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背中でしな子

詰まっていた。

色々なものが詰まっていた。
その映画は私にとってナゾの映画だった。
通い始めたばかりのライブハウスの壁に貼られたポスターやチラシにいつもその活字はあった。
「背中でしな子」、と。
どうやら映画らしい。
自主映画らしい。
でも観る機会は無かった。
ハイロの人はなんかコワソーだった。若き日の自分には。
気になりつつも、そのワードだけは残った。

あれから幾星霜。高校生だった私もかなりかなり成長し、去年素敵な女性とお友達になった。それがHALUKAさんである〜!まだコロナ禍真っ最中。
自分のライブが終わったあとの打ち上げの席で初めて話した。対バンの内山智晶さんのお客さんだった。歌っている人だと紹介される。
間に合わなかったけどshieriさんの曲、一曲聴けたよ、なんか、いい感じだった、そうポツリと言ってくれた。それで〜、その時は挨拶程度だったんだけどそんなに間を置かずまたお会いし、あれ?私がHALUKAユニットを観に行ったのかな?誰かのライブだっけ? ま、それでなんだか自然に仲良くなり〜、ある時話していたら、あのナゾ映画「背中でしな子」に出ていたという!しかも主演(のうちの一人。3人の女優が一人のしな子を演じる)!!なんと!!
そしてHALUKAさんは元々は音楽畑ではなく映画を撮っていたのだという!しかもゲーダイ出! おわー!!

でもその時はそれで終わったのだ。「しな子」の影は、まだチラつく程度だった。
それがなんということでしょう、夏に入る頃、今年の9月にデジタル化記念の上映会をやる、とのこと。「観たいです!」と返事をした後に「3時間の超大作なんだよね〜…」と聞き少しだけ後悔した、けれど、やっぱり観に行って、観れてよかった。

フィルムの中のHALUKA様。
今でも美しいわ〜、と思うのですが、その8ミリフィルムの中のHALUKAさんは美しいだけではなく、アンニュイ、キュート、クール(革パンで刀←バイクのことですよ)、とにかく絵になる絵になる。立ってるだけで、傘差して歩いてるだけで、タバコ持ってるだけで絵になる。
「いつもおんなじ姿勢で寝てんじゃないよ!」という台詞とシーンが私にはなぜか刺さった。

ううむ。
こんなステキな人とタメ口に近いクチ聞いちゃって焼きとん屋とか連れて行っちゃってたのね私。ていうかミュージシャンだと思ってたら女優なのね。女優でもあるステキなHALUKA様が詰まってましたね。
同じライブハウスに出ていたのに当時はカスリもしなかった。私がまだライブハウスでよちよちしていた頃、すでにHALUKAさんは主演女優でありミュージシャンだったのだなぁ。そりゃーカスリもしないわなー。

当時のチラシ。このサントラが欲しい。音楽は橋本一(はじめ)。なんだか、ほんとに、今の橋本さんのやってる音楽の源泉みたいなモノが散りばめられていて、そこも聴いていてとても楽しかった。

上映会は大盛況で、見知った顔がちらほらり。3巻目のフィルムが終わった。拍手。みんな、3時間頑張ったね!さぁ、飲もう!……とはならず、終わったあとは監督、主演女優、音楽担当、ズラリと並び、トーク。私はたまに映画&トークショーのセットを観ることはあるので経験上こういう流れになることは予測していた。けれど、予測していなかった人は(慣れてない人には)、
ああ、まだ立ち上がってはいけないのですね…! という絶望感 に駆られたかもしれない

右端がほしのあきら監督。の隣がHALUKA様。
マイクを持っているのは音楽担当橋本氏。(監督っぽいけどw)

でもやっぱトーク(映画制作四方山話)もあると、より映画は面白いものです。
色々話を聞いていると私も自分の中の映画好きエピソードを自然に思い出していた。

・小学校高学年頃から音楽雑誌よりも先に映画雑誌(「ロードショー」「スクリーン」)を親に買ってもらっていた。※たまにね。高いから。
・シナリオライターになりたい、と思って好きな漫画『はいからさんが通る(第一巻)』をシナリオ状に書き起こしたことがあった。やっぱ5年生頃かな。
・高校2年の文化祭の出し物で映画を撮ろう!と発案し適当なシナリオを書いて友達(クラス全員とノリのいい協力的な教員数名を出演させた)と夏休みにサツエイした。

などなど。
でも映画への道は中学くらいで挫折というか諦めていた。
『映画はたくさんの人を動かさないと撮れない』ということにその頃気が付いてしまったのである。
そんな骨の折れることは出来ない。めんどくさい。人見知りだし。無理だ。。。と、すでに小学校中学年位から厭世観と仲良しだった私は、『映画を作る人』の世界には入らず、『観る』方にいた。

(そんなだから音楽も、一人でちまちまやっている。)

トークショーの後はインターバルを経て、HALUKAソロライブ。HALUKAユニットとしてベースとデュオ形態も多いのであるが、今日はソロ。
なんか今日はいつもより「女優度」が高い素敵なワンピ。
時間が押してしまったこともあり、さっくりと、でもじっくりと、HALUKAさんの世界を歌う。

HALUKAさんの曲はひとつひとつが短編映画やドキュメンタリー映画のようなのです。
詞、構成、ギター、そしてアングル!すごいんだよねー。
それを表現するチカラも。そう、HALUKA様はあんなに華奢なのに力持ちなのです。表現の力持ち。
昨日もよくギルドが鳴っていたぜ…!

上映会の料金にはHALUKAさんのソロライブ、お食事プレートと1ドリンク、そして「瞬刊ハイロ特別号」という冊子がセットになっていた。
中を開くと懐かしかった。

渋谷アピアに出始めの頃(88年〜)、よくマスターから「ここは昔ヘアーっていう店だったんだよ。知ってるか?ミュージカルの『ヘアー』」「その前はここは弁当屋やっててね」てな話を聞いていたことが、あの頃のマスターの声と共にまざまざと脳裏に蘇る。

ヘアー、だった頃

マスターと監督・ほしのあきらさんとハイロ創立メンバーの神山さんの座談会もあったりして、うわ〜、という気分になった。楽しそうに昔話をするマスターの顔が目に浮かんだ。

2019.1とあった

こんなのね〜読んじゃうと嫌でもね〜、
マスター生きてたら絶対ここにいたんじゃないか?
とか思っちゃうよね。思ったね。
まだ全部読んでないけど(かなり読みでがある)、読めば読むほど自分の記憶のピースが嵌まっていく気がした。

私は渋谷アピア時代の、ライブスケジュールが載っていた機関誌(A3二折・白黒両面)あたふた、を、なかなか捨てられず数多の引っ越し回数にも関わらず持ち歩いてしまっていたのだが、最近になって役に立って?いる。

これは97年のあたふた
ほら、「背中でしな子」
97年2月のライブスケジュール欄。の下に岩のり。
今でも続けてる人がまー多いこと多いこと。自分もだが。

ちなみに上記写真の2/19に先日東中野・じみへんで初共演した深野一穂様。この頃は同じライブハウスに出演していても知り合っていないのに、26年後に仲良く共演するフシギ。それ言ったらよねやまさんもHALUKAさんも、そう。
(もっと言えば、先日のカニ坂ロックフェスティバル出演の「いわねやのりめ」のメンバーがこの中に3人もいるのであるよ。なんという長い付き合いだ!!)
97年2月の渋谷アピアのライブスケジュールは、なんだかその後の人間関係がギュッとしているなぁ(笑)

この記事を読んだら、きっとマスターはなんかコメントくれたかな、イイネ❤はしてくれたよな、なんてまた書きながら思ってしまった。
1999年以降、アピア全っ然出てないんだけど(笑)
今はアピア人(びと)ではない私ではあるのですが、なんかたくさん『もらっていた』んだなぁと、最近というか去年辺りから感じています。
カメラマンの人も、顔見てるとなんかどっかで会ったことがある気がして…昔のアピアなのかなぁ。ひょっとしたらピンクのぶたかも。

若き日の伊東哲男22才。この写真は、胸キュンでした(T_T)

だいぶ「しな子」から話が逸れてしまったが、
とにかく色んなものが、思いが、熱さが、あのフィルムを取り巻く人々に、あの3時間の8ミリフィルムの中に、そしてそれを見ている人の中に、あの空間に、詰まっていたのです。


本当に言いたかったこと

予約リスト。自分の名前。ウケたのでつい写真撮ってしまった。背中でシリエ。これからはシリエとして生きてい…かないけど。

とってもとっても濃いリストなのである…!モザイクかけましたがわかる人には分かるであろう、と。








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