対人支援の領域で培われてきた素晴らしい実践の数々と、そのポテンシャルを、企業組織の中で活用できないかと日々模索をしている。
こういったテーマについてもし興味がある人がいたら、ぜひ意見交換をしてみたいので、連絡を頂けたら嬉しいです。(TwitterにDMください


最後に、ヨダレの絵文字で(一部で)有名な弊社の竹内さんが、「未来語りのダイアローグ」を体験した際の感想を置いておきます。

たしかに、まったく考えてもいなかったことが自分の口からスラスラ出てくる面白さがあるんだよなぁ。これこそがまさに即興演技の力なのかもしれない。
私たちは、頭の中で考えていることを口に出すのではなく、自分が口に出した言葉を聞いて、自分が何を考えていたのかを初めて知るのだと思う。

参考書籍

参考論文

未来語りのダイアローグ(Anticipation / future Dialogues)-繋がりと希望を創るミーティング-/川田美和

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