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「ふるさと」と「死」について考える。「桜の下で待っている」

今日買って、今日読み終わって、まだ余韻に浸っております。
表紙の柴犬と目が合って偶然手に取った自分、えらい。まさに今読みたい本だった。本屋さんに行くとこういう出逢いがあるから良い。


「ふるさと」について考える

ここ3年くらい、UIJターンや移住に関わることが増えて、自然と自分の地元についても考えるようになった。
コロナの影響も大きいと思う。

5つの物語に出てくる主人公や、彼等を取り巻く登場人物それぞれに「ふるさと」があった。
もちろん想いもそれぞれ。


生まれた場所や実家がある場所を故郷と呼びがちだけど、
大人になった私達はどこに根を張るのか(或いは根を張らない選択肢も)自分で選ぶことができる。
自分が根を張った場所が、誰かにとってのふるさとになるかもしれない。


どんな関係性でも、ただいま、おかえり と言い合えることが何よりも愛おしい。

ふるさとは、いくつあっても良い。
きれいな感情や楽しい思い出だけじゃなくても、それで良い。

そう思わせてくれる素敵な一冊でした。



「死」についても考えた

4つ目の「ハクモクレンが砕けるとき」に関しては、ふるさと以上に「死」への描写が切々と描かれていて、自分が初めて「死」を知ったときのことを鮮明に思い出した。

このお話だけ少し毛色が違う気がする。全編に共通しているテーマ以上に、主人公が抱えている「死」への不安が刺さったので備忘録として書き留めておきたい。


自分が「死」という概念を理解した時の不安な感覚を、よく憶えている。
当時まだ小学2年生だったと思う。
それまではただの知識でしかなかった「死」を初めて理解した。

死んでしまった人にはもう会えなくなる、
二度と対話が出来なくなってしまう、
死は誰にでも平等に(時には突然)訪れる、

それまでも言葉の意味は理解していたはずなのに、その時突然「死」という概念を理解して怖くて怖くて眠れなかった。

当時は何故か祖父が死んでしまう気がして(別に祖父は病気でもなく元気だったのに)
別れ際に突然「じいちゃんが死ぬ、じいちゃんが死ぬ」と大泣きして困らせた。
(我が家から車で15分、めっちゃ近くに住んでいてしょっちゅう会っていました。突然孫が自分の死を予言して号泣し始めたので祖父はさぞ驚いたことでしょう…じいちゃんごめん。)


子供が「死」を理解する瞬間はきっと突然訪れる。
足元が崩れていくような恐怖や、言葉にできない不安に襲われたあの時の感覚を忘れたくないな、と感じた。

次はもっと強い生き物に生まれてくる。

桜の下で待っている「ハクモクレンが砕けるとき」より



どんなに怯えても私はいつか死ぬので、
毎日後悔しないように生きようと思う。


読んだ本
桜の下で待っている
彩瀬まる 著
実業之日本社 発行

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